聖なる海とパイナップルワイン。
五色ヶ原たしぎ
聖なる海とパイナップルワイン。
今からおよそ二十七年前。真夏の沖縄旅行を満喫した両親が、その帰りしなにパイナップルワインを購入しなければ、私は誕生しなかった。アルコール耐性ゼロに等しい父が、バカンスの余韻に浸って羽目を外さなければ、
万全だった幸せ家族計画に、無計画に付け足されてしまった私。
うすら寒い出生秘話を聞かされたのは中二の時だったと思う。ひとまわりも年の離れた姉と私と、夫婦円満な両親とで囲むいつもの食卓。ブラウン管から垂れ流される旅番組に触発された父は、なぜだか得意げに真実を語りだした。
当時、思春期真っ只中の私である。望まずして、自身と沖縄の間抜けなご
「そっか……。できちゃったんだね、私は」
力なく項垂れる私に、父は大慌てで補足した。そのパイナップルワインは、アルコール度数11度だったらしい。
要らんわ、そんな情報。
というわけで私は、那覇空港の土産売り場と酒類全般を恨めしく思っている。社会人というものを三年ほど
「ねぇ見て! やばい、夕焼けがやばいよ!」
取り留めもなく過去に浸る私を、弾む声が呼び戻した。紺碧の海へと沈みゆく、特大の夕日に興奮する
「うんうん、たしかに絶景。たまには休暇も大切だね。まぁ私にとっては、自分のルーツを辿る旅だったりもするけどさ」
私は聖なる海とサンシャインを横目に、ポークステーキに舌鼓を打った。染み出る肉汁が舌の上で踊っている。脂身ばかりのはずなのに臭みがないし、それどころかほんのり甘くて花まるのお味だ。さすがだぜ、あぐー。
「おーおーおー? 小海ちゃんは哲学モードですか? せっかくの沖縄なんだから、小難しいのはナシでお願いしますね」
にまにまとした笑顔で、朝陽が椅子ごと擦り寄ってくる。艶めく黒髪が夕焼けに染まって、いつも以上のあどけなさを感じた。そのテンションが三割増しのせいか、可愛さも三割増しになっている。
「はいストップ、二の腕をつままない。いちゃつきたい気持ちはわかるけどさ、今はまだその……ほらっ」
人目を憚らずスキンシップを試みてくる朝陽を宥めて、ディナーの続きを促した。白く塗られたウッドデッキには、他の宿泊客も大勢いるのだ。
ここは沖縄県名護市。
「りょ。実はあたしランキングでも、今はあぐー豚の討伐が最優先だったり」
「でしょ? 色気より食い気って言うもんね。スタミナつけとかないと、異動先で潰れちゃうよ?」
就職先から所属先まで同じだった私たち。しかし朝陽は、この春先に営業部へと移された。私の社内リサーチの結果、彼女の無邪気さの裏に隠れた、高い社交性を買われての異動だということが分かっている。うん、上層部も意外とよく見ているものだ。私にとっては、まったくもって余計なことをしてくれたという感想が勝るけれど。
「ホントそれ! 企画から営業行きとか意味わかんない。まぁ実際、あたし発信の企画は没続きだったけれども……」
だからスタミナを、と言わんばかりの困り顔で、朝陽は私のあぐーに狙いを定めた。適当な大きさにカットしたあぐーを、朝陽の口の中に放り込んで、なるべく平淡を装って切り出す。
「苦行だよね、色々と噂は聞いてる。最近ゆっくり話せてないし、なにか相談に乗れることがあったらさ……、この旅行でとことんまで付き合おうと思って」
少しだけ含みを持たせて、朝陽の反応を窺ってみる。これまた私のリサーチによると、朝陽にちょっかいを出している不届き者がいるようなのだ。
罪人の名を
「まったくもう、小海は心配性だからなぁ……。噂ってあれでしょ? 安藤さんのことを言ってるんだよね?」
「ひゃ、ひゃんどうさん?」
いきなり核心を突かれて、私の声が裏返った。日も落ち切る前なのに、まさかの本丸急襲である。
「あ、安藤さんって、あれかな? 営業部のエースかつ高スペックの、なんだかチャラチャラした人かな?」
「うん大体合ってる。さっすが小海ちゃん」
あぐーの脂身が攻撃力を増して、胃袋に「よっこいしょ」ともたれかかってきた。トロピカル丸出しのジュースをずずずっと飲み干して、肉汁の反乱をどうにか鎮める私。パイナップルとシークヮーサーの酸味に、口腔内がちりちりと痺れている。
「その安藤さんと、何かあったの?」
事情聴取みたいにならないように、とにかくフラットを心掛けて踏み込んでみた。
「飲み会の時にね、ちょろっと思わせぶりなこと言われただけだよ。まぁ確かに、あの人って良くない噂あるもんね。小海ちゃんが心配になる気持ちも分からんでもない」
「の、飲み会……?」
「歓迎会とも言うかな。もちろんあたしの」
人好きのする笑顔で、朝陽が私の表情を覗き込んできた。加虐心を隠そうとしない彼女は、だらしなく緩む口元も隠せていない。
飲み会での席順を思い浮かべては、すぐさま真っ黒に塗り潰す。女たらしの安藤は私の敵だ。一人焼肉みたく、仕切りと仕切りの間に閉じ込めておきたい。
あるいは朝陽を、私のずっと目の届くところに。
「いやはやでもさぁ……、こんなにモテる彼女がいて、幸せ者じゃないかぁ小海ちゃん!」
あっけらかんと言い放つ朝陽の何かが、私の黒い部分を焚きつける。
「あ、朝陽、あのさ!」
「はい」
勇み立って声を張り過ぎたせいで、周囲の視線が集まるのが分かった。対する朝陽は、途端に澄まし顔だ。そんなのって、ずるい。
「そうやって私で遊んでストレス発散するの……楽しい?」
「楽しい」
神妙な面持ちで、それでも朝陽は即答した。ここまできてやっと、私は自らの立ち位置を理解する。
お悩み相談だなんて、お高く留まっていた私が間違っていたのだ。悩みを抱えているのは私で、相談に乗って欲しいのも私。頭から離れない良からぬ噂を、思う存分に問いただして安心したかった。包むべきオブラートが見当たらないまま、私は朝陽に訴えかける。
「……私だってさ、別に朝陽を疑ってるわけじゃないよ? だけどさ、万が一があるじゃない。お酒の席なんてそれこそ、何が起きるか分からないんだから」
運命を、感じちゃったりとか。
運命と、勘違いしちゃったりとか。
そういったことが、あるかもしれない。アルコールの代謝が追いつかなくて、アルコール血中濃度が高まればきっと。いわゆる
「ねぇ小海ちゃん? そんなに心配してくれてただなんてさ、あたしは嬉し──」「──当たり前でしょ!」
噴火する私に、朝陽が思わず身を縮める。その様子さえ愛おしく思うけれど、すでに堰を切ってしまった私の感情は止まらなかった。
「だって朝陽にはさ、経験があるんだから……。朝陽は私じゃなくたって、男の人とだって大丈夫なんでしょう? だから当たり前。心配するに決まってるし、心配かけるだなんて頭がおかしい!」
怖くてきちんと確かめたことはない。だけどいつからか、私はそう確信していた。言い寄ってくる男たちへの余裕や、振る舞いを見ていれば直感で分かる。朝陽には、男性経験があるのだ。そこらへんの原理が根本的に、そもそも男性を受け付けない私とは決定的に違ってしまっている。
「待って、ごめん。ちょっと聞いてよ小海。あたしが悪かったの。ホントにごめんね? 調子に乗ってからかい過ぎたよ。こんな悪ノリもうしない。約束する」
「ううん、許さない。私は断じて、許さないから!」
手のひらでテーブルを叩きつけると、心臓が跳ねて視界が滲んだ。両手を合わせて謝罪する朝陽に、見知らぬおじさんが「大丈夫?」と声をかけてくる。朝陽は慌てふためいた様子で、「へ、平気です」と泣き出しそうな表情を浮かべた。
ほら、弱った様子ひとつ取ったって、朝陽が世界一可愛いのは間違いない。だから見知らぬおじさんだって、涎を垂らしながら近づいてきたに違いなかった。あわよくば狙っているのだ。私だけの朝陽に、運命の一発を撃ち込もうと。
「そこのおじさん。人の彼女に何のご用ですか? あんまりしつこいと警察を呼びますよ?」
そう言っておじさんの手首を掴むと、想像以上にごつごつとした感触があった。このたくましさが雄という生き物ならば、力比べではまず勝てないだろう。強敵あぐーにそうしたように、フォークとナイフを装備して挑むべきかもしれない。
「もう、いい加減にしてよ小海ちゃん! 急にどうしちゃったの。これじゃまるで──」
言いかけてハッとした朝陽が、お腹を抱えて笑い出した。澄ましたり困ったり笑ったり、その表情のひとつひとつに私も涎を垂らしそうになる。いくつになっても情緒不安定な朝陽を、私は永遠に守り続けたい。
「──だってこんなことってある? あははは、まるでコントじゃん! だめ、笑ってる場合じゃないんだけどね、どうしても笑っちゃう」
なんだかご機嫌な朝陽へと向けて、おじさんがアイコンタクトを飛ばした。人様の彼女にこっそり求愛だなんて、万死に値する行為だ。朝陽ラブのこの私が、今のを見逃すとでも思ったのか?
「おいおっさん、なに色目使ってんだよ!」
たまらず怒声を上げたものの、いつの間にか私は取り押さえられていた。握ろうと思っていたはずのフォークとナイフがどこにも見当たらない。激しく抵抗する私の耳元で、おっさんが「ちょこっとだけおとなしくしていてね」と囁く。
は? 女だったら
うろたえる私に、おっさんはなおも求愛を続ける。
「ほらお嬢ちゃん、しっかりしなよ。あんたが呼ぶべきは警察じゃなくて、救急車だからね。えっと、誰か! とりあえず誰か、お水持ってきて!」
気が付けば私は、人だかりの中心に位置していた。なのに寂しくて死んじゃいそうで、大好きな朝陽を探す。ようやく見つけた彼女は、ホテルのスタッフに詰め寄っているところだった。見たこともないほど険しい眼差しの朝陽の手に、私が飲んでいたトロピカルジュースのグラスが握られている。
「まったくもう朝陽ってば、変なところで恥ずかしがり屋さんなんだよね」
同じ飲み物が欲しかったのなら、「ちょっとちょーだい」って言ってくれれば良かったのに。そうすれば私は、喜んで差し出すだろう。朝陽が欲しいものならば、なんでも、何度でも。
★★★
青虫色の草原が広がっていた。どこまでも続く線路を
絨毯爆撃の被害者として、この名を慰霊碑に刻むのはご免だ。遺伝子を残そうとしない欠陥品の私にだって、人並みに死の恐怖はある。
「さて、せめてもの悪あがきをしないとね」
そう独りごちてから、スクリーン映えしそうなオープンカーに乗り込んだ。南北にのびる国道を、唸るエンジンでひた走る。ところがどれだけエンジンに余力があったって、【わ】ナンバー以外が
「なるほど、そう来ましたか」
渋滞の最後尾で歯噛みする私は、オープンカーを乗り捨てるべきか否か迷っていた。動くのか、動かないのか、それが問題だ。
サイドミラーはすでに、鳥の群れにも似たB-29の姿を捉えている。ぐおんぐおんと轟く飛行音が、ただならぬ
「まぁ、精神攻撃の次は武力行使だよね。お決まりの展開だけど、ほんと嫌になる」
組織はつい先日、私の両親を使って
「今までただの一度も、彼氏すらできたことないっての!」
こぶしでハンドルを打ちつけると、人を小馬鹿にしたようなクラクションが返ってきた。びりびりと車体に伝わる振動が、爆撃の始まりを伝えている。鼻先にまで迫った死の存在に、自然となみだが流れ落ちた。
「……どうやらここまでのようね。朝陽、せめて最後に、あなたにもう一度会いたかった」
どこまでも
「さよなら朝陽。愛してるよ。私がいなくても大丈夫。あなたなら、営業部でも輝いていられるから」
別れの言葉を呑みこむように、空が爆ぜる。
そして降り注ぐ瓦礫の煌めきは、私が生まれ育った
★★★
頬を伝う水滴の冷たさに、まどろみから呼び戻される。朦朧とする意識がやがて収束するころ、私の眼球は愛する彼女の輪郭を認識した。
「おはよう、小海ちゃん。とは言っても、まだ真夜中だけどね」
「……あ、さひ? あのね、私、ものすごく長い夢を見ててね」
必死で話そうとする私のくちびるに、朝陽のくちびるが押し当てられた。
「うん、まだちょっとお酒くさい。でも大事に至らなくて良かったよ。っていうかあのおじさん、お医者さんなんだってさ。いやー、白衣着てないと分かんないもんだねぇ」
屈託なく笑う朝陽を見て、なおさらになみだが溢れる。要するに私は、ホテル側の手違いでアルコールを摂取してしまったわけか。父のアルコール耐性ゼロは、私にしっかり遺伝しているのだった。
「一応突っ込んでおくと、どんな職業の人も制服着てなきゃ分かんないと思う」
「ん? たしかにそっか。小海ちゃん、ばっちり頭回ってるね」
対する朝陽は、少しだけ眠たそうに見える。私が目を覚ますまで、見守ってくれていたのだろうか。自惚れでもいいから、そう思ってしまいたい。
「……せっかくの息抜き旅行なのに、台無しにしてごめん」
「謝る必要ある? 小海ちゃんに落ち度はないよ」
「でも──」「──落ち度どころか、むしろお手柄だってば。ほら、よく見て」
朝陽は私の後頭部に腕を回して、ゆっくりと上体を起こしてくれた。するとそこにあったのは、豪奢な照明が照らす広すぎる客室だ。その内装のひとつひとつに、お金持ち感みたいなものが滲み出ている。インテリアの知識に乏しい私にだって、この部屋が私たちの支払った金額に釣り合っていないと分かった。
「ま、まさかのスイートルームだったり?」
「正解、お詫びのロイヤルスイートだって。口止め料にしては安いと思うけどね」
片腕を伸ばして、朝陽が厚手のカーテンを開けてくれた。今は暗闇を取り込むばかりの大きな窓だけれど、朝日が昇れば、青空を独占できるに違いない。
「明るくなるとね、貸し切りのプールが見えるんだって。海があるのに欲張りだよね」
それでも今は、暗闇ばかりだった。窓ガラスに映った私に、朝陽が続ける。
「さっきの小海ちゃんね、中学二年生みたいだったよ」
「え、なにそれ」
「いやもうそのままだって。ヤキモチの焼き方とかさ、感情のぶつけかたとかさ」
とんでもなくお高いであろう寝心地のベッドに、私と朝陽は沈み込んだ。触れ合う肌から感じる体温を、不思議と今は遠くに感じる。
「酔っぱらいの戯れ言だと思って、見逃してはくれない?」
「どうしよっかなぁ。酔ったからこその本音だと考えることもできるからね? 小海ちゃんが困ったちゃんなのは、今に始まったことじゃないけど」
「それは、否めない」
今日のような事故を積み重ねて、私はいつか本当に呆れられてしまうのだろう。けれど、それで良いのかもしれない。しばらく前から、私は朝陽にとって本当のしあわせとは何かを考えるようになっていた。このまま私と居続けることが、朝陽にとって最善や最良であるはずがない。
「私さ、遠路はるばる沖縄に来てまで、朝陽に嫌われるスピードを上げてどうするんだろうね」
「こらこら、なんで嫌われるのが前提なの」
朝陽が眉根を寄せる。不快感の裏側に寂しさを見つけて、安心してしまう私は最低だった。
「あのさ、安藤さん、そこそこ評判悪いし……。歓迎会だって、あるならあるで言ってほしかった」
ここぞとばかりに、私の口から恨み言の続きが漏れた。安藤さんの名前を出すだけで、息苦しさが加速する。
「そうだね、ごめん。本当のこと言うとね、小海ちゃんに言ったら面倒なことになると思ったんだ。飲み会のことも、安藤さんのことも、色々──」「──色々? 色々ってなに?」
朝陽の言葉を遮って噛みつく。己の愚かさに、朝陽の目を直視できない。
「……そりゃあね、色々あるよ。私たちは、大人だもの」
朝陽の言葉に、ぐらりとめまいを覚えた。大人だったら、一体なんだというのだろう。それに私の知っている
「あのね、あたしは一滴も飲まなかったよ。小海ちゃんが嫌がるの知ってるから、場が白けたって全部断った。でもそっか。これはそういう話じゃないか」
「もういい。聞きたくない」
煮えたぎる醜い感情のまま、私は朝陽に背中を向けた。一度こうしてしまうと、振り向きかたが分からなくなるのは万国共通だと思う。
「小海ちゃんはさ、いつだって初恋みたいに、そんでもって付き合いたてみたいに、あたしに接してくれるよね」
背中に語りかける朝陽に、私は答えない。これは子供じみた、とてもずるい行為だ。たぶんだけれど、アルコールが完全に抜けきっていないせいもある。そうやってアルコールのせいにして、私は子供じみた自分の行為に免罪符を得ようとしているのだ。
「だからさ、中学二年生みたいなんだって、思う。小海ちゃんの時間はね、止まったままなんだよ。それなのに、あたしの時間は流れていて……、なんていうか、悲しい時がある」
「それでね……。変なこと言うよ? もしかしたらさ、小海ちゃんの時間を止めてるのは、あたしなんじゃないかって。最近、思ったりするんだ。だからね、だから──」
あとに続く言葉はなく、そのまま長い沈黙が、この夜を支配しようとしていた。恋心を拗らせた私は、ここに彼女を置き去りにするのだろうか。ひとりよがりに自分本位に、朝陽との関係を結論付けるのだろうか。
朝陽のいない、日常を想う。
きっとそれは、空虚の連続だ。
耐えがたく救いようのない、がらんどうの日々。
「……嫌だ。別れない。別れたくない」
どうにかただ、それだけを絞り出す。けれど、朝陽からの応答はなかった。今もなお振り向きかたの分からない私は、途方にくれたままで泣き声を殺す。するとややあってから、大きなベッドが海原みたく波打った。朝陽が私の向かいへと移動してきたのだ。
反射的に開けてしまった私の目が、朝陽の
「ねぇねぇ小海ちゃん、もしかして振られると思ったの?」
それどころか朝陽は、笑いをこらえているようにさえ見えた。
「……え? 違うの? だって今、完全に別れ話の流れだったよね」
「人の感情を想像して、『こういうものだ』って勝手に決めつけるのは、小海ちゃんの悪い癖だ」
「それ、前にも朝陽に言われたことある」
しおれる私に、朝陽はゆっくりと口づけをした。今度のそれは、アルコール検査のための行為じゃない。
「別れ話どころか、その逆なんだけど!」
逆? 別れ話の逆って、どういう意味だろう。
「あのさ、本土に戻ったら、小海ちゃんのパパとママにあたしを紹介してほしい……みたいな話」
そう言って、顔を赤らめる朝陽。私の頭の中で、クエスチョンマークが大量増殖していく。
「もう、急に何を言い出すかと思ったら……、今まで何回も会ったことあるじゃん。忘れちゃった?」
これはまさかの、若年性なんとかというやつだろうか。そうなってくると、旅行なんてしている場合じゃない。一刻も早く、腕の良いお医者さんを探さなくては。
「うわ、にぶっ! マジかー。予想外の反応が来ちゃったよどうしよう」
朝陽の投げつけたふくよかな枕が、私の顔面にヒットした。鼻を直撃した痛みにのたうつ私と、手足をバタつかせて悶絶する朝陽。まるでトビウオごっこだ。
「私の両親に会いたい。うーん、それってつまり?」
私が答えに至るその様を、朝陽がじっと見つめてくる。恋人を両親に紹介するという行為は、世間一般的に考えれば結婚に向けての第一ステップだろう。ん? え? もしかすると私って今、プロポーズされたの? ええええ?
「朝陽が、私の両親に会う……。うん、それって要するにさ」
「そういうこと! 小海ちゃんの交際相手として、あたしを紹介してほしいの。そうしない限り、小海ちゃんの時間は止まったままだって気が付いたから」
凛々しさすら感じさせる朝陽の表情に、私の胸が高鳴った。私の両親がたとえどんな反応を示しても、朝陽と一緒ならばきっと恐れる必要はない。
「朝陽、ありがとう。私あなたのこと、マジ愛してるから」
「知ってる知ってる。でもなんかそれ、さっき寝言で言ってたやつより軽くない?」
途端に悪い顔をした朝陽が、青ざめる私の胸に飛び込んできた。彼女の体温とたしかな重みに、私はようやくとして正しい呼吸を取り戻す。
「ねぇねぇ、小海パパへの手土産はさ、パイナップルワインにしようよ。たしか11度だっけ」
「このタイミングで意趣返ししちゃうわけ? 朝陽ってば、大物すぎるよ」
誇らしい私の恋人は、抜け目がないというか容赦がなかった。
「凍りつくかな? 慌てるかな? リアクションが楽しみだねっ」
じゃれ合う私たちは、今晩の出来事を思い出のひとつとして語り継ぐだろう。遠い日の縁側で、誰かに話して聞かせているかもしれない。これじゃあまるで、のろけ話じゃなくて笑い話だけれど──。それでも私は、なぜだか得意げにこの話をするのだと思う。
★★★
余談ながら本エピソードの二週間後、私は安藤さんから交際を申し込まれた。実際に向き合った彼は決して口から生まれた男などではなく、誠実を絵に描いたような好青年であった。
彼への偏見や敵対心をひとしきり反省したその上で、朝陽が抱えていた葛藤を初めて知ることになった私。
「安藤さん、ごめんなさい。私には将来を考えている人がいるんです」
頭を下げながら私は、海よりも深い朝陽の優しさに、永遠の愛を誓ったのだ。
聖なる海とパイナップルワイン。 五色ヶ原たしぎ @goshiki-tashigi
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