第9話 最後は笑顔で
立春。
登校してくる学生たちの足取りは重い。
ただでさえ寒さが厳しいこの時期に、雪も重なってくる。
「帰って本読みたい」
そう嘆く柏木誠也はあくびを噛み殺し、高校前の坂道を上る。
「誠也君、おはよう」
後ろから声をかけてきた美人の先輩が笑顔で挨拶をする。
藤本美乃里だった。
「おはようございます。今日は一段と寒いですね」
誠也はブルゾンのポケットに手を入れてこするようにしている。摩擦で温めているのだろう。そのためか雪道に一度バランスを崩されると危うい姿勢になる。
「誠也君、手袋無いの?」
美乃里が自分の手袋を見せる。
「坂道なんだから転んだら痛いよ」
誠也には手袋があるにはある。しかしいつも使っているのは新聞配達の時のものなので、なんだかかっこ悪くて持ってきていない。
「今度買います」
来月になれば寒さも和らぐというのにこんなことを言うのもおかしいかもしれない。けれど何となくポケットに手を入れてしまうのはかっこよく見せたいという思いなのかもしれない。
坂道を登りきると昇降口が見える。
「今日は当番一緒だったよね。また放課後に」
バイバイと手を振る美乃里に誠也は声をかける。
「あの、今日の当番の時ちょっと話があるんですけど、いいですか?」
誠也の真剣な表情に、美乃里は目を少し大きくするが、何か大事な話なのは理解できた。
「いいよ。人があまりいないときのほうがいいよね?」
「はい、すみません」
気にしなくていいよ、と美乃里は言って下駄箱へ向かう。誠也も、自分の下駄箱へと向かう。
(長引かせるなんて……)
授業が長い。
一日が長い。
そんなわけはない。
授業時間は普段通り五十分だし、休憩時間も十分。一日の長さだって当然二十四時間。変わることはない。
だが、今日この日においては誠也にとって永遠とも思えるくらい長く感じられた。
昼食時間においては寝ようとも思ったが、これだけ心臓の鼓動を自覚できるのに寝れるはずもない。夕べだってそんなに眠れた感じはしなかった。
購買のパンをかじりつつ考える。
(亜香里先輩にはいつ連絡しようか)
連絡しなくても翌日の新聞配達の時には会えるのだが。今朝は行わなかった。順番が違うからだ。
ラインでも連絡はとれたが直接がいい。この時代には古臭いのかもしれないけどラインで行うのははばかられる。
色々考えているうちに昼食を食べ終える。そのあとは本を読むがなかなか頭に入らず何度か読み返す始末だった。
授業への集中も難しい中ではあったが、ようやく放課後へとたどり着くことができた。
「お疲れ様です、美乃里先輩」
「お疲れさまー」
図書室に入ってきた先輩に声をかける。
ここからが本当の舞台で、「その話」をするまでがまた長く感じられるのである。
返却しに来る生徒、塾に行かない生徒が勉強しに来たりする。返却貸し出しや一時的な調べもの程度であれば大した時間もかからないが、塾に行かない生徒は長ければ最後までいる。
さすがに今日は帰ってくださいなどとは言えない。
隣にいる美乃里を見れば美乃里もたまに誠也のことを見る。
その様子はよく言えば付き合い始めたカップル。悪く言えばトラブルがあって仲直りしづらくなっている友人。
「あ、俺返却してきますよ」
「ゴメンね、お願い」
いたたまれなくなり、重ねてあった本を手に取り本棚への返却作業を行う。
美乃里はパソコンの入力をしつつ、貸し借りの対応を行っていた。
「ふぅ」
誠也のいなくなった椅子を見て、見えないところで息を吐く。
今から告白をしますと言わんばかりのオーラをあれだけ出されていれば、こちらも緊張してしまう。
まして誠也は一度告白して保留と言うことにした相手。
それがまた少しお互いのことを知ってから告白をしに来たのであれば緊張もする。
今までとは違って知ってる相手からの告白には免疫がない。
ただ、美乃里の返事は決まっているし、伝えたいことも心の中に出来出ている。
言うタイミングがないだけだ。
物理的な距離は近くても、精神的な距離を遠く感じてしまう。
(誠也君、私にがっかりしないかな。見当違いのことを言って、傷つけてしまわなければいいんだけど)
美乃里の気持ちも知らずに誠也はいそいそと作業をしている。
返却や調べものをしている生徒は大体減った。
残っているのは勉強をしている生徒だ。
(このくらいだろうか)
「美乃里先輩」
「う、うん。いいよ」
お互いに緊張の面持ちで対峙する。
「あの、俺は美乃里先輩のことが好きでした」
『好きでした』と言う過去形には当然だが引っかかるものはあるだろう。しかし、それも美乃里の予想の範疇ではあった。
「うん」
先を促す。
「今も美乃里先輩のことは好きですし、きれいで、頭もよくて、優しい美乃里先輩のことは好きです」
呼吸を整えて次の言葉を放つ。
「ごめんなさい」
誠也が深く頭を下げる。美乃里の表情は変わらない。その表情が次を促しているように感じられる。
「俺は美乃里先輩のことを尊敬しています。俺の気持ちは尊いとか、見習いたいとか、褒められたいとか、そんなちょっと子どもっぽい気持ちでした」
美乃里先輩は真剣な表情で続きを聞いてくれる。
「だから、みっともないけど俺からの告白を撤回させてください」
美乃里は少し考えて、ちょっと残念そうな顔で答えた。
「撤回はしてほしくないなぁ。だって、これだけ真剣に考えてくれた人って多分今までにいなかったんだもの」
微妙な顔になる誠也に美乃里は微笑んで続ける。
「私はね、もし誠也君が告白していたら断るつもりだったの」
誠也は目を丸くして驚く。ただ、それもしょうがないのかもしれないと受け止めている。
「何故だか、分かる?」
誠也が察してこくんと頷く。
「だから、私は誠也君の告白を断ったし、尊敬される立場としては誠也君がそうやって成長していってるのをとても嬉しく思ってるよ」
すみません、と謝る誠也に近づいて声をかける。
「誠也君はとても誠実な後輩。そういったところは私も尊敬してる。だから、今の気持ちを打ち明けたい人にはその誠実さで真正面からぶつかっていってね」
憧れた人にフラれ、励まされたことに恥ずかしさからかポトリ、と涙が落ちる。
「あえてアドバイスするなら」
美乃里はちょっと悩んですぐに答えを導く。
「正面から行けばいいんじゃないかな」
「何から何までお世話になりっぱなしですみません」
「いいよ。それよりフラれたからって図書委員さぼるようにはならないでよ」
「大丈夫です」
ちょっと意地悪っぽい笑みで言った美乃里に、誠也も笑顔で応えた。
「もう暗くなってるから帰ってるかもしれないけど、一度ラインでいるか聞いてみたら? 決意が鈍る前に行った方がいいよ」
どこまでも優しい先輩。
でも図書委員の仕事はこなす。そのうえでじゃないと、大人になっていけない。
『まだ学校内にいますか?』
ラインを送った相手はちょっとしたら返信をくれた。
『部活終わって着替えてたとこ。どうしたの?』
よかった。まだ校内にいるんだ。
『委員会が終わってから話したいことがあるんで、校門辺りで少し待っていてもらえませんか?』
『いいよー』
軽い返事が返ってきた。これから何を話されるか、多分気づいていないのだろう。
午後六時を過ぎて図書室を占める。
「鍵は私が返しておくから、誠也君は、ね」
軽くウインクして促すと、少し照れて行ってきます、と階段を降りて行った。
はぁ~、と大きく息を吐く。
「失恋はこんな感じなのかな」
美乃里は誠也のことを悪く思っていなかった。ただ、可愛い後輩の域は抜け出せなかった感は否めない。
でも、そこいらの男子とは違う。大切な存在だった。
だからだろうか。
涙が出てくるのは。
「頑張れ」
これが初恋だったのかどうかがわかるのは、もっと先になってからだった。
廊下を焦らず急ぐ。
避難訓練で言われることだが、個人的感情となると焦るし急いでしまう。
走らないまでも競歩気味で下駄箱までたどり着く。
靴を履き替えたらそこからは廊下ではない。ダッシュ。
雪で滑りそうになったところをキャッチしてくれたのは辺見亜香里だった。
「大丈夫?」
亜香里の柔らかい胸に抱かれていることに気づき、バッと離れる。
「すみません!」
大仰に謝ると、亜香里は気にしないで、と笑って言ってくれた。
誠也の息が整うのを待って、話をする。
「それで、話って何?」
笑顔で聞いてくる亜香里に、真正面から答える。
「亜香里先輩、好きです」
時が止まったように笑顔が固まった。
亜香里にとっては大した用事ではないと思っていたからだろう。
「美乃里先輩にはさっき話をしました。俺が好きなのは、亜香里先輩なんです」
「ちょっ、ちょっと待って」
亜香里は誠也の腕をつかんで確認する。
「それって恋愛対象として?」
「はい」
誠也はいたって真面目に答える。美乃里にも話したという。
「美乃里は何だって?」
「成長していってるのを嬉しいと」
うーん、と亜香里は悩む。
自分の気持ちには気づいている。ただ、ここですぐはい私も好きです付き合いましょう、とは言いきれない。
「誠也君はそれでいいの?」
後悔しないだろうか? きれいで頭もよくてちょっとドジっ子な面もあって、愛嬌のあるあの子より私を選んでしまって。
「ずっと悩んでたんです」
誠也は亜香里の目を見て話す。
「自分は美乃里先輩のことは好きなはずなんだって。でも亜香里先輩と過ごす時間が増えていくたびに、美乃里先輩は尊敬する対象で、亜香里先輩とは一緒にいたいんだっていうことが分かってきたんです」
浮気をしたんだと思われるかもしれない。
けれど、自分の気持ちをそのままぶつける。
「美乃里先輩には理解してもらえましたし、フラれました」
美乃里の返事に、亜香里は目をつむる。
美乃里は本当にそういう気持ちでフッたのかな。気を遣ってそうしただけなんじゃないかな。その可能性はある。けれど確かめたところで答えは同じなのだろう。
「誠也君、私と付き合って何かメリットある?」
「嬉しいです。幸せです」
単純な回答だ。模範解答かもしれない。見た目やお金とかそういったことで付き合おうと思ってる人ではない。勿論それは今までの付き合いでわかっていたことだけど。
「そんなことだけでいいの? 私と付き合って」
「亜香里先輩は俺のこと、嫌いですか? 恋愛対象として」
「っ……」
恋愛対象としてと加えられてつまってしまった。そうでなけれな即答で嫌いではないと答えた。これは、答えを待っているんだ。
「私でいいの?」
しつこいくらいの質問をしている。それくらい、亜香里は自信がないのだ。自分の、女性としての魅力に。
「亜香里先輩がいいんです」
また言葉に詰まってしまった。でも、これはもう答えが決まっていることへの、自分の言葉を押し出していいのか、と言う葛藤だ。
「私も、」
深呼吸をする。こんな経験は一生で一度にしたい。
「私も誠也君が好き」
へにゃ、と腰が抜ける。
言えたことで全身の力が抜けてしまった。
「亜香里先輩、大丈夫ですか⁉」
「うん」
誠也の腕にしがみつき、何とか立つ。
「私たち付き合っていいの?」
「それを決めるのは俺たちです」
亜香里をしっかり支えて誠也がつぶやく。
「俺たちまだまだ知らないことばかりだとは思いますけど、それも含めて楽しんでいきませんか?」
「そっか、そうだね」
亜香里は笑顔で応えてくれた。
「それにしても付き合って早々おんぶとか、恥ずかしいな」
腰が抜けた亜香里を、誠也がおんぶしている。
「彼女としては恥ずかしいよね」
後ろから美乃里の声がする。
「美乃里」
「美乃里先輩」
うまくいってることに満足そうな笑顔を浮かべる。
「美乃里、あのさ」
「何にも聞こえませーん」
すっと前に出て聞こえないふりをする。
亜香里の感謝の言葉を聞かないようにするために。
「学期末テスト、彼氏と遊んでたから点数低かったとかなったら大変だよね」
「美乃里ぃ~」
三人に笑いがあふれる。
これからも、この三人に幸せがあるように。
諦めなかった「その人」を嫌いにならない理由 草薙優 @nagimon
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