嘘だらけのインターネット

海沈生物

第1話

 日常をストレスに晒されて生きている。そんな日常から現実逃避するように、SNSにハマっていた。ずぶずぶであった。どぶどぶであった。最初はありふれた日常の愚痴を呟く場として使っていたその場所は、ユーザー数の増加に伴い、いつしか私は「インフルエンサー」(※SNS上で影響力のある人間のこと)と自称して大丈夫なほどのフォロワー数を持つようになった。

 今ではただ「おはよう」と四文字を呟くだけで、たくさんのいいねやリプ(※返信)が飛んでくるようになった。リプしてくるのは大体は私を「慕ってくれる人たち」だが、大量のフォロワー数を持つと、その影響力を利用しようとする「スパム」行為(※SNS上で不特定多数に向けてメッセージを送って来ること。大体詐欺とか怪しいバイトの勧誘)を働くアカウントや「アンチ」(※特定の人間・コンテンツに対して非難する人間のこと)からもリプが届いた。そういうのは「慕ってくれる人たち」にが及ぼす前に、早急に見れない設定にしておいた。彼らの平穏を守るため、そのぐらいの努力は厭わなかった。


 トイレに行って帰る間にも私の「おはよう」ツイートはぐんぐんといいね数が伸びていた。こうやって数値が伸びていると自己肯定感が上がるような気がした。SNSでツイート(※発言)が伸びると気持ちが良かった。数値化された私の「価値」がそこにあった。現実では冴えない「無価値」な人間である私だが、SNSの中の私には「価値」があった。

 しかし、私は満たされなかった。もっと評価が欲しい、もっと「価値」のある存在になりたい。段々とエスカレートしていった。やがて、自己承認欲求のバケモノである私は「炎上」というものに手を染めるようになった。


 例えば、このような自分で実際に「経験」したツイートをした。


『職場の人外中年男性がによるセクハラをしてきた。幸いにも常備していた肉切り包丁でを切り剥がして逃げることができたが、昭和的な、古い価値観を持った、この国の人外中年男性は一体どうなっているのか。中年男性は、全員首を吊って死んでほしい!』


 そんなツイートを頻繫にしていると、一定の確立で「炎上」を起こすことができた。炎上が起こると、人外触手男性当事者からの「全員がセクハラをするわけじゃない。好きで人外に生まれたわけじゃない」というお気持ちを伝えるツイートだったり、あるいは私を擁護しながら自分語りをするツイートだったりが勝手に炎上を広げてくれた。私はただ擁護するツイートだけを延々とRTしておくと「慕ってくれる人たち」と「アンチ」による戦いが過熱してくれた。私はいいねやRTがどんどん伸びていくのをお酒を片手に、「どんどん伸びていくのなぁ」と神様のような視点でそれを鑑賞する。

 一週間ぐらいすると「炎上」は鎮火した。というよりは、大体一週間もすれば次の炎上ネタに移ることが多かった。それが一カ月となれば、よほどSNSが大好きな人間以外は記憶から消えていた。


 ただ何度も「炎上」の方法も何度も繰り返していた頃だった。次はどんなネタで「炎上」させようかなと考えていた時、ふと「嘘」のツイートをしてみようと思い付いた。いつもは多少の脚色はあれど「経験」したことを書いていたが、それだと書ける範囲が少ない。たまにSNSで「その物事の当事者しかその物事が主題の作品を書いてはいけない」というものを見た気がしたが、私の頭の中で「想像」したのならそれは「経験」したのも同じであった。私は早速、「嘘」のツイートをした。


『以前一人で火星に旅行へ行った時の話だが、向こうの国に住み人外は性別がないのでそういった差別がないそうだ。私の国の話をすると、”冗談だろ?”と笑われた。性別に囚われるような人外中年男性たちは、もっと火星人たちのように、”フレッシュ”に変わるべきだ!』


 私は火星に行ったことがなかった。適当にSNSでよくバズっているのを見るような情報を「模倣」して書いただけの発言だった。さすがにこんな量産型みたいなパクったことが「露骨」な「嘘」を信じる人はいないだろうと思った。しかし、私のツイートに対する反応はいつもと変わらなかった。「私も実は海王星に行った時に――――」「人外中年男性に対する差別だ! 酷すぎろ、そもそも――――」といういつもの「炎上」の仕方をするだけで、「これは嘘だ!」と指摘するリプはなかった。


 彼らの発言は「真実」だ。私が適当についた「嘘」と違って、確かな「真実」なのだ。彼らはとても熱くその「真実」について語り合っていて、でも元である私のツイートは真っ赤な「嘘」なのだ。私は――――いや、本当にそうだろうか。

 彼らの言っていることが「真実」である証拠なんて、どこにあるのだろうか。私がこんなにも簡単に「嘘」をつくことができたのだ。今私にリプをしてくれた人たちだって、自分「噓」をついている可能性があるのではないか。ただ優雅な朝ごはんを食べているツイートだって、誰かの食事の画像なのかもしれない。あるいは、今バズっているツイートだって、数年前にバズったツイートが再生産されただけのものなのかもしれない。


 そのことに気付いてしまった時、私は「炎上」させることが感じた。とても退で、心底ものであるように感じた。


 私は私に言及する人たちのことを「慕ってくれる人たち」や「アンチ」と思っていた。しかし、彼らが見ていたのは「私」ではなく「彼らが”言及”するネタを提供してくれる存在」であって、別に私という存在はどうでも良かったのではないか。慕ってくれていたと思っていた人たちは、本当は私のことを「便利な道具」として見ていなかったのではないか。私はただ「言及」するために使われる「道具」だった癖に、そんなことを面白く感じていたのではないか。私は軽い人間不信に陥った。


 今まであれほど輝いていたと思っていたSNSの数値化された「価値」が、もうただの「記号」にしか見えなくなった。まるで酒を飲んだ後の二日酔いのように、麻薬が切れてハイじゃなくなった時のように、何を呟こうとしても心に重い鉛のようなものがのしかかっているように思った。どんよりとした気持ちがそこにあった。


 呟くのをやめて一週間、私が死んだんじゃないかと心配するリプがチラホラ見受けられた。そんなツイ廃に見られていたのかと変な笑いがこみ上げてきた。同時にそんな自分に対する自己嫌悪の感情が湧いてきた。こんな心が虚無で満たされている癖に褒められると嬉しく感じるなんておかしい。自分を感じた。


 いっそ「ちょっと冥王星での仕事が忙しくて最近ツイートが出来てませんでした。申し訳ありません!」とツイートしてやろうか。そんなSNSを本気でやっているみたいな、気持ち悪い存在へと自覚的に成り下がってみようか。そうして、私は一切思ってもみないことを虚無のまま呟き、それこそ「道具」として自覚的に生きてやろうか。その想像をするとちょっと楽しそうだなと思ったが、同時に「そこまでしてSNSに固執する必要はあるのか?」という気がしてきた。「嘘」とか「真実」とか考えるぐらいなら、いっそ悩みの根底であるSNSを断てば良い。止めてしまえば悩む必要はなくなる。「経験」の伴う現実だけに生きることができるのだ。


 それなのに、私はSNSをするということには、何か「得体の知れない蠱惑的な魅力」があった。社会的に優位に立てるとはまた違う、もっと得体の知れないものがそこにはあるように思った。

 だから、私はSNSをやめられない。「炎上」してバズることをやめられない。SNSを見ると、つい炎上しそうな言葉を選んでしまう。その何の「価値」もない数値に依存して、依存して、依存して。作家やオンラインサロンで儲ける人間でもなし、その先に何もないと理解しながら、ただ「炎上」して、「嘘」の「価値」を上げ続ける。

 いつか私のアカウントが凍結(※アカウントが運営によって停止されること)されるまで、私は「嘘」だらけの世界で思い上がっているように見せかけた世界で、く「炎上」を続けるのだ。私は文字を打ちこむと、ちょっと頬を緩ませてツイートする。


『ちょっと冥王星での仕事が忙しくて最近ツイートが出来てませんでした。申し訳ありません!』

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