エピローグ
今頃魔界ではアメティスタ家の公開処刑が開催されている。他人の死を間近で見たこともなく、傷付く姿すら目に入れられなかったリシェルが容赦なく殺されていく他人を見て正気は保てないとして、父リゼルから公開処刑の参加か固く禁じられた。駄々を捏ねてもこれだけはリゼルも譲らなかった。最後まで見届けたかったと呟くと頭に手が乗った。隣を見上げたらネロの純銀の瞳が優しくリシェルを見つめていた。
「まだ拗ねてるの? リゼ君なりの気遣いさ」
「分かってても、ちゃんと最後まではって決めてたのに」
「私もリゼ君に賛成。君には早い。執行人はリゼ君でしょう? 女子供でも容赦しないリゼ君が誰かを殺す場面を見て君が正気でいられるとは思えない。正しい選択だったんだ」
ネロでさえリゼルが正しいと言うのだから、自分が間違っているのかと錯覚してしまう。気遣うように頭を撫でられていると不意に動きが止まった。
「君の気持ちも分からないでもないが、王子様とお別れをしたばかりでしょう? 心に負担が掛かるのは今は避けなきゃ。君が壊れる」
「うん……」
自分なりに最後のお別れをした。尤も、向こうはそうは思っていない。
幼い頃大好きだった
こうして人間界にいるのも魔界にいるとノアールのことを考えてしまうから。ネロがいるから人間界にいるよとリゼルに告げた際、ショックを受けた顔をされたのはどうしてだったのか。側にいたネロが噴き出したのも謎である。
滞在している宿の部屋で、二人並んでベッドに腰掛けている。ネロの肩に頭を寄せた。
「殿下に……やり直したい、好きだったって言われて嬉しかったの。……でもね、殿下を信じられなかったの」
ノアールが好きなのはリシェルだった。
喜んで受け入れます。
御伽噺なら、その後二人は幸せに暮らしましたとさ。で終わる。
現実はそうはならない。
「また嫌われたら、別の恋人を作られたら、って思うと怖いの。私自身がずっと殿下を好きなままでいられる自信もなかった」
「後悔してるの? 王子様の手を振り解いて」
「……今だけだよ。きっと」
時間が経てば苦い思い出として残る。ノアールだって何時かは立ち直って新しい恋を見つけるだろう。
「私も新しい恋を見つけたい……」
「悲しい台詞を言わないでおくれ」
心の中で呟いたつもりがしっかりと声で出ていたみたいで。慌てて口を塞ごうとするも、後ろから回り込んだネロの手に顎を掴まれて上を向かされた。何かを言う前にネロの唇で塞がれた。触れているだけなのに全身の体温が顔に集中して熱い。至近距離から見つめられ、まともに見られなくて目を閉じると顎から手が離れて後頭部と腰を支えられながら後ろに倒された。ハッと目を開けたら、視界一杯にネロの顔がある。逃げたくてもキスはしたまま、押し倒されているせいで身動きも取れない。
「あ、あの、あのっ」
「悪魔は人の心を弄ぶのが好きな生き物だね。私から違う相手に乗り換えるの?」
「なに、言ってっ」
「新しい恋をしたいの? 困ったよ、私は君を手放す気は更々ないのに」
話していても唇が触れるせいで、キスをしているのか話しているのか分からない状況に真っ赤な顔のまま慌てるリシェルを見下ろすネロはとても愉し気で。
「で、でも、ネロさんは天界で一番偉い人なんでしょう、悪魔の私とじゃ」
「元神だよ。現役の神は私の甥っ子。間違えちゃいけない。神と悪魔の恋か。はは、物語みたいで面白いね」
「面白くないっ」
「ねえリシェル嬢。私と触れ合うのは嫌? キスは嫌だった?」
「……」
問う口調なのに、惚れ惚れする美貌は既に答えが分かっていると書いてある。口にするのは恥ずかしいのに、言うまで離してくれそうにない。
「……じゃ、ない」
「もう一度言ってごらん」
「嫌……じゃ、ない、よ」
口にして、聞かれてはもう後戻りは出来ない。火が吹きそうになる程赤い顔を隠したいのにネロは許してくれそうにない。コツンと額を合わせられる。
「本当に?」
「意地悪……っ、嫌じゃ、ないもん」
「はは……そっか。良かった。君に拒否されたら悲しくて泣いちゃうとこだった」
「嘘っ」
「嘘じゃないよ。…………悲しくなって閉じ込めちゃいそうだよ」
「?」
ほんの少し、瞳を逸らされ何かを言われるが声があまりにも小さくて聞き取れなかった。何を言ったか聞いてもまたキスをされた。キスで誤魔化されないと怒ってもネロは笑うだけで話してくれない。
「誤魔化さないで!」
「気にしないの。さて起きようか」
「きゃあっ」
後ろから力を入れられ上体を起こされネロの膝上に乗せられた。子供扱いは嫌だと抗議しかけたら抱き締められ、腕の中の心地良さに抗議の意思も消えた。おずおずと自分からネロの背に腕を回した。細身に見えて背は広く、リシェルの手が重ならない。無駄な脂肪もないのか体は固い。甘い香水の香りを嗅いでいると恥ずかしくなるのに、リゼルとは違う安心感に包まれて居心地の良さを堪能する。
「この後は何をしようか? 折角だから、デートでもする?」
「もう、天使は襲ってこない?」
「ああ。悪魔狩の追試は完全に中止させたからね。
天使じゃなくても、君に危害を加えようとするなら私が守ってあげよう。安心してデートをしよう」
「うん。……じゃあ、行きたい場所があるの」
「どこ?」
「あの湖に行きたいの」
「リシェル嬢は湖がいたく気に入ったみたいだね」
今日はビアンカが襲撃してきた時の曇ではなく、雲一つない快晴。水面が陽光に照らされキラキラと輝いている。快晴の下、美しい湖の周辺をネロと歩きたい。
美しい湖と自然を堪能しながらの散歩は特別な事は何もしないのにとても楽しいのだ。ネロを見上げ「駄目……?」と不安な顔を見せたら、眉尻を下げられ額にキスを落とされた。
「断ると思うのかい? 私が。それくらいで嫌だと言う奴はいないよ。
何処へでも一緒に行ってあげるから、不安な顔はしないで」
「ネロさんは嫌なのかなって思って」
「君が一緒にいてくれるのなら退屈はしないから、何処でも行くよ。ほら、行こうか」
お互いの体を離し、ベッドから立ったネロが手を差し出す。迷わずネロの手を取り、強く握ったリシェルは部屋を出た。そのまま宿から出て湖へ向かう馬車の停車場を目指した。今日も人が多い街。すれ違う人々の中に悪魔は何人いるのか。人間社会に溶け込む悪魔は決して正体がバレないよう慎重に行動をする。人を食い物にする悪魔は遅かれ早かれ天使に見つかり狩られる。人間界に住むのは変わり者が多いが、彼等が人間を襲わず平和に暮らしているから。
「散歩が終わったらカフェでお茶をしましょう! 美味しいスイーツも沢山食べるの!」
「いいよ。沢山楽しもう」
「それと人間の暮らしがもっと知りたい。魔界にいても、社交界での噂は暫く無くならないだろうし、私がいない方が殿下も気を遣わずに済むでしょう?」
「そうだね」
――いない方が却って彼の気をそわそわさせるのだけれどね……
言わないでおこう。
無邪気にはしゃぐリシェルを愛おし気に見つめ、視線に気付き見上げたリシェルに口付けた。人の往来が激しい道のど真ん中で堂々と口付けをしたネロのお腹を真っ赤な顔でポカポカ叩くリシェルがとても愛おしい。多数の視線を集めようがネロにはどうということはない。
馬車待ちしているであろう列の最後尾に並んだ。早く自分達の順番が回ってこないかと思う以前に転移魔法を使って一瞬で飛ぼうと考えが過るも。
「こうやって二人で待つのもデートに入るよね!」
とあまりに嬉しく、楽し気に聞かれたネロは転移魔法を使う考えを捨て去った。
二人で誰の邪魔もない楽しいデートを満喫しよう。
ノアールへの気持ちが完全に過去の物になる時が早く来るように、リシェルへの愛情はこれからも惜しみ無く注いでいくネロである。
●○●○●○
これにて完結とさせていただきます!
番外編等もその内公開したいと思います。
最後までお付き合いくださりありがとうございました!
殿下が好きなのは私だった @natsume634
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