第3話 四ツ辻の狂気03
1人暮らしの大学生の冷蔵庫ほど、つまらないものはない。
もとよりこまめに作り置きをする性格ではないし、自炊は趣味でもないため、食材はほとんど入っていない。
あるのは20歳になって試しに買ったきりの缶ビールが1本、ケチャップやマヨネーズなどの調味料と、2Lの水。
食事は大学にいる時以外は、数日保つカレーになるか、コンビニで買ったものになる。
実家からの仕送りはない。運良く大学の寮に入寮することができたため、これまでの貯金や、大学から紹介されたアルバイトと、厳しくなった時は、他の寮生たちと鍋をして食い繋いでいる。
大食漢なわけでもなく、特に趣味もない、つまらない人間だ。
今生きていけるだけいいさと思いながら、俺は昨晩の残りのカレーを温めた。
▽ ▽ ▽
23時59分。風呂に入った後、明日提出の課題に取り組んでいると、スマートフォンが鳴動した。
画面を確認すると、非通知から着信があった。
こんな時間に非通知で掛けてくる知り合いはいないと無視をして課題に向き合うと、10秒程して電話が勝手に繋がった。
『もしもし』
高くも低くもない、無機質な機械のような声だった。
『ヤマブキさん』
『ずっと待ってる』
『きて』
『鴉間通り』
『早く』
電話の相手は、ずっと同じ言葉を繰り返している。
気味が悪くなって電話を切ると、今度はメールが届いていた。
「なんだこれ……?」
宛先は文字化けしていて読めない。件名がなく、地図が添付されているだけのメールだった。
場所は大学周辺の四ツ辻。その中央にピンが立っていた。
「行けってことか?」
思わず漏れた言葉に反応するように、新着メールが届いた。
スマートフォンのデフォルトの着信音と共に、再び同じ文字化けした宛先。
今度は大学内で隠し撮りされた俺の写真が複数枚添付されていた。
「気持ち悪いな」
嫌悪を隠すことなく吐き捨てるように呟きながら、写真をスクロールしていく。
食堂で空木と共に食器を返却棚に戻すところ、開放科目の授業を受けているところ、五十嵐と話しているところ、スーパーマーケットで買い物をしているところ、そして寮で机に向かいながら課題をしているところ、全てが後ろから撮影されていた。
ぎょっとして振り返るも、背後には何もいない。明らかな異変に、俺は空木にメールを送った。
返信はすぐ来た。
────────── From ウツギ 三ヨゾノ Sub Re >Re 本文 > それ、かなり危ないんじゃないかな?
今の隠し撮りの写真も送られたってことは、言う通りにしないと逆に危ないと思う。
────
俺はこの返信を見て、妙に納得した。そうだよな、空木のいう通りだ。俺に何かできる距離にこれはいるんだ。このまま行かない方が安全な可能性もあるが、少なくとも、四ツ辻に行くまで安全は保証される。
万が一の為に、今連絡のつく相手全員にメールを送っておいた。俺はサバイバルナイフやモバイルバッテリー、懐中電灯、塩をショルダーバッグに、スマートフォンをポケットに入れ、バットを片手に、ゆっくりと指定された場所へ向かった。
▽ ▽ ▽
寮を出て、朧げに光る街灯の下を歩き、目的地まで歩いていく。門限の過ぎた外出は初めてではない。しかし、規則を破るのは気持ちのよいものではない。
第一、深夜にバット片手に徘徊する男なんて怪しいに決まっている。他人に見られたらどう言い訳をしよう。警察を呼ばれるのだろうか。いや、そもそも職質されそうだな。そんなことを考えながら、学校の外に出た。
目の前の信号が赤に変わったタイミングで、俺はふと空木の話を思い出す。
『深夜1時くらいやったかなあ。烏間通りの交差点で、背後から足を切り付けられるんやって。怪我人のほとんどが僕らの大学の生徒やから、うちの人たちから、気ぃ付けてくださいって言われてんねん』
……そういえば、鴉間通りの交差点って、どこの交差点なんだ?
杜の宮市は、1000年以上前に制定された法律により、碁盤の目のような道路配置になっている。はるか昔から全く道路が変わっていないというわけではないが、鴉間通りの交差点は当然複数存在する。
もしかして、と思いながら、ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、地図を開いた。
地図上には、目的地を指すピンと、現在地を示す丸いマークが表示されている。
目的地と現在地はもうじき重なろうとしている。そろそろ目的地が目視できる位置となる。
信号ももうじき変わるだろう。スマートフォンを閉じようと電源ボタンに触れようとする間際、食堂で五十嵐が友人たちに話していた会話が頭の中に再生された。
『スマホを見ていたら、突然足元に激痛が走って前に倒れ込んだんだよ! 激痛の中、パニックになりながらも背後を振り返ると、うつ伏せになったぼろぼろの女が血塗れのカッターナイフを持っていて……!』
その瞬間、俺は全力で左に跳ね避けた。
俺のいた場所には、血塗れの鋭利な何かが突き刺さっている。
───こいつが例の化物だ。
確信が持てるほど、俺を襲ったものは異様だった。
五十嵐はこいつを「うつ伏せになったぼろぼろの女」と言っていた。一瞬のことならばそう見えるだろう。しかし、俺の見る限りでこいつは、下半身を失った、顔を長い髪で覆い隠した人間のような何かで、さらに髪の奥から血走った目で此方を睨み付けている。
もっと言うならば、こいつが持っているのはカッターナイフではない。街灯に照らされてぬらぬらと光るそれは、人の脚から取った骨を鋭利にしたものではないか。確証もないのに思い付いてしまったことに身を震わせると、獲物を逃した化物は、のろのろと殺意をたぎらせながら俺の方に這い寄った。
俺は手汗で滑り落ちそうなバットを握り直し、意を決してバットを化物に振りかぶった。
夜闇に鈍い音が響く。
俺はただ、目の前のこいつが二度と襲い掛からないように、反撃の機会を与えさせる暇もないよう、何度も何度も殴打した。
殴打していくにつれて、黒い染みがだんだんと噴き出てくる。不思議なほどに昂った気持ちをバットにぶつけ、体感的にそれを1分ほど続けていると、目の前の物体は動かなくなった。
一旦止めても大丈夫かもしれないと判断して手を止めると、背後に人の気配を感じた。
ゆっくりと振り返ると、紙を持った女が俺を見て、怯えた表情を浮かべていた。
目隠しの化物 晩夏鹿 @maruderax
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