第31話 夏祭り
たこ焼き、焼きそば、お好み焼き。スプレーチョコをたっぷりかけたチョコバナナとわたあめ、ルーレットを回したら図らずも大当たりが出て、思った以上の本数を持ち帰ることになった味噌田楽。
祭り特有の濃い匂いに、夏の重たい暑さが混じる。その雰囲気を少しでも家に持ち帰れたのならそれで良い。本当なら、現地で買ってそのまま食べるのが王道なんだろうけど──私の場合、自宅の方が安心できるから、テイクアウトで構わない。
「なんだ、やけに早いじゃないか。夏祭りに行っていたのではなかったか?」
扉を開けると、案の定幽霊さんが浮いていた。彼は小首をかしげながら、靴を脱いでいる私の周囲を飛び回る。
幽霊さんには、事前に夏祭りに行ってくるのだと伝えてから家を出た。当然のように俺も行く、と言われた訳だが、電車に乗る必要があると告げるとけちだの何だのとむくれて空中体育座りをしていた。
この前正ヶ峯さんとお茶した時に、電車に乗れなくはないことが判明したはずなのだが……緊急時以外は極力徒歩が良いとのこと。集中が長く続かない性分の幽霊さんにとって、座標を固定して透けないようにするのは骨が折れるらしい。骨どころか実体もないくせに。
「家で拗ねてる人がいますから。一人で花火っていうのもつまらないし、多分ここからでも見えると思うので」
要するに、幽霊さんがいるから早めに帰って来たのだ。彼がいれば、一人寂しく大量のB級グルメを貪ることにはならないだろう。
買ってきたものをひとまず机に置いて、カーテンを開ける。ベランダに出たら暑いし蚊に刺されるかもしれないので、涼しい室内から花火を見物するとしよう。机も、今日だけは窓側にぴったりと寄せておいた。
グラスに麦茶をなみなみと注いでいると、食べ物の入っているビニール袋に頭を突っ込んでいる幽霊さんが目に入った。突然の奇行には未だに慣れない。不気味かつシュールな光景である。
すり抜けるとはいえ、一応私の口に入るものだ。グラスを片手に、私は幽霊さんへ声をかける。
「何してるんですか」
「何を買ってきたのか確かめようと思ってな。あとは匂いを吸引している」
「吸引って……耳鼻科じゃないんだから」
「どうせ食うのはお前だろう。見ているしかできない俺にできるのはこれくらいだ。幽霊とは、つくづく悲しい存在だ……」
他の幽霊ならもっと悲壮感があるのかもしれないけど、幽霊さんに関しては食欲全開なだけだ。それゆえに、何とも言えない微妙な空気が漂う。
とりあえず、冷めないうちに食べるのが先決だ。私は腰を下ろすと、いただきますと告げてから付属の割りばしを割った。綺麗に真っ二つ──とまではいかないけど、残念な形ではない、はずだ。
はふはふとたこ焼きを頬張っていると、幽霊さんがぬるりと逆さまの姿勢で私の前にやって来た。黒髪がばさっと重力に従って落ち、珍しく白い額があらわになっている。羨ましい程につるりとしていた。
「花火はいつ頃から始まるんだ?」
「予定では間もなくですね。気になりますか?」
「勿論。何せ、お前が気を利かせて帰って来てくれたのだからな。待ち遠しくもなるものだ」
「それはありがたい」
相変わらず素っ気ないな、と幽霊さんは頬を膨らませた。
「正直、俺は嬉しくて小躍りしたい気分なんだぞ。お前は他に相手を見繕うことができる立場であるにも関わらず、俺と花火を観ることを選んだのだからな。これは大変だぞ、お前が俺の好みに合致する人間だったら抱き上げて地獄の底まで全力疾走するところだった」
「地獄行きなんですね……」
「当たり前だ。お前はともかく、俺は少なからず人を斬ってきたし、死後は他者を呪殺する始末。地獄へ行かずして、どこへ行くというんだ?」
「でも、前に極楽がどうとか言ってませんでしたか? その辺りは諦めてしまったので?」
「諦めてはいないよ。だが、何事にも覚悟は必要だろう。俺は己のことを極楽行きが確定している程に清らかで真っ当な人間だとは思っていないし、地獄に落ちると決まったのなら抗わず受け入れるつもりでいる。初めから何もかも良い方向にゆくのだと仮定すれば、後の反動が大きかろう? そこを考慮できぬ程、浮かれた頭をしてはいないよ」
まあ体はいつでも浮いているんだが、と幽霊さんは余計な一言を付け足す。面白いと思っての発言だろうか。彼の感覚はいまいちよくわからない。
最後に残ったたこ焼きを口に放り、私は窓へ目を向ける。花火の打ち上げは七時半から。あと十分もしないうちに開始されるはずだ。
ふと、以前に幽霊さんと線香花火をしたことを思い出した。あの時も、二人で他愛のない話をしながら、火種が落ちるまでじっと様子を眺めていたっけ。
「おお、始まったようだ」
幽霊さんの発言に、自然と窓の方へ身を乗り出す。たしかに窓ガラスの向こう側に、ぽつぽつと打ち上がる花火が見て取れた。初めのうちだからだろうか、まだ小さくて形までははっきりとしない。
いつぞやのように窓ガラスをすり抜けて見に行くかと思われた幽霊さんは、私の予想とは裏腹に室内に留まっていた。いつもはどことなく眠たそうにも見える両目を、ここぞとばかりに見開いている。そんなにかっと開いたら、ドライアイになっちゃうよ。
「梵。お前、花火は見慣れているのか」
目線は動かさずに、幽霊さんが問いかける。体も全然動かない。随分と集中しているようだった。
「見慣れている……って程ではないと思いますけど、地元にいた頃は毎年家から見てました。今のと同じように、夏祭りに合わせて花火も打ち上げるんです」
「祭りには行かなかったのか?」
「行く時と、行かない時がありました。高校に入ってからは、全然でしたけど」
「前にめえるしていた友人とは遊ばなかったのか?」
「中学校の時の友達と行くって子が多かったんです。住んでる地域が近いと、自然とそこで寄り集まるんでしょう。私は友達全然いなかったので、連れ合いはもっぱら身内でした」
「そうなのか……寂しいな。まだ若いのに」
何故だろう、幽霊さんに憐れまれるとちょっぴりいらっとする。私は好きで一人を享受していたのであって、別に同級生から迫害されていた訳じゃない。
……どちらかといえば、家柄で敬遠されていた、と表現するのが適切だと思う。高校に入ると、個人の家庭に首を突っ込んでくる人はぐんと減ったから、私も安心して友達付き合いができるようになった。
思い返してみれば、私はパーソナルスペースに深く干渉されるのが嫌なのかもしれない。人嫌いという訳ではないし、他人と話すのに相当苦労する性分でもない。単に疲れるし、面倒なのだ。適度な距離感さえ守ってくれるなら、親しくしたいと思うことだってある。
「打ち上げ花火を見たのは死んでからだが、納涼祭にはよく行った。小さい頃はお前と同じ、身内で集まって行ったが……元服して、友と好き放題しながら歩き回るのは、倍楽しかったよ。だから俺は祭りが好きだ」
たしかに、幽霊さんからしたら私は寂しい思い出ばかりだろう。実際に、幽霊さんは祭りを楽しんでいたにちがいない。でなければ、遠い目なんてしないはずだ。
基本一人が好きな私だけど、その気持ちはわからなくもない。一人でするとつまらないことも、いっしょに付き合ってくれる存在がいるだけで悪くないな、とさえ感じてしまう。幽霊さんと駄弁る時間も、初めこそ違和感まみれの非日常でしかなかったけど、今ではすっかり馴染みきった日常だ。
赤やピンク、緑のカラフルな花火が止む。きっと、あれは何らかのマークやキャラクターを象っていたのだろう。ここで区切りということは、次に来るのは──。
「あ、尺玉──」
一際大きな橙色は、今までの花火よりはっきり見えた。私は指差しながら振り返り──結局、二の句は継げない。
幽霊さんが、いないのだ。
正ヶ峯さんの言葉が甦る。本人が未練を自覚せず、精神的に満足した状態に至ったのならば、いずれ成仏することもある──と。今はちょうどお盆だから、彼の言っていた他の魂につられて消える、という可能性も捨てきれない。
何度か瞬きをして、それでも幽霊さんの姿がないことを確認する。幽霊さん、と呼び掛けてみても、ただの独り言にしかならない。
寂しい、と思った。
大きな声で話す訳でも、喜怒哀楽がはっきりしている訳でもない。それでも、幽霊さんはお喋りで人懐っこかった。私にとって、居心地の良い存在だった。
静かそうに見えて好奇心旺盛で、すぐ拗ねて、私のことを案じてくれて。人を一人祟り殺した恐ろしい存在にして、マイペースで朗らかな私の話相手。
鼻の奥がつんとする。なんでだろう、最後の尺玉が、ぼやけて見える──。
「──伏せろ!」
いつになく切羽詰まった声。はっとして顔を上げれば、凄まじい勢いで突っ込んできた何かが私の体をすり抜ける。
…………何事?
「ふう、危ないところだった。咄嗟に叫んでしまったが、そういえば俺はお前に触れられなかったな。杞憂とはこのことか」
壁に突き刺さった上半身をぬるりと引っ張り出して、つい先程いなくなったはずの幽霊さんは呑気に告げる。長い黒髪に白装束、ふわふわ浮遊する長身の男──紛れもなく幽霊さんだ。
「えっ……なんで、いるんですか、ここに」
「どうしてそんな酷いことを問うんだ。俺がいてはいけないのか」
「だってさっき、いなくなったじゃないですか……」
「いや、せっかくなので尺玉を近くで見ようと思ってな。一直線に全力疾走してきたんだが、間に合わなかった。一言伝えてから離れるべきだったか?」
なんということだ。私は、とんだ勘違いをしていたらしい。
ぷかぷか浮かぶ幽霊さんに、消える様子は微塵もない。次は何を食べるんだ、といつも通りに問いかけてくる。
まだ付きまとわれるのか、という思いと、じんわり広がる安堵。口にはしないけど、自覚はしよう。私は、かけがえのない──少なくとも、前触れもなく離れるのはあり得ないと思う程度の友人を手に入れていた。
「そうですね、私は──」
何気ない問いに、答える。この質疑応答がどれだけ続くかはわからないが──これが私にとっての日常だ。それを甘受しつつ、明日も明後日も、幽霊さんと生きていこう。
質疑応答は浮遊式 硯哀爾 @Southerndwarf
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