エピローグ 私の前に徒花は咲く


「蜂谷先生、次の増田さんで午前は最後です」

「了解です。内藤さん、もう休憩入っちゃっていいよ。いつものおしゃべりな増田さんですよね? だったら私一人で大丈夫なので」

「いいんですか? じゃあお言葉に甘えさせて貰います」

「他の子にも言っておいて伝えて貰えると助かります」 


 看護師は「承りました」と会釈して診察室から退出していく。優秀だし、変なプライドもなくとても有難い存在な彼女ももう三年目か。最初の頃に比べれば足並みも合ってきて仕事もやりやすくなった。といっても、仕事は病院を集会所か何かだと思っているご老人の話し相手が大半を占めるのだけれど。

 張り合いのない仕事、本当にしたいことを阻まれる。大人になったところで不自由はまだまだ続いていた。相も変わらず視界も人生も灰色だった。


「増田さん、今日はどうしました? また頭痛ですかね」


 花人医療は色々な面で難しい立場にある。そもそも花人自体が人口に対して非常に少ないために臨床研究のデータが少ない。さらに各々の体に違いがありすぎて症例パターンというものが作りにくいこともその発展を妨げる要素だ。そして何よりも医者のような上層階級の家庭で生まれ育った人間の多い世界では選民意識というか、随分前時代的な脳みそをした連中が上層部にのさばって居るため同業者からの風当たりも強いときている。本当にやればやるほどサキ姉が医師免許を持ちながら養護教諭になろうとしたのか、その心理が理解できるようになっていった。

 ——俺はやめるわけにいかないけど。


「はい、じゃあお大事に」

 

 先月、花人を積極的に迎え入れる医者として取材を受けた。近年の社会全体を取り巻く人権意識向上の傾向がある。欧米を中心に『花人に十分な補償と平等な権利を』という文言を含む『花人に関する人権宣言』が発表されたことをきっかけに日本でもそれに追従した思想家がメディアに露出するようになった。とはいえ、俺はまだまだ若造扱いでろくに論文も書かせて貰えていない。こんなことではいけないとセルフプロデュースをした結果つかみ取った取材だった。感触はそこそこ。だが大切なのは俺の名前と病院の名前がメディアに載ったことだ。

 あの日の約束、その第一歩が踏み出されたのだ。

 先週出版された自分のインタビュー記事が小さく載った雑誌を手に取って感慨深く眺めていると、先ほど出て行った内藤さんが困った顔で診察室に戻ってきた。


「どうしました?」

「先生、すみません。待合室に『蜂谷結城に会いに来た』という方が……もう午前の診察は終わりだって言ったんですが中々引き下がらなくて、どうしたものかと」


 心臓が跳ねた。とっさに出た笑顔を隠すために手で口を塞いだ。

 たかが新人医師を目当てに来る患者なんていない。ただ噂を聞いて来てくれた花人の方という可能性の方もあるが、頭の中には17歳から18歳にかけての美しい青春の日々が、あの家で過ごした時間が、誰よりも愛した人の姿がいくつもいくつも思い出されていた。

 突然フリーズした私を不審に思った内藤さんにさらに詳細なことを聞いた。


「その人は、花人だった?」

「え、さぁ……目深にスキャット帽も被っていて肌の露出もなかったのでなんとも。あ、でも凄い綺麗な白い髪の女性でした」

「——ッ! ありがとう内藤さん」

「え、ちょっと先生!?」

 

 体裁も社会的立場もすべて捨て去って、診察室から待合室まで全力で走った。すれ違う同僚や看護師たちが目を丸くしている。中には院内で走ることを咎める声もあったが、心の中で謝罪してそれを背に走る。ああ、白衣も革靴も煩わしい。体力の衰えも感じる。気づけばもう二十代も後半だに足を突っ込んでいるのだから当たり前だ。アレから何年経った? 十年……十年だ! 本当になんて長い。過ぎ去った時間の重みを自身の体に確かに感じながら待合室に到着した。

 

「はぁ、はぁ……彪香!」

 

 待合室に並ぶ椅子に一人座る女性が目に入った瞬間に無意識に叫んでいた。内藤さんの言う通り、スキャット帽を被った人間離れした美しい白髪はくはつを垂らした女性。——白い髪。色が、見える。

 彼女は俺の声を聴くと勢いよく立ち上がった。その勢いでスキャット帽がふわりと外れた。そして彼女の——笛吹彪香の側頭部に凛と咲く酔芙蓉の花が現れた。豊かに大輪をさかせる花弁は最後に見たときよりもわずかに赤みが増しているように見えた。

 どちらからともなく駆け寄った二人は、十年間で空っぽになっていた心を互いに満たし合うように力強く抱き合った。言葉は要らない。ただ再会できたという事実があれば二人にはそれで充分だった。


「ただいま」

「ああ、おかえり」



「ねぇ、ママのお花ってなんてお名前なの?」

「んー、これはね”酔芙蓉すいふよう”っていうの」

「すいふよう? どんないみ?」

「意味? 名前の意味ってことかな。考えたことなかったな~、でも確か花言葉は昔調べたような……図鑑あったかな」


 酔芙蓉:アオイ科フヨウ属 7月~10月に咲き、朝から夜にかけて白からピンクへ色が移り変わっていく一日花。

 花言葉は『心変わり』『繊細な美』『しとやかな恋人』そして『幸せの再来』

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華のある訳アリ同級生を助けたら同居することになった件 日上口 @Higuchi_joe1001

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