マニュアル その3
私は和菓子が好きだ。
自分で食べるのも好きだし、手土産に持っていくのも和菓子を選ぶ。
この町にも数軒の菓子屋があって、どの店もそれぞれおいしいので、その日の気分で店を選んで買いに行く。
誤解のないようにいっておくと“毎日”食べるわけではない。
そこの節度は保っている。
菓子屋が数軒あるとはいっても、いわゆる『お遣い物』にできる菓子を取り扱っているのは一軒だけ、お菓子のキヌタだけだ。
この店の看板商品はキヌタ羊羹。
お遣い物を買うときははあらかじめ電話で注文し、先方に出向く際に受け取るようにしている。
贈る商品は“キヌタ詰め合わせ”と決めてあるから問題はない。
いつも同じものを購入するから、名乗ると店のほうから『いつものでございますね』と言ってくれる。
手間がかからなくてラクだ。
ある日、世話になった相手宅を訪問する用事ができたので、菓子を注文することにした。
プルルル、プルルル、カチャ
『ありがとうございます。お菓子のキヌタでございます』
「ああ、もしもし。タケシタだが」
『タケシタ様。毎度ありがとうございます。いつものでよろしいでしょうか?』
「ああ、ひとつ頼むよ。4時くらいに、かな」
『16時におひとつでございますね。承知いたしました。ありがとうございます。お待ちしております』
相変わらず、スムーズに注文できてありがたい。
数ヵ月後、用事ができたので電話をかけた。
ここしばらくは、この店に行ってないから久しぶりだ。
プルルル、プルルル、カチャ
『ありがとうございます。お菓子のキヌタ桜町店でございます』
「ああ、もしもし。タケシタだが」
『タケシタ様。毎度ありがとうございます。いつものでよろしいでしょうか?』
「ああ、ひとつ頼むよ。3時くらいに、かな」
『15時におひとつでございますね。承知いたしました。ありがとうございます。お待ちしております』
ふむ、店名も言うようになったのか。
またしばらくして用事ができたので電話をかけた。
最近は出かけるときくらいしか、ここの菓子を買っていない気がする。
プルルル、プルルル、カチャ
『お世話になっております。毎度ありがとうございます。お菓子のキヌタ桜町店、フカガワでございます』
「ああ、もしもし。タケシタだが」
『タケシタ様。毎度ありがとうございます。いつものでよろしいでしょうか?』
「ああ、ひとつ頼むよ。5時くらいに、かな」
『17時におひとつでございますね。承知いたしました。ありがとうございます。お待ちしております』
ちょっと、注文を聞くまでの時間が長くなってないか?
数週間後、また出かける用事ができた。
プルルル、プルルル、カチャ
『お世話になっております。毎度ありがとうございます。キヌタ羊羹でご愛顧いただいております、お菓子のキヌタ桜町店、販売担当フカガワでござい……』
電話代もタダじゃないんだ。
受話器を置いて、直接店に向かった。
マニュアル 奈那美 @mike7691
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