第2話 四ツ辻の狂気02



▽ ▽ ▽


「だから! マジでいたんだって! やべー女が!」


 冷麺を食べ終わり、食後にプリンを食べている空木をぼんやりと眺めていると、周囲が騒がしいことに気が付いた。


「鴉間通りの交差点で、後ろから女に足首を切り落とされそうになったんだよ!」


 ヒートアップしているのか、話者の声がだんだん大きくなっている。


 視線を向けると、声の主は右斜め前にいた。車椅子に座り、友人らしい男女に囲まれ、熱弁をふるっている。


「五十嵐、ちょっと声大きいって」


「お前ら信じてねえだろ!」


 男の恨みがましい声に、周囲の人間は困惑した表情を浮かべていた。


 俺の目線に気付いた空木は「あ、竜胆くんや」と小さく呟いた。


「スマホを見ていたら、突然足元に激痛が走って前に倒れ込んだんだよ! 激痛の中、パニックになりながらも背後を振り返ると、うつ伏せになったぼろぼろの女が血塗れのカッターナイフを持っていて……!」


「お、おう……」


「それで? その後はどうなったの?」


「そのあとは……気を失ったっぽい。気づいたら病院のベッドの上だったから……。でも、本当に怖かったんだって!」


「分かった分かった」


 周りの友人たちも、うんざりした様子ではあるが、取り敢えず話を聞いているようだ。


 もういいかと視線を外し、俺は腕時計に目を向けた。


 次の授業まであと20分ある。食堂も人は減ってきているが、落ち着ける場所ではない。少々早くはあるが、次の授業の準備をして、講義室に移ろうと思った。


「空木、お前次の授業何か取っていたか?」


「今日はもうないよ。もう帰ろうかなって。ブキくんは次、授業なん?」


「おう。開放科目だから、学年・学科関係なく受けられるやつ。結構混むから、早いけれどそろそろ行こうかなって」


「そっか、頑張ってな」


 空木と俺は、立ち上がって椅子を仕舞い、食器を持った。その瞬間、空木の存在に気付いた周囲の人間が騒ぎ立て始めた。


 空木は周囲に向かって微笑みながら、俺に「行こ」と声を掛けた。


 食器を運びながら、ふと周りに目を向けると、先程まで大きな声で話していた竜胆という男と目が合った。


 男は目を見開いた。


 瞬間、俺はぞっとするような、気味の悪い感覚を覚え、目を逸らした。



▽ ▽ ▽


 あの後、空木と別れて講義室に向かった。講義室の席は半分ほど埋まっていたが、まだ余裕があった。


 適当な席に座り、レジュメを取り出す。そうこうしているうちに、教授が入ってきて、講義が始まった。


 ……それにしても、不審者か。随分現実味がない話だった。

 話の内容に嘘はないのだろうが、そもそもそんな事件が起こっていれば、テレビや新聞はもっと大騒ぎになっているはずだ。それに、パニックになった人間から、正しい情報が得られるとは思えない。

 怪我をしたのは本当だが、錯乱して強烈な記憶違いをしたのだろう。


 俺はそう結論付けて、授業に集中した。



▽ ▽ ▽


「すみません」


 授業が終わり、講義室を出ようと片付けをして立ち上がると、講義室の出口で声を掛けられた。


 声を掛けられた方向を見ると、食堂で見かけた車椅子の男がいた。


「山蕗さんっすよね。オレ、経済学部1年の五十嵐竜胆(いがらしりんどう)っていいます」


 五十嵐は俺に頭を下げると、「ちょっといいですか」と言って、人の少ない場所まで連れて来た。


「何で俺の名前を知っているんだ?」


「有名っすよ? 空木さんとよく一緒にいるじゃないすか」


 まあ、空木といると目立つか。そう納得しながら、俺は目の前の五十嵐を注視した。


 左耳のヘリックスにインダストリアルピアスを、イヤーロブに2連のピアスを付け、髪をゴールドアッシュに染めた、空木とはまた別の意味で目立つ見た目をしている男である。


「山蕗さんに聞きたいことがあるんすよ。山蕗さんって、2日前の深夜、何してました?」


「……どういう意味だ?」


「あっ、山蕗さんが不審者だって疑っている訳じゃないんすよ! ただ、感覚的な話なんですけど、食堂で目が合った時、妙に嫌な雰囲気を感じて……。直感みたいなものなんすけど、なんかヤバいなって思ったんですよ」


「ヤバい?」


「空木さんにも言ってないんすけど、あの時オレを襲ったやつって、生きている人間じゃなくて、なんというか、化物みたいなやつだったので……」


「……」


「めちゃくちゃ失礼なのは分かってい

ます。まだちょっとオレも混乱していて……。先輩は高校まで別の市に住んでいたんすよね? 不審者の事件は多分そろそろなんとかなると思うので、解決するまで、夜は外出しない方がいいですよ」


「……ああ」


「それでは」


 時間、取らせてしまってすみません! と言いながら、五十嵐は車椅子の向きを変えた。


 気になる内容がいくつかあったが、面倒な気配を察知したため、聞けずに五十嵐を見送った。



▽ ▽ ▽


 授業が全て終わって、大学の近くにあるスーパーマーケットに寄る途中、五十嵐との会話を思い返した。


 西京府杜の宮市は、数多くの観光地がある府内有数の観光都市である。景観条例などの規制も厳しく、外国人観光客も多い。


 また、市の東部には国内有数の繁華街があり、西部には住宅街が建ち並んでいる。北部には険しい山が連なり、そこから流れる川が西部に面している海に流れている。


 五十嵐は不審者の事件が近々解決すると言っていた。普通に考えれば、警察が動いているのだろう。気になるのは、その言い方が妙に確信的だったことだ。


 鴉間通りは通学する学生や観光客で犇めいている。事件があったなら、警察の巡回や聞き込みがあり、その話題が大学内でも話題になるはずだ。


 しかし、俺はその事件を、空木に今日伝えられるまで知らなかったのだ。


 この喧騒な市の影に、何か気味の悪いものが蠢いている。俺はそう思わずにはいられなかった。

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