龍爪家の絶望2
「一週間後、いえ、六日後に鬼たちの襲撃があります」
議場の全員が夜想桜刃が言うその言葉に、なるほど、と心中で頷いた。鬼の襲撃をどう食い止めるかの話かと。
「ですので、まず五龍家の方々には、夜想国から島外に逃がす資産、人員などについてリストを出して貰い、三日後の船でそれらを出して貰います。霊力の高い女は確実に外に出すか、自害させてください。鬼に腹を使われると強い小鬼を産まされますから」
――静寂。
「上位の刀姫の方々も全て国外に出ていただきます。足止めは中級上位の青鋼刀の方々を中心に、それより下の階級の刀姫の方を出します。本当は全ての刀姫を国外に逃したいのですが、統制も効かずに自滅するよりは、残る全てを使って多少の抵抗をすべきと――」
――轟音。
龍の背に兵を乗せる
「なにふざけたこと言ってやがる! 逃げるだ!? 一千万の民草はどうするってんだ!!」
「大商人、技術者を中心に今、国外に逃げるリストを作っています。こぼれた方は申し訳ないが、諦めていただく」
どういうことだと龍爪雷空は呆然と夜想国の国主である夜想桜刃を見る。
「鬼の襲撃とはいえ、小鬼ぐらいだろ? 大龍穴から出てくるのは小鬼一匹だと報告が来てると――」
桜牙の言葉に桜刃はゆっくりと首を横に振った。
「大業鬼を頭とした、大鬼三十匹、小鬼無数の
「龍頭軍将軍閣下より報告があってから、大龍穴に過去視ができる術者を送っています。雅人殿は、ここ数年はずっと大業鬼級の相手に加えて、鬼王の一柱すらも滅ぼしていました」
雷空には信じられない報告だった。現実味がない。大業鬼? 伝説に謳われる大鬼を超える化け物中の化け物だ。
鬼王? 最初の剣聖ですら大龍穴に追い詰めることしかできず、倒すことができなかった災厄そのもの――いや、神の一柱だ。
それを雅人が倒した? あの青年が? これこそが鬼たちの呪詛じゃないのか?
「……それを、信じろと言うのか?」
「信じて頂く他ありません。それに、それだけでなく、我が国から大切なものがここ数年、いえ、数十年の間に盗まれていました」
大切なもの、と全員が首を傾げそうになって、龍尾全杳がさっと顔を青褪めさせた。
「心当たりがある方もいるようですね。そうです。我らの失態ですよ。まず、当家からは、魂鎮めの剣聖様の墓陵が暴かれ、その遺骨が盗まれていました。入れ替えの大呪術に使われたのはこの遺骨の灰でしょう。焔桜島に縁深い方ですから、我らの認識を狂わすのに十分な触媒だったかと。加えて、この遺骨から魂を呼び出され、歴代の剣聖様の大業鬼が、その数と同じだけ、つまり五体生まれています」
「……な、なぜ、そのようなことに? というか、なぜ我々は無事なのだ?」
雷空の呟きには、誰も応えない。資料を食い入るように見つめていたからだ。
資料が机に置かれた。突貫で作られたような資料には、雅人が戦っただろう鬼の情報が乗っている。百種を超える大業鬼。それらに加えて。
「鬼斬流の達人の骨から生み出された大鬼だと? 創始者に加え、達人と呼ばれた者たちもおるな」
自身が剣豪でもある龍魂草十郎が呟く。
資料を見れば鬼斬流の創始者である鬼斬円蔵を始め、龍家から出た伝説的剣豪の龍尾白山や龍牙十兵衛、また伝承において決闘無敗の剣豪である龍頭強羅までもがいる。
「待ってください。加えて、神姫が妖刀に堕ちている」
息子である龍爪稲穂が鋭い目で龍尾全杳を睨みつけた。
「神姫七刀が二姫、炎霊姫と氷霊姫のお二方は、龍尾家で預かっていたはずではないのですか!!」
「……――龍頭家の、瑠人様に呼ばれたと向かわれて、そのまま消えられたのよ。龍頭家からは自分たちの家で預かっているから、詮索不要との文もあって」
「違う! 我が家はそんな文は送っていない!!」
龍頭敬三が叫ぶも、ちらほらと他家からも「我が家も、刀姫を送っているが、帰ってきたことはない。剣聖殿が寵愛するからと我慢していたがどういうことだ!」と資料片手に詰る声がある。
資料には、刀姫たちが全て瘴気に汚染され、妖刀として雅人と戦った記録があった。
世界を焼き、あらゆる場を炎にすると言われた炎霊姫、世界を凍らせ、敵対者を身体の内側から凍らせて殺すと言われる氷霊姫。それが妖刀と貸し、剣豪を元にした大鬼たちの元で自由自在に権能を操っていたならば並の剣豪どころか才ある剣豪がどれだけいようとも勝てるわけがない。
だが、雅人は全てに勝っている。何十、何百と戦って、滅ぼしているという報告が資料にはあって、龍爪雷空はその奇妙さに資料を何度も見てしまう。
「父上、どうなされたのですか?」
敬三と他家の当主がやりあっているのを聞きながら雷空は資料にある数字に疑問を思って声を上げた。
「な、なぜ! なぜ何度も討伐されているのだ。殺しても復活するのか鬼は!!」
いえ、と悲しそうに夜想桜刃が首を横に振った。
「雅人殿は、鬼や妖刀の死体を大龍穴に落として処理をしていました」
その桜刃の説明を陰陽頭が補足した。
「死体の大部分が残っているから、鬼界で蘇生の儀式が行われて全て復活していたのでしょう」
それは鬼王についても同じだった。背中の皮や、魔石、角や心臓などを雅人は回収していたが、身体の大部分を大龍穴に突き落として彼は処理していた。重要器官を抜かれたが、これでは殺したとはいえない。鬼の生命力ならば蘇生の儀式で復活できるだろう。
――なぜ?
なぜそんなことをしたのか、という疑問に対して夜想桜刃は龍頭敬三を見る。敬三は諦めたように言った。
「雅人には、部下を一切つけなかった。加えてどのような功績を立てても小鬼一匹を倒したという報告に、報告を改ざんさせていた。結果として、雅人はどのような功績を上げても無意味だと悟って、再利用を防ぐための死体の回収を怠るようになった」
なお敬三は語らなかったが、敬三は雅人が最初に大鬼を倒した三日後に、処理しきれなかった大鬼の死体が腐ったことを叱っていた。大霊地である大龍穴に大鬼の死体を残すなど言語道断。お前は何もできないのか、と。
達人級の剣士でさえ殺されるような化け物を倒したことを褒めるわけでもなく、ただ叱って、殴って、蹴り飛ばされた雅人。手早く死体を処理しろと言われた幼い子どもが、拗ねて、手間を厭うて死体を大龍穴に落とすようになったのは当然のことだった。
「それに、役人が雅人殿が出した鬼の素材を横流ししていました。自分の功績にならず、役人の懐を潤す鬼の死体をどうして雅人殿が回収するのでしょうか」
陰陽頭の言葉に、雅人がそうするのも仕方なしという空気が広がる。
それに雅人はきちんと教育を受けてこなかった。本人とて流石に気づいただろうが、最初は本当に知らずに大龍穴に落としていたのだ。
「ですが、再利用を防げば、雅人殿も楽になったのでは? 親や役人に対する反発だけでこのようなことをする意味があるのですか?」
龍爪稲穂の言葉には龍魂草十郎が鼻で笑った。
「はッ、この戦歴を見ろ。鬼の王すら殺せる奴だぞ。大業鬼やら妖刀やらがどれだけ来たところで脅威にはならんだろうよ。それに、そうか。復活した達人どもから奥義を
「父上、ご自分も戦いたいなどと思っておられないでしょうな」
「戦うよ儂は。逃げるなんてまっぴらだね」
その言葉に、沈黙が広がる。つまりはこの戦力が焔桜島に攻めてくるというわけだ。
「国主殿、勝てないと判断した理由はなんですの? 確かにこれだけの戦力が襲ってくるのは脅威でしょう? ですが結界の影響もあって通常の百鬼夜行の規模でしか来ないのでは? 小出しの戦力であるならばどうにでもできるのでは?」
龍尾全杳がそう問えば、桜刃は「鎧を」と控えていた従者に言う。言われた従者が別室から大鎧を持ち出してくる。
異様な雰囲気に満ちた鎧だ。
「草十郎殿、これを斬っていただきたい。全力で」
ふむ、と草十郎が立ち上がる。その腰には連れてきていた最上級二十四刀の一刀がある。全身に霊力を漲らせて、草十郎が刃を振るえば、がつん、と鎧は一刀両断されることなく、肩の部分に深い傷を残すだけであった。
草十郎が刃を引き抜けば、その傷がじわじわと癒えていく。
龍頭軍の将軍が言った。
「雅人殿が討伐した大業鬼の皮で作った鎧だ。瘴気が通っていない状態ですら草十郎殿が両断できぬ皮を持つ鬼が頭なのだ」
草十郎がふむ、と唸る。実戦ではこれが素早く動いて攻撃して、反撃もしてくるのだというし、大業鬼であるならばそれぞれ絶殺必至の固有能力すら持つだろう。草十郎自身、勝てるかと言えば首をひねるし、夜想国でも最上位の剣士である草十郎に劣る剣士を何十人と引き連れたところで意味はなく、つまりは草十郎が勝てないとわかったなら、誰にも勝てないのである。
加えて、鬼が身体強化を行えばその皮膚はこれ以上に固くなるだろう。そうなると草十郎でも傷をつけることができるかは怪しい。
だがそれでも逃げるという選択肢に繋がるのはどういうことなのかと国主である桜刃を見れば「毒の瘴気に満たされた場でも同じことはできますか?」と問われる。
「術士に場を整えさせれば良いだろう」
本来、鬼退治は剣士と術士のペアで行うものだ。しかし草十郎の声に陰陽頭が首を横に振った。
「さすがに対剣聖用に鬼が専用の鬼まで創り出して作った毒素を一週間で解析して対策するのは無理です。資料となる毒もありませんし」
そういう鬼がいるとわかったのは、過去視が使える術者の集団で徹底的に雅人の戦闘の痕跡を探ったからだが、実際にその鬼と対峙したことのない陰陽頭たちには対抗術式を作ることができない。雅人が使っていた術式である【極限環境適応印】がどういうものかはわかっているが、あれはあらゆる毒素や環境の変化を無効化する反面、剣聖にしか使えない馬鹿みたいに霊力のかかる術式である。
「ふむ、つまりどういうことだ? 何を言いたい?」
「我々は剣聖を失った時点で敗北しました。次の百鬼夜行までに鬼に奪われてはまずいものは全て島外に逃がすか破棄し、島の奪還計画を島外で練ります」
――事実上の、敗北宣言だった。
◇◆◇◆◇
馬車に乗って夜都の上屋敷に帰宅する龍爪雷空の心中は、どうしてこうなった、に満ちていた。
それに、まだ現実感がやってこない。こんなにも平和なのに、この国は滅ぶのか?
車中に息子はいない。財務長官の補佐として活躍している息子は庁舎に籠もって、国内外の資産全てを計算し、脱出したあとの金策などを練るという。雷空自身は上屋敷に帰って、龍爪領の資産や技術者、刀姫などのリストを作って三日後までに脱出させなければならない。もちろん自分たちも脱出する。心苦しさはあるが、自分たちが出ないと脱出した避難民を食わせるために金を稼ぐ者がいなくなる。逃げるのは心苦しいものの龍爪家の代わりになんの技術も技能も責任も持たない平民一家が逃げたところで避難民たちが揃って貧困で死ぬだけなので、そこは納得するし、納得してもらうしかない。
そんな中、ふと娘のことに思い至る。
(餡蜜を、食べに行く、か)
既視感。思い出した。龍頭雅人殿が大防人頭に就任して、一ヶ月目のことだった。珍しくおめかしした娘が家の玄関で足をぶらぶらさせていた。雅人様と餡蜜を食べにいくの、と言っていて――自分はどうしただろうかと思い出す。
(そう、そうだ。家の前で、貧乏そうな雅人殿を見つけて、二度とくるなと追い払った)
申し訳無さそうな顔をして、大防人頭の給金がもらえず、香餡堂には一緒に行けないと伝えてくれと雷空は雅人に頼まれたことを思い出した。それを幸いに、雷空は餡蜜一つ買えない貧乏な当主殿は二度と娘と会わないでもらいたいね、と言って追い払ったのだ。
(そうか、禄さえも、貰ってなかったのか)
功績を奪われ、部下もつけてもらえず、金さえも使えないお飾り当主。
あざ笑うだけあざ笑って、娘を嫁がせる相手ならば、娘と遊びに行く小遣い銭ぐらい貸してやればよかったのに、雷空は雅人を追い詰める一人となった。
そうして、それが娘の心が狂った理由となった。
果たせぬ約束を思い出した娘は、自分が身体も腹も汚された現実を理解したくなくて、雅人との思い出に浸っている。
その相手の雅人は既にみのりのことなど忘れ去っているというのに。
(雅人殿からの文が届かなくなったのも、半年ぐらいしてからだからな)
途中までは届いていたその文すら差し止めていたのは雷空だが。
それに聞けば雅人は剣士病を発症しているという。剣士病――戦いの場での相棒でもある、老いず、美しいままの刀姫に剣士が、妻や恋人を捨てて耽溺する病だ。
雅人が戻ったところで、娘の入る余地はとっくにないのだ。
自分がこの国を滅ぼした原因の一人であるという実感が湧くにつれ、雷空は家に帰るのが恐ろしくなってくる。
きっとみのりは玄関で待っているだろう。
八年前の約束を果たすべく、既に断ち切られた自分たちの絆があるのだと、狂った心のままに。
(すまない。すまない。みのり)
◇◆◇◆◇
その日の晩、多くの貴族の姫たちが命を断った。その中には龍魂草十郎の孫である龍魂咲良の名もあった。
彼女たちは剣聖を蔑ろにし、凡愚の種で孕んだ己が許せなかったのだろう。家族らも止めることはなかった。
龍爪家では監視していたためにみのりは無事であったが、真っ白な紙を見つめながら雅人から文が届いたと(雅人からの手紙は八年前に全てみのりの手づから破棄されている)歓喜するみのりを見て雷空は己が選択を、心底から後悔し続けるのだった。
剣聖追放からのざまぁ 止流うず @uzu0007
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます