第44話・繋がる命

 有希は誰がどう見ても、父である信一似だ。だから有希によく似た顔で生まれてきた息子は、当然のように祖父にも似ていた。生まれたばかりの薄毛は、闘病中に薬か治療の副作用で薄くなった父の髪のようで、息子を抱き上げて顔を覗き込む度に亡き父のことを思い出してしまう。


 生まれ変わりなんてものを信じてはいないので、この子はこの子だし、父は父だ。全く別の人格なのは分かっているし、息子に父の姿を重ねるつもりはない。ただ、ふとした表情に面影を見出してしまい、会わせることが出来なかったことに寂しさが溢れる。こんなに似ているのなら、どれだけ可愛がって貰えただろうか。


 常に喋り続けて賑やか過ぎる菜月達の扱いに困り、はにかむように笑っている父の顔は見たことがある。けれど、男孫を相手する信一も見てみたかった……。


「お父さん、無事に生まれたよ。陸斗だよ」


 退院して実家に戻ると、荷物を降ろしてから仏間に息子を連れて行く。帰ったら真っ先に父のところへ見せに行くと決めていた。

 先祖の物と一緒に並んだ父の遺影に向けて、小さな孫を掲げてみせる。生まれて初めて乗せられたチャイルドシートが心地よかったのか、スヤスヤと眠っている陸斗のことを父がどこからか見ていてくれることを信じて。

 きっと父のことだ、何も言わず目を細めて、この子の顔を遠巻きに覗き見てくれていることだろう。


 二階の有希の部屋からは母と雅人がベビーベッドの設置に苦戦している声が聞こえてくる。姪っ子達が使っていた物をお下がりして貰ったのだが、説明書が見当たらなくて、どうやら母のあやふやな記憶を頼りに組み立てているようだった。

 しばらく後、貴美子のトンチンカンな説明にギブアップしたらしき雅人の「一回、ネットで調べてみますね」という声が漏れ聞こえてくる。


「ナァー」


 リビングのコタツに潜り込んでいたはずのピッチが、仏間まで様子を見に来て有希の足に擦り寄ってきた。しゃがみ込んで、生まれたばかりの息子のことを猫にも紹介する。


「ピーちゃん、はじめまして」


 上向きの低い鼻先をフンフンさせて、ピッチは初めて嗅ぐ新生児の香りを確かめる。警戒している素振りはなく、匂いを嗅ぎ終わるとオクルミから出た小さな白い手に白黒の頭を擦り寄らせた。ゴロゴロと喉を鳴らして、初対面の陸斗のこともちゃんと家族として迎え入れてくれるつもりのようだ。


「クロ、ナッチ。陸斗とも仲良くしてね」


 リビングに移動するとコタツ布団を捲り上げ、中で丸くなっている二匹にも声を掛ける。顔を上げてちらりとこちらを見るクロと尻尾だけで返事をするナッチは、静かに眠っているだけの子供にはあまり興味がないようだった。

 だが、目が覚めた陸斗が「ふあっ」と寝ぼけた声を出すと、猫達は驚いて飛び起き、コタツの中で後退った。そして、有希が慣れない仕草であやしている様子を遠巻きに眺めていた。


「大丈夫。優しくしてあげて」


 泣き止んだばかりの息子の顔が猫達によく見えるように、床に座って膝の上に乗せる。恐る恐るコタツから顔を出したクロはゆっくり近付いてきて、ピッチがしたのと同じように陸斗の匂いを確かめ始める。赤ちゃんだけじゃなく、彼を包み込んでいるオクルミの匂いも興味深く嗅いだ後、小さな額に自分の頭を擦り寄せた。


「クロ、それはほとんど頭突きだね」


 コツンと優しい当たりで新生児と額を振れ合わせた後、クロは産後を労うかのように有希の腕にも擦り寄った。「大丈夫かなぁ、ちゃんと産めるかなぁ」と何度となく出産の不安をクロに聞かせていたからか、無事に母親になって帰ってきたことを褒めて貰っているように思えた。


「ありがとう。ちゃんと産めたよ。しばらくはもう勘弁だけど……」


 ゴロゴロと喉を鳴らしながら、労わるように有希に擦り続けるクロ。普段は貴美子だけしか居ない家に、また賑やかさが戻ってきたことを喜んでいるようにも見える。その背をそっと片手で撫で返す。


 貧血だったせいか、産後すぐの記憶は曖昧だ。気付いた時には病室のベッドの上で、その横の小さなベビーベッドにはとても小さい人が眠っていた。ニコニコというよりニヤニヤと言っていいくらいに破顔した雅人が、ビデオカメラを片手に有希と子供の寝顔を黙って撮影していて、起きていきなり焦った。


 検査があるからとすぐに新生児室へと連れていかれたので、その日に陸斗の顔を見たのはそれきりだったが、翌日からは母子同室で互いに慣れない者同士で何とか頑張った。


 猫達のそれぞれの出産には全て立ち会ってきたが、それとは比べ物にならないくらい、人の子は不器用だと知った。生まれてすぐに上手に母乳を飲んでいた子猫達を見ていたから、人間の赤ちゃんも本能で乳房に吸い付くものだと思っていたら、そうでもなかった。人の子は誘導してあげないと母乳が出る場所も分からないのだ。猫なら目が開く前から匂いで嗅ぎ分けて見つけることができるのに……。


「大丈夫、頑張るから」


 小さく喉を震わせ続けているクロの頭を撫でて、有希は再び目を瞑って眠り始めた我が子の顔を覗き込む。片腕で抱けるこの小さな身体が、これからどんどん大きく育っていくかと思うと楽しみで仕方がない。どんな子に育ち、どんな出会いをして、どんな未来を生きていくのか、ずっと傍で見守り続けてあげたい。


 有希は父と母から、そして、この小さな男の子は有希と雅人から命を授かって存在する。例え死した後も、その命は絶えることなく繋がり続けているのだ。それはどこまで続くのかは分からない。どこかで途絶える可能性だってあるし、永遠ではないかもしれない。


 いつか息子が大きくなった時、父が生きていた時の話をしてあげよう。物静かだけれど少し悪戯好きで、猫のクロに激甘なお爺ちゃんは、君とは眉毛と耳の形がそっくりだったよ、と。会わせることはできなくても、思い出話ならいくらでもできるのだから。

 父はまだ、有希達の思い出の中で生き続けている。


―完―

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猫だけに吐く弱音 ~余命3か月を宣告された家族の軌跡~ 瀬崎由美 @pigugu

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