第17話 光が弾けた日
朝、目が覚めた後に浮かんだのは織田さんと約束した夏祭りのことだった。
どうやら俺は、夏祭りをすごく楽しみにしているらしい。それに気づいたのは、その日の服装を決める際。いつもならそうたいして悩むことのない服選びに時間がかかっていたからだ。
最上と出かける時と比べたらいけないだろうが、本当に今までにないくらい悩んでいる。
普段より決めるのに数倍かかった服に着替え、夜までの時間を勉強や趣味に使う。だがここでも、やけにそわそわして落ち着かない。何か予定でも入れておけば、あっという間に時間が過ぎていったかもしれないのに、こういう時に限って親からの頼まれ事もない。手につけていた宿題も少ししか進んでいなかった。
仕方ないから気分転換でもしようと外に出て帰ってくると、案外それがよかったのか空欄の多かったページが埋まっていく。それに少し安心しながら手を動かした。
そうこうしているうちに、約束の時間まであと数時間となった頃、ふいに鳴る着信音。相手は母で、気をつけて出かけるように言われるのだろうと予想を立てながら電話を取った。
「母さん? どうしたの」
「靖二……! どうしよう、どうしようお父さんが……!」
「ちょっ、落ち着いて! 深呼吸しよう!」
聞こえてくる声は動揺していて要領を得ない。母はパニックに陥っていたようで、深呼吸するように言うと少し落ち着きを見せた。
「それで、父さんがどうしたの?」
「お父さん、事故にあったみたいなの……それで病院に来てって……」
「事故……!? 父さん無事なの!?」
「わ、わからないの。なにを言われたかほとんど覚えてなくて……」
電話口から不安が伝わってきて、俺にまで移りそうになる。それでも声が震える母さんに、意識してゆっくり話す。
「病院の場所は覚えてる?」
「ええ……」
「母さんひとりで行ける? 俺が行くまで待ってる?」
「大丈夫……私ひとりで行けるわ」
それから病院の場所を聞き出して、俺も家を飛び出した。
タクシーに乗り込んですぐ、織田さんに行けないと連絡した。本心では行きたかったが、今は父の方を優先したかった。父の無事を祈るように、スマホを両手で握りしめて額に当てた。
「父さん……!」
「……お、靖二」
「……へ?」
勢いよく開けた病室の中にいたのは、けろりとした父だった。思ったより元気そうな姿に拍子抜けして立ち尽くす。
「心配かけてごめんな」
「え、見えないところを怪我したとか?」
ゆっくりと近づいて注意深く観察するが、包帯でぐるぐる巻きにされているわけでも、骨折を固定しているような様子もない。
「いや、打撲ぐらいだ」
「ごめんね。てっきり重症だと思ってたんだけど……」
母が申し訳ない顔をするから、
「じゃあ本当に、大怪我したわけじゃないんだ……」
よかった……
そう心の底から呟くと、安心したのか力が抜けて床に座り込んだ。そんな俺を見て顔を見合せて笑う両親の姿は、うつむく俺には見えていなかった。
「── でも本当に大丈夫なの?」
「ああ。これぐらいですんで本当に運がよかった」
詳細を聞くと、どうやら歩道を歩いていたところを車が突っ込んできたらしい。運転手は意識を失っていたという。
下手したら重症じゃ済まなかったかもしれないが、車のスピードも遅く、少し当たる程度であったのが幸いだ。当たって尻もちをついて、少しの間呆然としていたらしいが、運転手も意識を取り戻したようで本当に無事でよかった。
「今日は念のため入院することになってる」
「明日迎えに行くわね」
「俺も行くよ」
俺と母の言葉に、父はなんだか少しだけ嬉しそうに口元をゆるめたのを見て、照れくさくなって視線をそらす。
「……そういえば靖二。お友達と夏祭りに行くって言ってなかった?」
「そうなのか?」
母には朝食を食べている時に話していたが、朝早く仕事に行く父には、昨日の夜に決まった予定を話す時がなく、知らせることができていなかった。母も言っていなかったのか初耳だったようだ。
「大丈夫。行けないって連絡しておいたから」
「そう……」
少しうつむいた母さんの言葉を最後に、しばらく沈黙の時間が続いた。
両親が悪いと思う必要はない。だけど、行けなくて残念だとは思う。自分から誘ったのだ。楽しみにしていないわけがなかった。
だからこそ、それ以上なにか言葉が出てくることはなかった。
「……気になるなら、行ってみたらどうだ」
「え、でももう連絡しちゃったし」
「まあ後悔しないならいいが」
そんな沈黙を破ったのは父さんのひと言。まっすぐな視線と追加された言葉も俺の意志を揺らがせて、最終的に心に委ねることにした。
「……行ってくる」
「ああ、行ってこい」
「行ってらっしゃい。お友達によろしくね」
じっと見つめる父と手を振る母に見送られ、短い滞在時間で急いで病室から出た。
急がなきゃ。病院に来るまでにタクシーでお金をあらかた使ってしまって、もう残り少ない所持金でどう行けばいいか。はやる気持ちのままとにかく足を動かした。
息を切らしながらたどり着いた夏祭り会場は、多くの人が集まっており、すでに花火が始まっていた。これでは探し人を見つけるのは容易ではなさそうで顔をしかめた。
ここまで来る途中でスマホを確認すると、行けないとメッセージを送った後すぐに了承の連絡が来ていたらしい。
再度確認してみるが、それ以降は織田さんからの連絡はなく、まだここにいるかどうかもわからない。そんな状態でやみくもに探しても見つからないかもしれないが、歩みを止めることはしなかった。
道の端に寄って試しに電話をかけてみるが、つながらずにため息をこぼす。一旦諦めて視線を上げた時。
── 見つけた。
多くの人の中、花火に照らされた姿はなぜがすっと目に入ってきて。浴衣を着て空を見上げていた織田さん自身が光をもっているようだった。
まるで光が弾けたような不思議な感覚に呆然としていると、ふいに織田さんが振り向いた。そして驚いた表情をした後、満面の笑みを浮かべた時に思った。ああ、これが恋なのかもしれないと。
「穂積くん! 来れないって聞いてたのでびっくりしました! いつ来たんですか!?」
「あ、うん。一応連絡はしたんだけど、気づかなかったみたいだね」
「え!?」
織田さんは急いでスマホを取り出して確認すると、何度も頭を下げた。
「ごめんなさい! 全然気づいてなかったです!」
「いや、謝るのはこっちの方だよ。ごめんね。急に行けないなんて連絡をして……」
頭を下げると、慌てたような声と忙しなく動く気配がする。
「いえ! 穂積くんは理由もなくそういうことをする人ではないと思ってますので!」
「織田さん……」
「もう今日は会えないと思ったので、会えてとっても嬉しいです!」
怒って当然だなのに、そんな様子もなく笑う彼女に胸がいっぱいになる。
それから少し場所を移して経緯を説明した。それでまた、大事なくてよかったと微笑む織田さんに、申し訳なさとありがたさとそれ以外の感情でぐちゃぐちゃになった。
俺は一生織田さんにかなわないのかもしれない。
かゆみは恋を連れてくる 伏見 悠 @sacura02
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。かゆみは恋を連れてくるの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます