Blackish Dance 番外編

ジュンち

食べ物に対する愛よりも誠実な愛はない

これはヒデが堅洲村カタスムラに来る、一年ほど前の話。

登場人物:アレン、ヤン、ゴハ


 * * *


「さて、今日の夕飯は何にしましょうかね」

 肌寒さが残る春の夕暮れ、アレンは誰に言うともなく声に出した。返事などあるはずもない。がらんとした平屋の一戸建ては一人で住むにはいささか広すぎる。たまに同居人が現れたと思うと、砂が指の間をすり抜けるように消え去ってしまう。そのたびに、そういえば堅洲村ここはそういう場所だったなと思い知らされるのだった。

 いつも通り鍋を火にかけ、野菜を切り始める。味噌を溶かすとふわりと慣れた香りが部屋を包み込んだ。今日も穏やかで平和な一日が帳を下ろそうとしている。代わり映えしないというのは退屈ではあるが、幸せなことだ。調味料を加えながら、いつまでもこんな静かな日々が続くことを願った。

 だがしかし、そんな願いは早々にあっけなく打ち破られることとなった。

「アレンさん!!」

 大声で遠慮もなく玄関の引き戸を大きく開けたのはヤンだった。アレンはびくりと声の方を向く。

「ヤン君、その、私のところへ来るよりも先に行く場所があるのでは……」

 困惑した表情でおろおろと声をかけるその相手は目の周りに青あざを作り、鼻血を流していた。

「いや、ヤヨイにはどうせ追い返されるだけだからあとで自分で冷やす。そんなことより」

 ケガよりも自分を優先する用とは一体何だろうかと身構える。向上心のあるヤンのことだから何か理由があって稽古をつけてくれとでも言うのかもしれない。

 ヤンは真剣な眼差しでアレンを見つめる。

「料理教えてくれ」

 拍子抜けするようなお願いにアレンは呆気にとられた。しかし、こんなことを言い出した理由はすぐさま予想がついた。ヤンは鼻血を袖で拭いながら鼻をすする。アレンの返事も待たず、サンダルを抜いで居間へと上がる。

「ゴハにまた負けた。今回は一か月の料理当番賭けてたんだ」

 家事を押し付け合って喧嘩しているのは彼らの日常で驚くには値しない。ヤンがゴハに勝てる見込みなど無いに等しいのだが、それでもめげることなく立ち向かうヤンには毎回感心させられる。

「お教えするのは構わないんですが」

 乱雑に脱がれたサンダルを揃えながらアレンは困ったように笑う。

「生憎今日の分は作ってしまいまして」

「一足遅かったか」

 勢いで居間へあがってしまったが、玄関のすぐ横にある台所に目を向けると確かにアレンの言う通り、そこには既に皿に盛られる寸前の状態のものが湯気を立てていた。ヤンは残念そうな声になるも、そのまま腰を上げることはなかった。アレンは火を消し、深皿に煮物を盛り付ける。

「せっかく来てくれたのに手ぶらも何ですし、これ、持って帰りますか?」

「ラッキー。来た甲斐があったな」

 ついでに沸かしていたお湯でお茶を入れ、ヤンの前に器と湯呑を置く。

「ヤン君のところは家事は当番制なんですよね」

「おう。今のところ俺が全敗だけどな」

 ヤンはあっけらかんと笑顔を見せる。素直に負けを認めているのは清々しく好感が持てる。アレンはヤンの正面に座った。

「けど、あいつ、俺の作ったものは『まあまあ』か『普通』しか言わねえんだ。そろそろ料理でぐらいは見返したい」

「あなたとゴハ君は仲がいいんだかどうなんだか、わかりませんね」

「仲良くねえよ。次は絶対勝つ」

イザナ宿家親オヤに勝つというのは、なかなか無謀というものですよ。まぁ、ここまで頻繁に戦っているのはヤン君とゴハ君ぐらいなものでしょうがね」

 アレンはふふと笑う。

「アレンさんは次のイザナが好戦的なやつだったらどうする?」

「そうですね。どうしてもと言うならお相手はしますが、私は接近戦には向かないので何とも」

 困ったとでもいうようにアレンは首をかしげる。

「と言っても、さすがに私も宿家親オヤですし、負ける気はしませんね」

 その言葉にヤンは笑い声をあげる。いつも優しく微笑んでいるアレンだが、その言葉はさすが元イザナだけのことはある。

宿家親オヤってみんな自信家だよな」

イザナに負けてしまっては示しがつきませんからね」

 現役を退いてもう何年になるのだろうか。今望むのは平穏な毎日だけだ。それでも、命のやり取りをしていた世界を懐かしくも思う。もしこれから自分のもとに再びイザナが来るならば、穏やかな日常を分かり合える感性の持ち主がいいといつか訪れる未来を思い描いてみた。

 ヤンは納得したようににやりと笑う。イザナである自分は宿家親オヤに勝ちたい。一方で宿家親オヤイザナに負けるわけにはいかない。お互いにその気概があるからこそ、毎回白熱した戦いができるのだ。

「じゃあ、俺は帰るわ。飯時に悪かったな」

「いえいえ、とんでもないです。ゴハ君と仲良く食べてくださいね」

「ああ。明日はいつぐらいに来たらいい?」

「日が落ちる前にでも来てください。何か作りたいものはありますか?」

「そうだな」

 ヤンは少し腕組みをして考える。間もなく何かを思いついたように手を叩いた。

「生姜焼き」


 翌日、空が紫とオレンジが混ざったような幻想的な色合いになり始めたころ、ヤンはアレンと並んで台所に立っていた。

 アレンは何種類かの調味料を量り、合わせていく。簡単な料理なだけに自分の腕が試されるような気がする。

「アレンさんのところに来るイザナは毎日おいしい飯食えて幸せだよな」

「そう言っていただけると嬉しいです。私にとっても誰かのために料理を作れるというのは幸せなことです。自分ひとりのために作るより美味しい気がします」

「料理は愛情ってやつか?」

「いえいえ、料理は科学ですよ」

 現実的な返事にヤンは笑う。

「アレンさんも一人長いよな。そろそろ新しいやつ来るんじゃないか? もし来るならどんなやつがいい?」

「こればかりは一期一会ですからね。どんな方でも今まで通り接するだけですよ」

「アレンさんは優しいし、飯も美味いし、ラッキーだよな」

「おや、私はゴハ君も優しいと思いますよ」

「どこが」

 ヤンはぶっきらぼうに言葉を返す。眉間にしわを寄せるその表情には今まで負け続けてきた記憶が刻み込まれている。

「ヤン君が気付いていないだけですよ。誰にでもその人なりの愛情表現というものが必ずありますからね。私の場合はそれがわかりやすいだけですよ」

 アレンは鉄製のフライパンに味をつけた豚肉を置いていく。肉が焼ける音がしたかと思うと、香ばしい匂いが漂い始める。

「けど愛情なんて言葉、あいつには一番似合わないだろ」

「いえいえ、そんなことはありません。ゴハ君はあなたが任務から帰ってくるときは何時になろうと食事をせずに待っているでしょう?」

 ヤンは首をひねって少し考える。

「言われてみれば、そうかもな」

「それがゴハ君なりの表現方法だと思いますよ」

「そんなことが?」

「そんなこと、ではないですよ。食事というのはただ食べるだけではなく、そこで生まれるコミュニケーションが協調性や社会性を育てると言われています。ほら、子供が一人で食事するのはよくないって言うじゃありませんか。一人で食事をするのが孤独かと言われたらそれは主観的判断なので何とも言えませんが、一人より二人で食べたほうが楽しいのは確かです」

 ヤンは納得できないようで再び首をひねる。

「私が言うと説得力あるでしょう?」

 アレンは笑いかける。かれこれ一年以上は一人で過ごしている。一人の生活は気ままではあるが、それでも誰かと「家族ごっこ」をしている時のほうが自分には合っているように思える。他者を通してしか気づけない自己というものもある。

「それを認めんのは何か癪だけどな」

 腕組みをして首を傾げたままヤンは再び眉間にしわを寄せる。アレンの言葉に納得はしたようだが、どうもすんなりと受け入れるのは難しいようだ。

「どういう理由で宿家親オヤイザナの組み合わせが決められているのかは知りませんが、それなりの考えはあると思いますよ。ゴハ君だからこそのヤン君という組み合わせなんですよ、きっと」

「まぁ、ゴハのことは」

 次の言葉を慎重に選ぶようにヤンは口を閉じた。何と言えば正しく自分の感情が表せるのだろうか。そもそもこの感情は言葉にできるものなのだろうか。お互いのことを深く知っているわけでもない同居人に、どんな感情を抱けばいいというのか。血のつながりもなければ、友達でも仲間でもない、ただの自分の「宿家親オヤ」だ。つくづく宿家親オヤイザナの関係は不思議なものだと思う。

 長考ののち、ヤンはぼそりとつぶやいた。

「嫌いじゃない」

「ゴハ君にも聞かせてあげたかったですね」

 その言葉に言うんじゃなかったと言わんばかりにヤンは片手で顔を覆った。

「ほら、美味しそうにできましたよ」

 そんなヤンにはお構いなしにアレンは焼きあがった生姜焼きを皿に乗せていく。キャベツの横に置かれた柔らかそうな豚肉はつやつやと光っている。

「なんか、最後の最後にやられてあんまり工程覚えてないな」

「大丈夫ですよ。料理は愛情ですから」

「科学だって言ってたじゃん」

「愛情は脳科学の分野だという点では同じ科学ですよ」

「アレンさんって、たまに変なこと言うよな」

 そう言うとヤンは声を上げて笑った。


「おーい、ゴハー。飯だぞー」

 前触れもなくゴハの部屋のふすまを開けると、好敵手はオイルランプを頼りに本を読んでいるところだった。

「何読んでんだよ」

「戦術書。次はお前をどうやって負かしてやろうかと思ってな」

 ゴハは勝ち誇ったような笑顔を作って本を床に伏せた。立ち上がって廊下に出る。ゴハの方が幾分か背が高く、ヤンにとっては僅かにではあるが見上げなければならないのも気に食わない。

「今日の晩飯何?」

「生姜焼き」

「さすが。俺の好物わかってんじゃん」

「これ作っとけばお前機嫌いいだろ」

 居間で向かい合って座った二人は「いただきます」と手を合わせる。味見をした時点ではアレンのものと遜色のないできだったように思う。これでやっと「美味い」と言わせることができるだろう。

 他愛のない話をしながら二人は順調に皿や茶わんを空にしていく。やがてすべてを平らげたゴハが箸を揃えて置いた。食べ終わったときに感想を言うのがゴハのお決まりだ。ヤンはいつにも増して真剣にゴハを見つめる。

 そんなヤンの気持ちを知ってか知らずか、ゴハはいつも通りの顔で笑った。

「いつも通りだったな」

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Blackish Dance 番外編 ジュンち @junchi_wkm

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