第5話
――。
「うおお
陽の光がまぶたに刺さり、鳥のさえずりや、あの者の声が聞こえ……
「ははっ、案外図太いんだな」
――あの者の声が、言葉が、聞こえた。
はっ、と身を起こすと、あの者が遠ざかっていくのが見える。視力が上がっていた。――視力ってなに?
自分は今どこにいるのかとあたりを見ると、ここは玄関だった。――玄関ってなに?
『おはよ』
『おはよう。もう少しでごはんできるから待ってなさい』
戸の向こうから人間の言葉が聞こえる。――戸? 人間……?
玄関のガラスから朝日が天使の梯子のように透け、草木から朝露がしたたる音がする。
『おふくろ、今日帰んだよね』
『ええ』
『親父によろしく言っておいて』
『はいはい』
大きな生きもの――人間の言葉が理解できる。
――見える世界が一変していた。
なにが、起こって……。
私は混乱した頭で、答えを求めるようにふらふらと人間のもとへ向かう――廊下から台所へ繋がる戸が閉まっていた。自慢の爪で戸を開けようとするけど……戸のガラスが、がしゃんがしゃんと音を立てるだけで開けることはできなかった。
『猫ちゃんかしら』
『そうじゃね?』
そして、すっ――と戸が開いて、
「どうした? お前も飯か?」
やわらかな口調であの者が聞いてきた。目の前に人間があらわれ、咄嗟に逃げようと脚が動きかけるけど、温かな表情をしているのを見て留まる。
そして――あの、ごはんではなくて……と声で伝えるも、
「そうか、やっぱり飯か。待ってろ今出してやるからなーっと」
「昨日の、まだ食べてないんじゃないの?」
「…………あーほんとだ、食べてねえわ」
「じゃあトイレじゃない?」
「トイレ? ……そうなん?」
伝わらず、私は声を上げる。
違います!
「トイレだってさ」
「その子、野良なんでしょう? ならまずはトイレの場所を覚えさせないと」
朝風のかおりが漂うなか、焼き魚のにおいが胃を刺激する。
「どうやって?」
「なんとなくで」
「ええ……」
違います! トイレじゃなくて……。
「あー、オーケーオーケー。トイレはこっちだぞー」
どうやらこちらの言葉は伝わらないらしい。
あの者が「こっちだぞー」と呼ぶ。とことことついていき「違う、そうじゃない」と伝えるも、
「お前のトイレはここな」
人間のトイレの場所に置いてくれたらしい。私が入りやすいよう、戸を少し開けてある。
ありがたいけどそうではなくて。
いま私の身に起こっているこれはなんなのか知りたい。
いや、なんとなくわかっている。
昨日、あの神社で同族のような人間――奇怪な者に撫でられたのが原因だと思う。
だから目の前にいるこの者に聞いても答えは得られない。
答えがほしければまた神社へ行くのが早い。
でも……、どうしよう……。
うなだれてつぶやく。
一人であの神社へ行くのは、こわい。
昨日の、首根っこを掴まれ運ばれる感覚を、神社にいた奇怪な人間が「おいで」と呼ぶ声を思い出し、背筋が震える。
ああ、これだから人間は嫌いだ――。
「あれ、トイレ入んねえな。ここだと嫌か? でもなあ、ここなら換気扇回しっぱにできるから風通しいいし、人の出入りも少ねえし、一番いいと思うんだけど」
そして、「だめか?」頭のうしろに手を当てて言った。
すずめのさえずりが耳に届く。
――この者も人間で、だから信用できるかわからない……というか、こうしている今も逃げようと脚が動きかけるくらいには信用していないけど。
「おふくろー猫のトイレって他にいい場所ねえ?」
「自分で考えなさい」
「ういーっす……どうすっか」
でも、優しげに困った表情でこちらを見て、「どこがいい?」と聞いてくるこの者なら、少なくともひどいことはしないんじゃないかって。
だから、私はこの者の顔を見て、
あの、ついてきてもらえませんか?
一緒に来てくれないか、と声を出す。
「なんだ?」
この者はしゃがみながら言い、そしてゆっくりとまばたきをした。
えっと、こっちへ。
私は外へ出るため玄関に向かって数歩あるいてから、振り返る。
「……ん? トイレじゃない?」
ついてきてください。
「ついていきゃいいのか?」
よし! 伝わった!
私がさらに数歩進んで振り返ると、
「よっこらせ」と立ち上がって近づいてきた。
そうそうそう!
そうして、進んで振り返ってを数回。
玄関の前に来るとすずめの声がより大きく聞こえる。
開けて! 一緒に来てください!
「なんだ、外で遊びたいのか。うーん、もうちょっとここに慣れてからな? 少しのあいだ我慢してくれ」
と、上がり框に座って言った。
だめだー! 伝わってなかったぁーっ!
猫はあなたと陽だまりで 猫戸ヤマメ @NekotoYamame
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