カレーパンブルース

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

 


 駅前のパン屋のカレーパンが美味い。

 人生で、このカレーパンより美味いカレーパンに出会ったことがないと目を血走らせながら語れるほどに美味い。

 揚げずに焼き上げる、デニッシュ生地の中には中辛のフィリング。

 出来立てホヤホヤはサクッとした、少し時間が経ったものならしっかりとした食感。

 いつも食べたい、と言うわけでもなく、行くたび食べたい、と言うわけでもない。などと言ってしまえば、本当に目が血走るのかと疑われてしまいそうだが、自信をもって人にオススメできるカレーパンは唯一、このカレーパンなのだ。

 

 つい先ほど、コンビニエンスストアの揚げ物コーナーにあるカレーパンが美味いと、二人しかいない友人のうちの一人である勇気に教えてもらった。

 私の脳と口腔内は、「カレーパン」という言葉に反応して、駅前のパン屋モードになる。

 ついつい、「私が知っているカレーパンこそ至高だ!」と叫びそうになり、けれどその叫びをごくんと飲み込んだ。

 最近気づいたのだ。相手の推しを理解することなく、自分の推しを押し付けようとして、二人しかいない友人のうちの一人である愛との友好関係にヒビが入りかけて知ったのだ。

 この状況、勇気が美味いというカレーパンを食べてみることなく、自分の推しを押し付けるのは良くない。

 

 私はコンビニエンスストアへと急いだ。

 揚げ物コーナーでカレーパンが待っている。

 ここで私は、全人類に問いたい。

「カレーパンください」と店員さんに言うのは、勇気が要らないか?

 これは私だけが抱く悩みなのだろうか。

 

 カレーパンください、とだけ話しかける勇気などなく、レジに並ぶ口実として手頃だからという理由で缶コーヒーを引っつかむ。

 可愛い店員さんだと余計にドキドキするものだから、お母さんのようなおばちゃんのレジに並んだはずが、私はレジ捌きが半端ない女神に微笑まれた。

「か、カレーパン、ひとつ、ください」

 人間の言語をそれなりに習得している私だが、女神を前に、ロボットになった。

 女神はお金と引き換えに、カレーパンを恵んでくれた。


「さっき揚がったばっかりなんですよ」

 内緒話でもするように、口元に手を添えて囁いた女神。

 発せられた言葉の意味を、私の思考回路は「すぐに食べてね」と言われたと解釈した。

 店を出るなりテープを剥がし、人目を気にせずひと齧り。

「う、うんまっ!」

 なんだ、このファーストインパクトは。

 と、言うよりも、だ。

 デニッシュ生地ではないカレーパンはこんなに食べやすいものだったか。

 カレーパンの油っぽさはどこへ行った?

 揚げていないくせにデニッシュ生地だから油っぽい愛しのカレーパンにはない心地よさ。軽やかに私の口腔内で踊り狂うカレーパン。

 プルタブを起こした缶コーヒー。

 カレーパンが踊り狂う口腔内に流れ込んできたコーヒーが、せっかくのカレーパンを汚していく。

 せめて、せめてカウンターコーヒーにすればよかったと、溢れる悔しさをそのまま包み紙にぶつけた。くしゃくしゃになるほど握りしめた。

 愛しのカレーパンよりも安いカレーパン。

 駄菓子を一緒に買っても、愛しのカレーパンよりも安いこのカレーパン。

 私は出会ってしまった。人生イチに。

 すっかり魅せられてしまった。浮気してしまった。コンビニエンスストアの、揚げたてのカレーパンに。


 カレーパンを買うためにアイスコーヒーを買う日々を過ごしていたら、いつの間にかスタンプが貯まった。

 たくさんコーヒーを飲んだご褒美にと配信された、150円までの揚げ物一個無料クーポンで、私はカレーパンを貰う。

 あれから何個も食べているのだが、あの衝撃を再び味わえてはいない。

 揚げたてを買えたのがあの一回だけだから、きっと揚げたてか否かが影響しているのだろう。揚げたてをまた味わいたく、足繁く店に通っては、アイスコーヒー用の氷が入ったカップに「カレーパンください」と言う勇気をもらっている。


 おばちゃんののんびりレジが作り上げる、長い列。それをどうにかするべく裏から出てきた店員さん。もとい、女神!

 あっちのレジも開いたからあっちにしよー、という風を装って、女神のレジに並んだ。

 もしかすれば、女神がカレーパンに魔法をかけているのかもしれないとふと思った。

 それがあの衝撃につながったのかもしれない。

 そんな夢物語が、私を女神のレジへと誘ったのだ。

 台に氷のカップを乗せ、女神に言う。

「か、カレーパン、ふたつ、ください」

「すみません、今ひとつしかなくて。お時間いただければ、もうすぐ揚がるんですけど……」

「待ちます待ちます」

 申し訳なさそうにする女神の視線に、ドキリとした。

 

 会計を終え、コーヒーを淹れ終え、店内で数分待っていると、女神が微笑みながら近づいてきた。

「大変お待たせいたしました」

 ペコリと頭を下げながら、差し出されたカレーパン。

「ふたつとも、揚げたてをお包みしました」

 内緒話でもするように、口元に手を添えて、女神が囁く。

 私の思考回路は、その振る舞いでショートした。

「いっしょに、たべませんか?」

 なんてことを言っているのか、などと気づいた頃には時すでに遅い。

「……え?」

 女神、困惑である。

「あ、ごめんなさい。私、駅前のパン屋さんのカレーパンがイチオシだったんですけど、今ではこれがナンバーワンです」

「え? あ、はい」

「せっかく揚げたてなので、冷める前にいただきますね! ありがとうございます! ではっ」

「あ、ありがとうございました……?」

 私は、颯爽と逃げた。


 なぜふたつくださいと言ったのかといえば、先の「コンビニエンスストアのカレーパンが美味い」と教えてくれた勇気と共に食べるためであって、――いや、食べようと声をかけたわけではないから女神と食べられるならば万々歳だったわけだが――そもそもひとつは私の分なわけだ。

 せっかくの揚げたてを、即齧る。

「なんだか今日はしょっぱいな」

 結局、揚げたてでも、女神から受け取ったものでも、あの衝撃を再び味わうことはできなかった。

 勇気の分にと考えていたもうひとつも食べてみたけれど、やはり衝撃はない。

 揚げたても、女神の魔法も関係ないらしい。


 駅前のパン屋でカレーパンを買う。

 いつもの味にホッとした。

 女神に会うのがなんだか気まずくて、コンビニエンスストアのカレーパンはご無沙汰だ。

 朝ごパンを食べ終え、出かけた先。

 約束の場所に行けば、そこで勇気がカレーパンを食べていた。

 あれは絶対、あの店の。


「それ、美味いな。お前が美味いって言うから食べてみたらハマって、しばらく食べてた」

「だろ? このカレーパン美味いんだよ。ちなみに一番美味いタイミング、知りたい?」

「は? 一番美味いタイミング?」

 何事も、〝したて〟が一番だと思う。焼きたて揚げたて淹れたて。あぁ、でもアイス溶けたてとかは嫌だなぁ、やっぱり〝したて〟がいいというわけでもないのか。

 思案する私を、にやりと笑いながら見つめ、じらしにじらして勇気は言った。

「揚がってから、少しケースに入っていたやつが一番美味い」

 なんでも、油でのぼせたやつよりも、少し湯冷め――ではないな、油冷めしたやつの方が美味いらしい。

 なるほど、だから最初のやつは。

 最初のやつは?

 いやいや、あれも揚げたてと女神が言っていたし、すぐに齧ったが。

「ちなみにそこの店のレジ打ちめちゃ速いねぇちゃんの言うこと、信用しちゃダメだよ?」

「は?」

「あのねぇちゃん、よっぽど冷めない限り『揚げたて』って囁くから」

 あぁ、なるほど。だから最初のカレーパンは。


 私はまた、コンビニエンスストアに通った。

 仲良くなったおばちゃんからカレーパンが揚がる時間を教えてもらい、その時を狙い、涼しい顔をして入店する。

 女神のもとに、私は手ぶらで近づいて、そして言う。

「カレーパン一個!」

 お金と引き換えに渡されたカレーパン。

 口元に手を添え、囁かれる「揚げたてですよ」に微笑みを返す。

 嘘つきが! と笑われているなど、女神は微塵も思わないだろう。

 私はサクっとしたの面の皮の中に辛口なハートを隠しているのだ。

 そうだ。私はカレーパン。

 私はカレーパン?

 どうせだったらあんぱんになりたい。

 ともだちは愛と勇気だけだし。

 私にはあんぱんになる資格があるのだし。


 

 あれ、なんでだろう。

 確かに美味しいカレーパンを食べているっていうのに、胸の傷が痛いや。

 

 

――おしまい――

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カレーパンブルース 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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