第16話 君のことを考える
「ハァー……」
自分の部屋に入り、ドアを閉めると大きく息を吐き出した。ベッドの側までのろのろと足を進め、手に持ったビニール袋を床に置き、そのまま腰をおろすとベッドにもたれかかる。
今日やっと、皮膚科に行って来た。初診ということで、少々時間がかかったものの無事に診察を受けることができた。
結果は予想通りの原因不明。大きな落胆はなく、やっぱりなと納得の方が勝ってしまった。かゆみの原因自体はわからなかったが、これで傷が治る過程でのかゆみという予想が現実味を
そこでふと思ったのだが、吸血鬼特有の病気や症状は誰に診てもらっているのだろう。吸血鬼には吸血鬼の専門家、医者がいるのだろうか。織田さんは両親が駆け落ちをしたと言っていたから、こういうことは窪の方が知っていそうではあるな……
そこまで考えて、窪にあまり詮索しない方がいいとも言われていたのを思い出し、今知る必要はないことだと考え直す。踏み入れてはいけない領域というのもは存在していて、むやみに好奇心から詮索すると痛い目を見ることもある。
誰にでも探られなくないことはあるのだから、疑問に思ったとしても口に出すのは慎重になる必要があると思うのだ。
だからもう、今は考えるのを止めにしようと、
一応塗り薬を処方してもらったので、それを使ってみようとは思う。効いてくれたらいいと願いながら、かゆみの残る首をさすった。
***
かゆみが引いてしばらく経った頃。
また血をもらいに部屋を訪ねて来た織田さんはいつも通りだった。最近は血を吸った後に、クッションに座って少しだけ話をする。その流れも様子も本当にいつも通りすぎて、なぜだか頭が混乱してきたような気もした。
あのピクニックの時に言っていた「好き」はたいして意味はなかったのかもしれない。むしろそんな過敏に反応する俺がおかしい気すらしてきた。あれは友達としての「好き」だったかもしれないのに。
……いやでも、初めてきっぱりと「好き」って言われたから動揺もするよね? 前は"かも"が付いてたから。
むしろあんな直球で「好き」って言われたら意識するよね。モテてる人は言われ慣れてたりするのかな?
いや、慣れるのもそれはそれで怖いな? 何かしら
心乱されたせいか、考える必要のないことまで考えてしまった。深呼吸をひとつする俺を、織田さんは不思議そうな顔で見つめてきた。
ひとり戸惑う俺に対して、緊張する素振りもない織田さん。そんな様子を見ていると、織田さんの言う「好き」は違うんじゃないかとさえ思えてくる。最上はその人が恋だと言うならそうなんじゃないかと言っていたけれど、やっぱり本当かなと織田さんの言葉を疑ってしまう自分がいた。俺自身、こういう感情が恋だと明言できるわけじゃないのに。
それなのに、それが間違いだった場合のことを考えると残念に思う自分がいる。それは少なからず好意を持っているってことで……
── 俺は織田さんに恋愛対象として見てほしいのだろうか。
「そういえば明日、夏祭りですよね」
「あ、そうだっけ……忘れてた」
織田さんの声で思考にはまった状態から抜け出す。危ない、またいろいろと考え込んでしまうところだった。
「誰かと行ったりしないんですか?」
「いや、特には。……織田さんこそ約束してないの?」
友人、例えば同じクラスの板垣さんとかと一緒に行ったりしないのかな。
「してないです。真白ちゃんは用事があるらしいので」
その言葉を聞いて、深く考えるよりも先に口が動き始めた。
「じゃあさ、」「あの、」
重ねった声に驚いて、次の言葉を発することなく黙り込む。しばらく見つめ合う時間が続いた。
「えっと、先にどうぞ?」
「じゃあ……よかったら一緒に行かない? 夏祭り」
……誘ってしまった。これで断られたらたぶんショックを受けるんだろうな。きょとんとした顔をした織田さんを見て、そんな変に客観的になる自分がいる一方、胸の鼓動は早くなっていた。
「え、いいんですか!?」
「いいから誘ってるんだけど……あ、でも明日って急すぎるよね」
「いえ、大丈夫です! 行きたいです!」
嬉しそうな顔にほっと息を吐く。
「……そっか。じゃあ、そういうことで」
「はい。時間とかは連絡しますね」
「うん」
なぜだか少し気まずい空気になって、視線をそらす。
「じゃあ、そろそろ帰りますね! 明日、楽しみにしてます!」
そう言っていつも通り、だけどいつもより焦ったように窓から出ていった織田さんを見送る。
「あっ……」
安心からか、織田さんが言いかけた言葉の続きを聞けていなかったことに気づく。
また今度でもいいかな。電話をかけてもよかったのかもしれないけれど、今はこの鼓動を抑えたかった。
走った後のようなバクバクとした速さではないが、普段より確かに速い心拍数。普段の生活では聞こえない鼓動の音。これが指し示すものは──
「やっぱりわかんないや……」
さっき咬まれた首元を洗いに洗面所へと向かいながら、織田さんのことを考える。
織田さんが笑顔でいると嬉しくて、どこか満たされた心地がする。そう思うのは確かでも、自分の織田さんに対する気持ちの確証をまだ持てないでいる。
無意識に咬まれた場所を触っているのに気づかないまま、しばらくの間鏡の前に立っていた。
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