第2話  どんな名前でもOK、だよ

ある日の午後のことだった。

「八、てえへんだぁ、はちぃ・・いるかい」

お爺ちゃんが、好き勝手な名前で呼ぶのには慣れっこっだけど、この慌てて叫ぶ声には大事件を感じて胸がドキンとした。お爺ちゃんは涙ぐみながら部屋に入るなり

「オーストラリアなんて日本の反対側だぞ、本当にいいのかぁ。」

「お爺ちゃんがどんなに亀のことを思ってみても、簡単には会えない所なんだぜ。お爺ちゃんが夏の熱さにまいってる時に、亀は冬の寒さで震えてるんだ。あ~、じれってぇ、あ~、つれぇなぁ」

と、訳の解らないことばかり言いながら、僕の手をギューッと握った。


「寿限無や、お前この寿限無という名はな、寿が限りないというめでたい名前だってぇことを知ってるかい。幸せが長く続くという名前なんだよ。」

「お前はどんなに遠くで暮していても、いつだって沢山の幸せに包まれて暮らしてくれよ、お爺ちゃんは・・・」


 何だよ、お爺ちゃんったら。僕は八、だったり亀だったり、今度は寿限無だなんて、そんなにいっぺんに色んな名前で呼ばれたら迷ってしまうよ。その上、何が何だか全く分からないよ!

僕は本当に困ってしまって、心の中で何度も叫んでいたら、その間中お爺ちゃんは、大粒の涙をぽろぽろとこぼして泣いてばかりいた。


 お爺ちゃんの泣いた訳は夜に解った。お父さんの転勤が決まったからだった。悲しかったけどお爺ちゃんに先に泣かれてしまったから、僕はどう慰めればいいかと、そればかり考えて涙の出る余裕が全然なかった。



「お爺ちゃん」

そおっと声をかけて、恐る恐る襖を開けてみると、

「おぅ、若君さま。おなごりおしゅうござりまするが、どうかお達者で」

と、お爺ちゃんの元気な声が返ってきた。僕はお爺ちゃんの側へ行って

「お爺ちゃん、本当は僕、行きたくないんだけど・・」

「僕がもう一人いたら、お爺ちゃんも寂しくないのにね。クローンの僕がいてくれたら、お爺ちゃんは・・・」

涙をこらえてそう言うと真剣な顔でお爺ちゃんが言った。


「クローン人間がどんなに同じでも、それははじめとは違う人さ。このはじめは、生まれる前からお爺ちゃんのかわいくてたまらないはじめなんだよ」

お爺ちゃんは僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でて言った。

「5月7日2時8分、待子から生まれてきたはじめ、7月2日お爺ちゃんを見て笑ってくれたはじめ。1才8か月でジージーと呼んでくれたはじめ・・・」


 お爺ちゃんの心の日記には、僕のことがびっしり書かれてあるのだ。そう思った瞬間、涙が猛スピードで流れ出した。その涙を見るとお爺ちゃんは慌てて

「なぁに、心配は無用だ。お爺ちゃんはちょっと情けないけど、1週間だけは泣き虫になるぞ。だけど次の日からは絶対に大丈夫だ。」

「料理や洗濯の勉強で忙しくて泣いてなんかいられない。もしも寂しくなったら、大好きな落語を聞いて大笑いするさ」

「お爺ちゃん、僕も一週間だけ泣き虫になる。でも次の日からは絶対に強くなる。お爺ちゃんみたいに・・」

二人で泣きながら、同じ言葉を何度も言いあった。



 出発の日、僕の背中に三人の本当の名前を呼ぶお爺ちゃんの大きな声が届いた。

「紀夫君、待子ぉ、はじめーっ、元気でなぁー」

その時だった。お爺ちゃんに遊んでもらった時につけられた、平山関とかイチロー選手などの色んな呼び名が思い出されて、涙が溢れそうになった。そして、はじめという本当の名前の僕とそれらの色んな名前の僕って、どちらも何て幸せな子供だろうと思った。



 あれから3ヵ月ほどたった。お爺ちゃんはとても元気で英会話の練習をしながら楽しそうに料理をしている。学生を捕まえては

「メイ アイ ヘルプ ユー・・」

と声をかけて煙たがられていると僕の親友がメールで教えてくれている。その友達もお爺ちゃんを真似て、メールの始めに必ず書いてくるのだ。「元気かい、木村特派員」とか木村レポーターとか、木村記者とか・・・


 だから僕もいつの間にかすっかり特派員やら記者になりきって、町の様子や学校や友達のこと、そして珍しいニュースなどを報告して、それがきっかけとなり、町の歴史や産業などの勉強を始めるようになった。


 

 今日、またお爺ちゃんの様子を知らせるメールが届いた。それによるとお爺ちゃんはあと二ヵ月後に、僕達に秘密で会いに来て驚かせようと張り切っているそうだ。その時にはきっとお爺ちゃんのことだ、またジョーとかスミスとか、色んな名前で僕を呼ぶことだろう。

 僕はその時、喜んでジョーにもスミスにもなるんだ





















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