46話 一蓮托生⑦

 いつまでもこうしていたい気持ちはあったがそろそろ息苦しいかと思い、巻き付けていた腕を解いて半歩後ろに下がる。改めて正面から見た彪香は花のある側の顔半分が朝日に照らされて、神々しさすら感じるくらい美しかった。そして同時に、このままスッと光の中に同化して消えてしまいそうな儚さを纏っていた。心配する俺をよそに笛吹は「せっかくだし歩こうよ」と言って俺の体を押した。もしかしたら涙でくしゃくしゃになった顔を見られるのが嫌だったのかもしれない。

 促されるままにゆっくりとしたペースで陽光に煌めく砂浜を歩く。いつまでもこの時間が続けばいい——今日何度目かになる思いがまた浮かんでは消えた。

 

「私、結城に会えて本当によかった。——大好き。」 


 心地よい潮風を浴びて、砂浜を二人歩きながら、彼女はそう言った。思わず立ち止まり、振り返った。「唐突だね」なんて言って照れ隠ししようとしたが、彼女の済んだ瞳に全て見透かされているような気がしてならなかった。じっと彼女は見つめてくる。さっさと返事をしろという圧を感じる。


「俺も、彪香ひょうかと一緒に居ると……楽しいよ」


 嘘ではないが全てではない返事。彼女への気持ちのほんの上澄みを掬って言葉を紡いだ。なぜだかこの溢れんばかりの想いを伝えるのは今ではない、そんな直感があった。そして、言わなくても自分の気持ちは通じている……そんな自惚れがあった。


「——いくじなし!」


 彼女は怒るでも落ち込むでもなく、至極楽しそうにそう言って、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。受け止めきれずに二人して砂浜に倒れこんだ。彼女の奔放さが可笑しくて、俺が笑うと彼女もつられて声をげて笑いだした。

 終夜バイクの運転をし続けた体は疲労と眠気で簡単には起き上がれなかった。何よりも上に乗っている彪香が退いてくれないから起きようが無かった。でもどいてくれという気にはとてもなれなかった。

 そして、砂浜に身を投げ出したまま、たくさんの話をした。


「さっきはプロポーズみたいなこと言ってたのに、なんでここで照れるわけ?」

「嘘、俺いつ……って確かに言ったな。このやりとりも懐かしいな」

「ぷふふっ、私たち一年経っても変わらないね」

「……変わったよ。彪香はすごい綺麗になった」

「結城くんはおしゃべりになったよね。和花ともよく仲良さそうに喋ってるし」

「まぁアイツ看護系志望だから進路の話とか……下心とかは一ミリもないからその目やめてください。そもそも蝶野には天道が居るしな」

「よろしい。あそこも早く付き合っちゃえばいいのにね。って私たちが言えたことじゃないか。——あぁ、和花達とも会えなくなるのかぁ。寂しいな」

「そうだな。転校の話したとき蝶野がめちゃくちゃキレながら泣いてたのは予想通りだったけど、まさか天道と麻美まで泣くとは……」

「ね、まさか泣いてくれるとは思わなかったから申し訳ないけど凄い嬉しかったな……あー、ごめん。私から始めたけどこの話はやめとこ」


 ちらりと覗くと笛吹は泣くのを必死にこらえているようだった。別に泣いてもいいのに、と思ったが本人がそういうなら無理に話を広げることもないだろう。別の話題をだそう。

 

「ねぇ、重くない?」

「全く、羽が乗ってるのかと思った」

「ぷふっ、なにそれ」

「そういえば、今日頑なに前歩かなかったよね、なんか理由とかあるの?」

「……うん。結城くんの後ろ姿目に焼き付けておこうと思って」

「バイク乗ってるとき散々見てたでしょうに……ていうか俺は焼き付けられてないけど、何年かしたら忘れちゃうかもな~」

「大丈夫だよ、結城くんは私のこと一生忘れられないよ」

「はは、凄い自信」

「忘れちゃうの?」

「忘れられるわけない。初恋舐めんなよ」

「奇遇だね、私も初恋。たしか、初恋は上手くいかないってジンクスあったよね」

「ええ、今それ言うなよ……」


 日差しが少し眩しい。それにひんやりした砂と温かい人肌に挟まれて体がふわふわ浮いているような感覚がする。さっきから潮の香りを追い出すように酔芙蓉の甘い香りが鼻腔を占めている。間近で聞こえる彪香の声と少し遠くに聞こえる波の音が心地よい。この感覚は、そうだ。二年の頃、笛吹の後ろの席で授業を受けていたときに似ている。意識が遠のく。抗えない。もう自分ではどうすることもできないほど意識は暗転し混濁していた。

 

「——何もできなくて、ごめん……笛吹」

「……私を最初に助けたのは君だよ。いつだって私の気も知らないで、勝手に助けてくれる——私だけのヒーロー」


 自分が今夢を見ているのか、それとも現実に居るのかそれすらも分からない中、彪香の声が聞こえた気がした。必死に声の方へ行こうとするのだが水中に居るみたいに体が重くて上手く前に進めない。——息苦しい。何かに唇を塞がれているのか、息が上手く出来なかった。この塞いでいるものはなんだ。これさえなければこんなに苦しむことはないのに。でもそれは柔らかくて、温かくて、決して嫌な気はしなかった。これで死ぬならそれはそれで良いかもしれないと思えるくらいには。


——————

————

——


「ーい、おーい。あんちゃん、そんなとこで寝てちゃいかんよ」

「は、あ……俺寝て——彪香ッ!」


 ご老人の声で意識を取り戻し、目を開けると周りはもうすっかり明るくなっていた。額に脂汗が滲む。周囲を見渡しても彪香の姿はどこにも見当たらない。縋るような思いで時計を見ると時刻は五時一五分。急いで立ち上がり、何度も彪香の名前を叫んだ。しかし、どれだけ呼んでも彼女は現れることはなく、ただ周囲からの冷たい目線だけが突き刺さる。


「彪香……! なんで……」


 その日、俺の愛する人——笛吹彪香は姿を消した。そして同時に俺の世界から、色が消えた。

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