幼馴染の私

朝霧 陽月

私の秘め事

 ああ、なんなのだろうか……喉の奥に何か引っかかているような、この気持ちは。


 なんとも言えない気持ち悪さを飲み下すように、私は手元のドリンクを口にする。

 そうしても一向にマシにならないソレを更に誤魔化すように、今度は手元のポテトに手を付けた。


「ねぇ、聞いてる?」


 だがそんな可愛らしい声が私の耳に届いたため、私はその動きを止めるしかなかった。


「あー、うん聞いてるよー」


 私が顔をあげるとそこにいるのは、ふわふわの栗毛とくりくりした目でじっとコチラを見つめる可愛らしい女の子だった。

 同じ高校指定の制服に身を包んでいるというのに、私とは全然雰囲気や着こなしが違う事実にいつも悲しくなる。


「じゃあさー!友香ともかも一緒に行こうよ、しばもふランド!!」

「うーん、私はちょっとどうかな……」

「なんで!?その方が絶対楽しいのにっ!!」


 私が答えを濁すと彼女は、ぷくっと頬をふくらませて不服そうな顔をした。

 しかしそんな様子すらも、間違いなく客観的にみて可愛らしい。


 その見た目も、耳をくすぐるような声も、ちょっとした仕草も、果てはその性格さえも、彼女を構成している全てが余すことなく可愛らしい、まるで理想の女の子みたいな存在。

 それこそが今の目の前に座っており、私の幼馴染で親友でもある、河井 明里あかりだった。


 華奢で可憐な彼女と、お世辞にも華奢とは言えない高身長な私が並ぶと、その差は歴然で。私はいつもそんな現実に打ちのめされていた。


 ああ、せめて私にも明里の半分……いや、四分の一くらいでも可愛げがあればよかったんだけどな。


「ねぇーねぇー、一緒に行こうってばラ・ン・ド!!絶対、ぜぇーったい、楽しいから……ったぁ!?」


 握りしめた拳をブンブン振りながら、一生懸命力説していた明里だったが、突如彼女の頭に手刀が落ちてきて、その言葉は打ち切られた。


 顔をしかめた明里は、勢いよく後ろを振り返ると、そこにいる人物を睨みつけた。が、やっぱりそれさえも小動物じみていて可愛らしい。


「いきなり何するの!? 暴力に訴えるなんてサイテー!!」

「軽く触れた程度のそれのドコが暴力だ。それよりも友香を困らせるんじゃない」


 しかし彼女の怒りを向けられた当の本人は、慣れた様子で一切悪びれる気もない。それどころか、逆に明里へ厳しい目を向けつつ苦言を呈した。


「は?別に困らせてなんかないもん、普通に会話してただけだもん」

「嘘つけ……ほら、また明里に振り回されて大丈夫か友香?」


 そう言って明里に向けていたのとは違う、優しく気遣う風に私へ笑いかけたのは、私や明里と同じ学校の制服を着た男子生徒。

 身長もそれなりでありながら、長年陸上部に所属している彼は、体格もしっかりしており、自然と目を引く存在感があった。


「うん、全然大丈夫だよ浩太こうた


 彼は私たち二人共通の幼馴染でもある、水野 浩太だった。

 そう、私たちは小学校から十年来、仲の良い幼馴染三人組なのである。


「ほーらー、友香は全然大丈夫だってー。ていうか浩太ってば、なんで呼んでないのにここに来たの?今日は女子会だよ」

「だったら三人のグループ内でメッセージを飛ばすなよ」

「えーちゃんと友香だけに呼びかけて、女子会やろーって言ったもん!女子会なんだから、当然浩太はメンバーに入るわけないじゃん」

「屁理屈だな」


 ムッとした表情で睨み合う二人の間に、私は「まーまー」と割って入る。


「ほら明里、せっかく浩太も来たんだし入れてあげようよ」

「えぇー」


 露骨に嫌そうな顔をする明里に「むしろ私が」と言いかけたところで、横から浩太の声がそれを遮った。


「いや、逆に明里が席を立つ頃合いじゃないのか」

「は?私がなんで……」

「だって、そろそろ用事があるはずだろ?」


 浩太の言葉に「別に用事なんて」と言いかけた明里だったが、そこで何かを思い出したかのようにハッとすると、テーブルに手を付いて勢いよく椅子から立ち上がった。


「あ、いけない美容院の予約してたんだった!!」


 そこから明里は慌ただしく自分の荷物をまとめ、鞄を肩にかけた。


「ほーら、俺が覚えててよかったな?」

「ちょっと、分かってるなら先に言ってよ!」

「今、言ったじゃないか」

「それが遅いって言ってるのっ!!」


 そうして明里は帰り支度を済ませると、私に向かって軽く手をあげてにっこりと笑った。


「それじゃあ明里またね、ランドのことはちゃんと考えておいてよね!!」

「コラ、明里しつこいぞ!?」

「ふんっ浩太なんて、べぇーだ!!」


 最後に明里は浩太に向かって、あっかんべーするとトテトテと走り去っていった。

 走り去った明里を見送ると、浩太はそれまで明里が座っていた私の向かいの席へ、ストンと腰を下ろしため息をついた。


「やれやれ、うるさいやつが消えてようやく静かになった」

「浩太ったら、またそんなこと言って……」

「まぁ、いいじゃないか。これでようやく二人っきりになれた」

「何言ってるの?こんな人のいる店内なんだから、全然二人っきりじゃないでしょ」

「まったく、つれないなー」

「っ……」


 もうちょっとで出そうになった言葉をどうにか飲み込むと、私は笑顔を作って彼に言った。


「それで私になんの用?」

「用がなきゃ、一緒に居ちゃダメか?」


 冗談めかした口調でそういう浩太に、私は同じく冗談めかした調子で返した。


「もう、さっきからふざけて口説いてるみたいな言葉ばかり言わないでよ。最近、明里と付き合い始めたばかりのくせに」


 そう、浩太と明里はつい最近付き合い始めたばかりの関係……つまり恋人同士だった。


「それでも俺とお前が、気軽に軽口を叩きあえる幼馴染であることには変わりないだろう?」

「……そうだね、でもあまりそんな調子だと、明里に浮気してるって言いつけちゃうからね?」

「おっと、そいつは気を付けないとな」


 そんな気もなさそうにニヤリと笑った浩太だったが、一息つくと一変して急にすっと真顔になる。そうして真剣みを帯びた眼差しを私に向けると、彼は重々しく口を開いた。


「友香、ここからは真剣に聞いてくれ」

「なに……?」


 その雰囲気に内心気圧されつつも、それを表には出さずに私は聞き返す。


「お前は俺にとって大切な幼馴染だ、だから何かあれば当然心配もする」

「あはは、さっきの言葉よりもこっちの方が嬉しいかな」

「おい、茶化すなよ……」


 少し怒ったような顔で睨まれた私は、流石に口を噤む。

 ああ、やっぱり誤魔化しきれなかったか……嫌だな。


「友香、お前さ最近ずっと何か無理をしているだろう?」

「何かって……別に何もないよ?」


 私が否定すると浩太は、真っすぐ射貫くような目で私を見つめて言った。


「嘘だな。これでも長い付き合いだ、お前の様子がおかしいことぐらい分かる」


 ああ、やめてよ……そんなこと言わないでよ。


「でも全部が全部分かるわけじゃないと思うけど?」

「そうだな……だとしても、お前が何かを隠してて、ツラそうだということだけは分かるよ」

「……」


 その言葉を投げかけられた瞬間、懸命に張り付けていた笑顔が剝がれそうになる。


 はぁ、なんでそこだけ分かるのかなぁ……私がずっと浩太を好きだってこと恋愛感情を向けていることには全く気付かなかったくせに……。


 喉のすぐそこまで込み上げてくるそんな思いが、うっかり溢れてしまいそうで……それを止めるために私は俯くことしか出来なかった。


「言いたくないのなら、無理に言う必要はない……だが心配くらいはさせてくれ」


 ああ、やめてよ。そんなに優しい言葉を掛けないでよ。

 そんなアナタのことが私は大好きで……苦しくて、離れたくなくて、だからこそ。


「明里との仲を取り持ってくれたのもお前なんだから、少しくらいはその恩返しをさせて欲しんだ」


 他でもない明里との仲を取り持つことにしたんだ……。

 私は、とても自分勝手だ。


 実は前々から《浩太が明里を好きなのだろう》ということは、薄々分かっていた。

 それだけならば、まだ私にも希望があったかも知れないが、明里自身も密かに浩太のことが気になっていたらしい……いわゆる両片思いというやつだった。


 普段から友達の相談相手になりやすい私は、ちょうど似たようなタイミングで幼馴染二人からも恋愛相談を持ちかけられることになった。

 浩太からは《明里が好きだということ》を、明里からは《浩太が好きだということ》を……。


『でも俺は明里とどうこうなりたいというわけじゃなくて——』

『でも実際に私がどうしたいかというとね——』


 しかしその相談内容は想いを成就させたいというものではなく、私たち幼馴染三人の関係性を壊さないために、その気持ちを諦めるつもりだという告白だった。


 二人はとてもこの関係を大切に思っていて、恋愛感情なんかでそれを壊したくないと思っていたのだ。

 なのでそれを逆に利用した……。


「あとさっきの明里のアレも悪かったとは思うが、多少は分かってやってくれ。アイツは俺と二人だけで出かけることで、お前のことをのけ者みたいにするのが嫌だったんだろう」


 知ってる、だって明里はそういう優しい子だから。


「もちろん俺もお前さえ嫌じゃなければ、一緒に来てくれることにも賛成なんだがな?」


 それも当然知ってる、そんな二人だからこそ、私はあえてその仲を取り持ったのだから。


 本当に……私は自分でも嫌になるくらい自分勝手だ。

 それまでは上手く浩太が失恋すれば、私にもチャンスがあるのではないかと淡い期待を抱きつつ、いざ自分が浩太と結ばれるのが難しそうだと分かったならば、即座に別の算段を付けたのだから。


 幼馴染三人の関係性が長く続き、このままで一緒に居られる状態を維持できるようにすれば、例え恋人に慣れなくても長くその側にいることは出来る……。


 そんな考えを思い付き、即座に実行した。


 だって他でもない『三人の関係性のために自分の気持ちを諦めようとした』この二人ならば、例え付き合ったとしても私のことを気遣って、幼馴染三人の関係性を維持してくれるだろうと分かってしまったから。

 なんて薄汚く身勝手な打算だろう……。


 二人が感謝して私に気を使ってくれるほど、私の汚さが身に沁みた。


 でも彼らがそれぞれ別の誰かと結ばれて、関係性が希薄になり、三人が完全にバラバラになってしまうよりは、ずっといいはずだ。

 二人も私もそれが一番幸せなはずなんだ……そう、幸せなはずなのに……。


 いざ二人が付き合い始めてみると、私は自分で思っていた以上に、ずっと自分の気持ちに苦しむことになった。


 二人の恋人らしい振る舞いを見れば見るほど、切なくて苦しくてたまらなかった。

 だけどそれも二人が見せつけているわけでもなく。むしろ三人でいる時は、今まで通りで居ようとしてくれているのにだ……私は時々垣間見える、それを見るだけで勝手に苦しんでいた。


 自分で仲を取り持ったはずで、他でもない自分自身のためにそうしたはずなのにね……。

 ああ、本当に私は最低だ……。


「なぁ友香、押しつけがましいかも知れないが、お前には幸せで居て欲しいと思ってる」


 だから、そんな私に優しくなんてしないでよ……。


「いつも他人の世話ばかりして気を使って、素直な気持ちを言い出せないお前だからこそ……俺だけはちゃんと友香の理解者で居たいんだ」


 そんな風に気を使われるほど『私の気持ちなんか理解できないくせに』って思ってしまうのだから。

 ごめんね、最低だよね、私もこんな自分が大嫌いだよ。


 そんな風に、ぐるぐる回る汚い感情と、罪悪感と、自己嫌悪はどんどん私を蝕んでいく。

 でもこれは抑え込んで、隠さなきゃいけないもの……だってこれは私自身が選んだものだから。


 なのに……。


「……友香」


 彼から優しく名前を呼ばれると、思わずテーブルのうえに置いた手が震えた。

 色んなものが入り混じったこれがどういう感情で、どうして震えているのか、もはや私自身も分からなかった。でもどうにかそれを止めようと、意識すればするほど止まらなくて……。


 そんな震える私の手に、そっと優しく大きな手が添えられた。


「だからいざとなったら一人で抱え込まず、いつでも相談しろよ?お前は俺にとってずっと変わらず大切な幼馴染なんだから」


 その言葉を聞いた瞬間、今まであったゴチャゴチャな感情は押し流されて、代わりに暖かさと悲しさと寂しさが同時に押し寄せた。


 そうだ、私は彼にとって幼馴染……。

 ずっと変わらず永遠に幼馴染だ。


 それは紛れもない私自身が、選んだ選択なのだから。

 分かってる、だからもう大丈夫。


 改めて私は自分自身にそう言い聞かせると、顔をあげて無理矢理笑顔を作った。


「うん、ありがとう……」


 でもこの笑顔はあまりにも下手くそで、きっと浩太にもそれは伝わっているだろうけど、今は別に構わない。

 ここではこれ以上言及はしてこないだろうし、これからもっと上手く笑えるようになるだろうから……。


「これはね……そのうち話せるようになったら話すよ」


 そして私は、ゆっくり丁寧に、自分の中にあるものを吐き出すかのように、そんな言葉を紡いだ。思った以上によどみなく口に出来たことに安堵しつつ、私はにこにこと彼の顔を見つめた。


 表面上は無理矢理に取り繕ったけど、この言葉自体は紛れもない本当の気持ちだ。

 どれほど先になるか分からないけど、いつか時間が流れ、この切なさも苦しさも薄れ、自分のやましささえも許せるようになったのならば、きっと……。



「そうか、分かった……でも、その時にはしっかり向き合うからな」

「ふふ、ありがとう。期待しないでおくね」

「おっ言ったな!?」


 そう、だからそれまでこの気持ちは、心の深い奥底へ……宝物を隠すように鍵をかけてしまっておこう。

 その全てがいつの日か、きらきらと輝く本物の宝物美しい想い出のように思えるその日が来るまでは。



 私は大切な彼らの隣で、ただの幼馴染の私で居続けるんだ。

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幼馴染の私 朝霧 陽月 @asagiri-tuyu

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