ある日幼馴染と
深月みずき
第1話
葉月がコントローラーを置いて、可愛らしい声を出しながら細い体を反らして伸びをする。
それを横で見ていた八重はちょっとした出来心で、葉月の服の隙間から見えた横腹を痛くない程度につつくと、ちょうど気を抜いたタイミングだったのか、葉月は猫のような声を漏らした。
予想外に可愛らしい声が出たものだから、八重は我慢しきれずくすくすと肩を震わせて笑う。
顔を少し赤くした葉月が仕返しをしようと伸ばしてきた細い手首を上手く掴んで攻撃を阻止すると、そのまま引き寄せて葉月を腕の中に収め、後ろに倒れる。
二人分の体重が乗った勢いは止められず、ゴンッと鈍い音が頭に響く。買ったばかりのふわふわなカーペットはあまり衝撃を吸収してくれなかった。
顔を歪ませた八重を見て、葉月は仕返しのことは忘れ、呆れたように「何してんの」と笑いながら頭をそっと撫でてくれる。
痛いような、恥ずかしいような、嬉しいような。
よく分からなくなって、うへへへ、と変な笑いが漏れ出す。
葉月が変な人を見る目をしている気がしたが、しばらく止まらなかった。
少しして、葉月が体を起こし、解放してもらおうと腰を抑えている八重の腕をとんとんと軽く叩いた。
「ほら、夕飯作らなあかんやろ」
そう言われてテレビの上にある時計を見る。
「もうちょっと後でも良くない?」
「そんなこと言うてこの前めっちゃ遅なったやん」
そう言ってもう一度、肩の辺りを子どもをあやすように叩かれ、八重は渋々腕を下ろすと、すぐに腰が軽くなって楽になったと同時に、微かな寂しさを感じた。
何となく起きる気力が湧かなくて目を瞑る。何度かゆっくりと呼吸をして、それから目を開けると、葉月と目が合った。ほんの数秒の間見つめ合った後、葉月が手を差し伸べてきた。八重はその上に恐る恐る右手を置き、葉月が引っ張るのに合わせて立ち上がる。
「よし、じゃあやろか」
八重が何かをするよりも早く、葉月に手を引っ張られ、台所に連行される。
流石にここまで来てめんどくさがるわけにもいかないので、気合いを入れるためにも袖を捲って手を洗う。
「あ、ごめん先ちょっとお茶飲むわ」
「えー……」
せっかくやる気出したのにと、心の中で愚痴を溢しながらも、せっかくなので八重も逆さまにしてあったコップを取って葉月にお茶を注いでもらい、一気に飲み干す。
コップを傾けすぎたのか、口の横からお茶が溢れて胸元を濡らしてしまい、葉月が思わずといったように鼻で笑った。八重はパシッと葉月の肩を叩いて溜め息を吐きながら冷蔵庫から材料を取り出す。
「今日何すんのやっけ」
八重が冷蔵庫と調理台を行ったり来たりしていると、手を洗い終わった葉月が聞いてくるので、一旦手を止めて材料を見ながら買った物を思い出す。
「えーっと……野菜炒めと……焼き魚やろ。あとは味噌汁と、ええと……」
「ああ、茶碗蒸しか」
「そうそれ。葉月が食べたいって言うてたやつね」
「茶碗蒸しは八重やろ。私は鮭」
「あれ、そうやっけ?」
「もう呆け始めた?」
「そうかもしれん。介護してくれ」
「骨折ったらごめんな」
「何する気や」
くだらないことを言い合いながら、八重は包丁を洗って野菜を切り始める。
葉月はいつものように食器棚から使う食器を選んでカウンターに重ねていってくれている。
「八重、これ使う?」
「あー別にええかな」
「了解」
「うん、ありがとー」
ひと通り食器を出して、冷蔵庫からお茶を出した葉月は、お風呂にお湯を張るボタンを押してから、洗濯物を片付けに行った。
食材を切ったりしている間は特に手伝ってもらうようなことはないため、その時間を使って他の家事をやってくれるのはありがたい。
八重は慣れた手つきで料理に使う食材を切っていき、包丁に乗せて鍋やフライパンに移して火を付けたところで、洗濯物を畳み終わった葉月が戻ってきて後ろに行ったかと思えば、急に抱きついてくる。
くすぐったくて変な声が出そうになるのを抑える。
「ただいまー」
「おかえりー。危ないからやめてねー」
引っ付き虫になった葉月を剥がして、菜箸とフライパンを渡す。そして文句を言わず炒め始める葉月の横で他の料理を作り始める。とは言ってもほとんど温めるだけなのでそれほど手間はない。
できたものから器に盛り付け、リビングのテーブルに並べていく。いつもの倍以上並ぶ食卓を見ると、それだけで幸せな気分になった。
一人になりたくて一人暮らしを始めたくせに、一人で過ごすのはどうも寂しい。葉月が週末になるとこうして遊びに来てくれるが、部屋に籠もって一人になるのと、家の中で一人になるのとでは全然違う。そのうち慣れるだろうと思っていたが、季節が変わっても慣れそうにはなかった。寧ろ以前より寂しがり屋に拍車がかかったかもしれない。
「何かご機嫌やな」
いつもの定位置に座った葉月がテレビの電源を入れて八重に温かい目を向ける。
「まあ、葉月がおるしな」
「幸せそうでなにより」
道化るように格好付けて言ったからか、いつもの軽いノリだと思われたようだが、これといって不都合はないので、八重もそれ以上は何も言わず放っておく。
八重は葉月の向かい側に座り、葉月が注いでくれていたお茶を礼を言って受け取る。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきまーす」
葉月に続いて普段はあまりやらない合掌をして、挨拶をしてから黙々と食べ始める。
葉月はどこかのお嬢様と言われても納得できる雰囲気を纏っており、食事をする姿はマナーの教科書に載っているお手本のようだ。実際自分が知らないだけで既にどこかで採用されているのではないかと思ったり、思わなかったり。
そんな彼女と一緒に過ごしていると、どうしても周りの目が気になってしまい、背筋は伸びるし食べ方も綺麗になる。最近では葉月がいない時でも自分に課せられた義務を果たすように背筋を伸ばしたり、食べ方に気を付けたりしている。
それを彼女に話すと、「そんな気にせんでもええのに」と笑われたが、まあ無理な話だ。そこまで図太い性格ではないし、もう癖のようになってしまっている。
しかしおかげで周りからの印象は良くなった気はするし、以前より自分に自信が持てるようになった気もする。
今度何かプレゼントでもしようかと考えながらゆっくりと食べ進める。
二人の食事は静かなものだったが、時折八重が葉月を見つめていると、睨まれたり、同時にお互いを見て笑ったり、終始和やかな雰囲気のまま四十分ほどで二人ともほぼ同時に食べ終わり、挨拶をして食器を台所に運ぶ。
「じゃあ後やっとくし、八重先入ってええよ」
「うん。じゃあよろしく。ありがとうねー」
「はーい、いってらっしゃい」
八重はいつものように食器洗いや布団の用意などを葉月に任せて浴室に向かう。
葉月が「八重は料理作ってくれてるし、泊めてもらうんやからおあいこ」と言っているものの、あまり釣り合ってはいないような気がしていた。
確かに料理は八重の方が得意なので任されてはいるが、葉月も洗濯物を片付け次第手伝ってくれているため、仕事量は圧倒的に葉月の方が多くなってしまっている。しかしそれを言っても無駄なことは分かっている。
シャワーを軽く浴びて浴槽に浸かる。八重はこの時間が一日の生活で一番と言っていいくらい好きだ。今日は葉月がいるため早めに上がるつもりだが、そうでない日はお湯が温くなっても入っているなんてことも珍しくない。
八重は浴槽の縁を枕にして目を瞑り、葉月のことを考える。
葉月とは幼稚園の頃からの付き合いだが、初めからずっと仲が良かったわけではない。よく話すようになったのは、八重が覚えている限りでは中学校に入ってからのことで、それもクラスではなく、偶然同じ吹奏楽部に入り、そこでたまたま同じ楽器を担当することになったからだ。
その頃から葉月はどこか大人びた雰囲気を纏っていた。悪く言えば無口だが、協調性は八重よりもあったと言える。人見知りで話し合いにも消極的だった八重を少々強引にでも引っ張って輪に入れてくれていたのが葉月だった。
思えばその頃から葉月を頼っていた。部活ではもちろん、勉強を教えてもらったこともあったし、化粧を教えてくれたのも葉月だったりする。それ以外にも色々と、あまりにも一方的に世話になってしまっている。
やはり何かプレゼントした方がいいなと、決意をすると共に水飛沫を上げて立ち上がり、丁寧に体を洗っていく。自慢の髪を特に丁寧に洗い、物足りないような気がしつつもいつもより数十分早く浴室を出る。
ドライヤーで髪を乾かし、パジャマを着てリビングに出ると、葉月と目が合い、何故か残念そうな表情を向けられる。その理由はすぐに本人の口から出てきた。
「八重の髪を乾かすのは私の役目じゃなかったの……」
「そんな役目はないです」
そう言ってベッドに凭れている葉月の横に座ると、葉月は八重の髪をすうっと持ち上げて、落として、持ち上げて、落としてと遊び始める。
葉月の指が八重の髪を撫でる度、頭がぞわぞわしてくすぐったかった。
「ほら、上がったら私が乾かしたげるから早よ入り」
くるくると人差し指に絡めて遊びだした葉月の腕を捕まえて言った。
「それはええわ」
「なんでよ」
「そんな人にやってもらうほど伸ばしてへんし」
「この私の厚意を受けないとはええ度胸やないか」
「お風呂入ってきまーす」
「うわ、無視しよる」
すっと立ち上がり、足を跨いで浴室に向かう葉月の手を叩いて見送り、出したままにしていたお茶をコップに注いで飲み干す。
葉月は八重ほど入浴時間が長くない。八重が携帯でやっているゲームにログインして、時折微かに聞こえてくる心地良い鼻歌を聴きながらいくつかミッションを熟していると、火照って顔を赤くした葉月があがってきた。
髪はちゃんと乾かしてから出てきたようで、もしかしたら乾かしてと頼んでくるのではないかと、密かに予想していたのだが、その期待が外れて勝手に損した気分になる。
「八重ー、このアイス食べてもええのー?」
台所で冷蔵庫を漁っていたらしい葉月が少し声を張って聞いてくる。八重は何が入っていたか自分の記憶を探り、なんでもいいか、と途中で諦めて「ええよー」と返事をすると、葉月は両手に抹茶のアイスとスプーンを持って定位置に座る。
「あ、何か飲む?」
葉月は完全にお尻を床につけてしまった瞬間に言った。
「お茶でええやろ」
わざわざ取りに行くのは面倒だろうと思い、そう答えた。
「えー、合わんくない?」
八重も心の中で同意し、重い腰をあげる。
「じゃあ何がいい?」
「カフェオレってある?」
「温かいのでええんやったらあるで」
「じゃあそれで」
「りょうかーい」
八重は食器棚から二人分のマグカップを出して、葉月のものには普通のカフェオレを、自分のものにはホワイトチョコのカフェオレを作って持っていく。
「八重のやつなに?」
「ホワイトチョコ。飲む?」
「いや、ええわ」
「美味しいのに」
葉月はホワイトチョコが苦手らしい。ここで嫌いだとか、人の好きなものを貶すようなことは言わないのが葉月の良いところだ。
好きなものを共有できないのを少し寂しく思いつつも、葉月が嫌がることはしたくないので大人しく引き下がり、舌を火傷しないよう慎重に、表面だけを飲む。
アイスの蓋を開けつつ時計を見ると、既に二十一時を回っていた。
「もうこんな時間なんやな」
偶然、同時に時計を見ていたらしい葉月が言った。
「ね。早い」
この世界では夕方から時間が加速する仕様になっているのではないだろうか。朝から葉月と買い物に行って、家でのんびりゲームをしていただけだが、気付けばもう一日が終わろうとしている。
ふと、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
蓋を開けたアイスをテーブルに置いて、すりすりと葉月の方へ体を寄せて葉月に軽く凭れかかる。
「なに? 眠い?」
「いや……」
先を言おうか迷い、アイスを一口食べる。
先ほどまでは気にもならなかったこの静かな空間が落ち着かなくて、甘い抹茶を味わいながら葉月の太ももを撫でると、葉月の暖かい手が重ねられる。八重は手をひっくり返してぎゅっと握る。
「あ、そういえばこの前言ってたんはどうなったん?」
葉月が空いた右手でカフェオレを飲んで、少し明るい調子で聞いてくる。
「この前?」
「ほら、先週なんか告白されたけど保留にしたとか言ってたやん」
「あー……あれか」
先週の金曜日に社会人になってから初めて愛の告白というものをされた。
その人は先月、外で八重が体調不良で動けずにいたところを助けてくれた人で、お礼をするためにと連絡先を交換し、それ以来何度か食事に行っていた。疚しいことがあるわけでもなさそうで、もしかして、という程度に思っていたのだが、先週ついに告白をされたのだ。
その人に好意を持たれていたことは嬉しいのだが、八重は彼のことを恋人として接する自信がなかった。それなのに付き合うのは彼に申し訳ないような気がした。しかし正直にそう言っても納得してくれるわけがないだろうし、かといって他に断る理由もなかったため、一旦保留ということにした。
「何か進展あった?」
「いや、まあ……断った」
「あれ? そうなん? 珍しい」
「いや……うん」
葉月の言う通り、八重は今までなら告白されたらあまり知らない人が相手でも断らなかった。理由は今回とほとんど変わらない。ただ断る理由がなかったからだった。
「何か気に食わんことでもしはった?」
「いや、普通にええ人やったで。めっちゃ喋ってくれはるし、気遣ってくれるし」
「いい人止まりってやつ?」
「うーん……なんというか、今から付き合うってなったらやっぱり結婚まで考えるやん?」
「まあそうやな」
「あの人と付き合えるのは付き合えるし、恋人として好きになれるとは思うけど、まあめんどくさいよね」
「何が? 結婚?」
「うん。結婚するってなったら何かいろいろせなあかんやん。結婚式とか両親に挨拶とか。めんどくさいやん。もっとこう……気楽に過ごしたい」
「子どもとかは? 八重子ども好きやん」
「好きやけど、多分育てるのは無理やわ。ストレスで死ぬ。もしくは殺してまうわ」
「ああ、たしかに」
葉月は今までの八重を思い浮かべたのか、低い声で肯定して苦笑する。
殺すは言い過ぎかもしれないが、実際、八重が保育園でアルバイトしていた時にはストレスで殺意に似た黒い感情があったのはたしかだ。あの時は他人の子どもを一時的に預かっている保育士という立場だからこそ何とか耐えられていたが、自分が親になって毎日あの生活をすることを想像すると、親子を見る度に尊敬の眼差しを向けたくもなる。
八重は改めて世の中の親となった人たちに畏敬の念を送り、アイスを一口食べる。
「葉月は誰かおらんの?」
訊きながら、また一口。
「最近は告白とかされてへんなぁ」
「それもやけど、誰かええ人おらんの?」
「ええ人なぁ……」
葉月は同じ女性の八重が憧れるくらいには容姿も性格も良い。できないことと言えば八重が知っている限りでは運動くらいなもので、仕事も家事もできて、写真という素敵な趣味もあり人当たりも良い。
今まで一緒にいて恋人ができたなんて話を聞いたのは一度だけだ。むしろそれが欠点と言えるかもしれないが、あくまで八重が把握している限りの話なので、大して当てにならない。
「私は八重がいてくれたらそれでええかなあ」
「ほらまたそういうこと言うし」
葉月自身あまり彼氏を作る気はないのかもしれない。嬉しいことではあるが、はぐらかされているような気もして、あまり面白くもない。
「葉月は結婚願望ないの?」
「私も別に……かな」
「めんどくさいから?」
「うーん……何回も言うけど、私は割と本気で八重がいればええと思ってるんよね」
「え、うん」
「そやから結婚するなら八重とやな。八重と結婚できるなら結婚するわ」
「なに? 酔うてる?」
葉月が妙に真剣に言うものだから、何だか顔が熱くなって誤魔化すように葉月の方を見て笑うと、握られていた右手が持ち上げられ、葉月がこちらに向き直る。
「言うとくけど冗談ちゃうからな」
「ん?」
「このタイミングで言うのもちゃう気がするけど、遠回しに言うても絶対気付いてくれへんからこの際はっきり言うわ」
そう言って、葉月は一つ、深呼吸をして、八重のちらちらと動く目を見る。
「私は、八重のことが好き」
八重は合った目を離せないまま、ぎゅっと握られた手を握り返す。
「私を八重の彼女にしてくれる?」
あまりに突然のことで、八重は何か言おうと口をあうあうと動かすが、言葉は出なかった。
それを察してか、葉月がもう片方の手も握って言い聞かせるように言う。
「恋人になってもならなくても、今とあんまり変わらへんと思うで。まあちょっとは変わるやろうけど、何気ないことを報告し合ったり、こうやって家に遊びに来たり、一緒に寝たり。今やってること恋人と何がちゃうの?」
言われて、今まで葉月としていたことを思い返す。
「変わらんやろ? 前に八重が言うてたやん。好きな友達と好きな人とで、何が違うのって」
八重が恋人と別れた時に相談したことだ。愚痴の延長だったような気もするが、確かに言ったことだ。
「私もあれから考えてたんよね。倫理的に恋人としかやったらあかんことはあるけど、別に好きな友達とやったらそういうこともできるなって」
「それは……うん」
八重は今までに何度か男の人と付き合っていたことがあるが、毎回付き合ってしばらくすると、友達の時と何が違うのか分からなくなった。
相手がどうだったかは知らないが、八重は普段から友達にプレゼントをすることはあるし、スキンシップもする。しないことと言えばセックスやキスくらいなものだが、それだけでは身体目的だと言っているようなものだから良い気はしない。それに、多少の倫理観を無視すれば好きな友人相手であればできる。
もちろんそこには葉月も含まれているわけで、それを以前葉月に相談したのだが、結局その場で答えは出なかった。
その答えを今くれているのだ。
「一応言っとくと、私は八重じゃないと嫌やから。私がそういうことをしてもいいと思ったのも、一緒に生きていきたいと思ったのも、この人のためなら何でもできると思ったのも、八重だけ」
「何か嫌味混ざってない?」
「まあ、要するに、私は八重のこと好きやけど、別に気にせんといてってことね」
「いや、それは無理やろ」
考えるよりも先に口に出ていた。
いきなり告白してきたかと思いきや、雰囲気などなかったかのように話す葉月のおかげで、八重は少しずつ落ち着きを取り戻していた。
今まで葉月と一緒にいて、そういう雰囲気を感じたことはあった。何となくではあるが、葉月の接し方が他の人とは違うような気がしていた。しかしそれは幼馴染だからだろうと思い込んでいたのだ。とは言え葉月からはっきりとしたことを言われた以上、もう誤解することもない。
八重は、正常に稼働し始めた脳で葉月の言葉を理解し、返事をする直前、ほんの僅かに悪戯心が湧いた。
「じゃあキスしてって言ったらできるん?」
そう言った次の瞬間、絡まっていた左手の指が解放され、葉月の手が八重の頬に触れ、唇が塞がれる。
急に接近してきた葉月に驚き、目を瞑っていた八重は、瞼をゆっくりと開く。
「これで満足?」
八重は無言でゆっくりと頷く。
顔が熱い。けれども、目の前でしてやったりという風な葉月の顔はまさに茹で蛸のように真っ赤になっている。
「そんな恥ずかしいならせんかったらええのに」
「八重が誘ってきたんやろ」
「いやいや、私はただ私とキスできるのかって聞いただけやし。もう、そんなにしたいなら先に言ってよ」
「よし、分かった」
葉月はそう言って八重の手を握ったまま前に乗り出し、八重に覆い被さるようにして倒れ込む。
「待って! ごめんって!」
「さっきもこんな感じで抱きついてきてたやんな。あれも誘ってたんやな」
「あれはちゃうって!」
八重は慌てて抜け出そうとするが、上から体重を乗せて押さえられた両手は抜けそうにない。かといって葉月を蹴飛ばすわけにもいかないため、苦し紛れに葉月を睨むが、葉月はそんなことで怯むことはない。
「ほら、据え膳食わぬは男の恥って言うやろ」
「だから誘ってへんし男でもない……」
言い切る前に、八重の口は葉月によって塞がれる。
先ほどよりもずっとずっと長く、唇が一緒になってしまったのではないかと錯覚する。
八重はもう怒鳴る気力などなく、押さえられていた手の力が緩んでいることにも気が付かなかった。
しばらくして葉月がゆっくりと顔を離し、ぷは、と息を吐く。
八重はその満足そうな顔を見て言う。
「長過ぎ」
「初めてやった?」
「こんなに長いのは初めてかも」
「それはよかった」
葉月はくすくすと可愛らしく笑い、八重の身体の上から降りる。
「もうアイス溶けてんちゃう?」
「あ、ほんまや」
力の抜けた身体を起こして見ると、すっかり溶けてジュースになってしまっていた。
「もういきなりすんのはやめてや」
告白のタイミングや雰囲気に関しては共犯のようなものだろうと、文句は心の中に留めておく。今言うと追撃を食らうかもしれない。
八重はカップを少し折り曲げて、温くなった抹茶のジュースを飲み干す。
「あれ、ええの?」
葉月がアイスのカップを持ったままこちらを見る。
「付き合うんやろ?」
「八重がいいなら」
「そうねぇ。私も葉月とやったら頑張って生きていけそうやしな」
「じゃあ今日から恋人ってことで」
「多分やることそんな変わらんねやろうなぁ」
八重はそう言って、口直しにホワイトチョコのカフェオレを飲み干した。
ふと、さっきのことを思い出した。それと同時に、葉月に聞こうと思っていたことを思い出したが、心を読んだかのように葉月が言った。
「あ、ちゃんと抹茶の味したで」
「残念。カフェオレやったわ」
ある日幼馴染と 深月みずき @mary_key
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