龍爪家の絶望《たくさん人間が出ますが名前を覚える必要はありません》
夜想国五大貴族は通称、龍家と呼ばれる。
その龍家第四位である龍爪家の当主である
「当主会議? この時間にか?」
陽は落ちかけ、夕暮れが街を支配している。
もっとも最近導入された魔導灯にも明かりが灯され、夜になればその幻想的な光が都市を覆うようになるだろう。
大龍穴という巨大な地脈を持つ焔桜島には鬼以外の魔物が出現するダンジョンがいくつかある。
魔導灯はそこから軍がとってきた魔石を燃料とした都市設備だった。
もちろん龍爪家も領内にあるダンジョンに採取のための人員を回している。ダンジョンからの魔石収入は家の台所に少なからず影響を与えるためだ。
なお、夜想国の武家の就職事情を満たすために、夜想国には大陸のような冒険者ギルドは存在しない。
全てのダンジョンは国と龍家が所有し、管理していた。
「あの、剣聖殿の件ではないでしょうか?」
龍爪家の内向きの要件を差配する家宰の言葉に雷空はそうだろうか、と疑問に思った。
「剣聖殿の治療は既に終わっているし、罪人である雅人は逃げたのだろう?」
忌々しい、と雷空は雅人のことを思い出す。龍頭家当主とはいえ名ばかりで、剣技に優れ、使える術式は多彩で、遠目に見るだけでも力溢れる霊力に満ちた好青年――疑念が頭を覆う。今、俺は何を考えた? 雅人はクズ、だったはずだ?
「とはいえ、それ以外ですと……ふむ、この時期に緊急で当主会議を開催するほどの案件はなかったと思いますが」
急使から受け取った書類に目を落とす家宰。
そこには会議の要件は書いておらず、綺麗に整えられた書式と、言葉という装飾に覆われた、とにかく早く来いという意味の連絡だけが書かれている。
「ふむ、では夜想家に何かあったか?」
「わかりませんな」
龍爪家は財務官僚を輩出する家で、雷空自身も龍家当主として多少の武と術を修めているが、その本業は財務長官だ。
そんな雷空に焔桜島内部で災害があったなどの情報は入っていない。
では何だ? 財務長官を呼ぶような事態があるのか? わからないものの、妙に胸騒ぎがしてくる。ついには悩むことをやめ、家宰に命じて、支度を整えさせる。
そうして馬車の用意ができたと呼ばれてから、見送りの家宰を引き連れ、家の玄関口にたどり着いて、奇妙なものを見た。
――娘がいる。
龍爪みのり、龍爪家の長女で、雅人の婚約者だった少女だ。
なお剣聖を害した件で速やかに龍頭家からは義絶状と追討令が出され、龍爪家との婚約解消も決まっていた。
なお、この決定は雅人が海上を飛んでいる間に決まったことで、そのときはまだ彼らが呪術の効果範囲にあった、ということを雷空は知らないし、今後知ることもないだろう。
だから、親の贔屓目でなく衆目からしても至上の美姫といっていいぐらいの美少女である
雷空は、疑問を持ちながらも娘を見る。娘の腹は膨らんでいた。
子がいるのだ。
みのりの腹には出来損ないの罪人である雅人の種ではなく、剣聖である瑠人の子が宿っている。
だから雅人との婚約を解消したあとは、そのまま瑠人との婚約を行う手筈だ。
そのことは娘にも伝えていて、みのりもそのときは笑顔で頷いた。
そのみのりが玄関口に座って、ぶらぶらと足を揺らしていた。子供っぽい仕草に雷空は眉を寄せた。
「みのり、部屋でおとなしくしてなくていいのか?」
「雅人様が来ないのよ」
「……――?」
意味がわからず、呆然とした気分で雷空はみのりを見下ろした。雅人? なぜ雅人? 瑠人ではなく? その瑠人も今は病院らしいが。見舞いに行くとかそういう話ではないのか?
「大防人頭のお給金が初めて出るから香餡堂で餡蜜を食べようってお約束したのに、来ないのよ」
「……――?」
お昼から待ってるのよ、と膨れた様子のみのりが言う。周囲を見れば侍女や兵が控えている。自分に報告は来ただろうかと悩めば、そう言えばみのりが玄関から動かないという報告があって「部屋に戻せ、子供か」と言った記憶がある。
腹に子がいるせいで手荒なことができなかったのだろうが……。
――なんだ? これは?
「龍頭雅人には手配がかかっている」
「手配? なんで? 雅人様は龍頭家の当主様でしょう?」
「剣聖殿を害したことで追放令と追討令が出ている」
笑顔だったみのりの顔から表情が消えて「雅人様が来ないのよ」と言い出した。
「みのり?」
「お約束したのよ。お給金が出たら一緒に香餡堂に行くって。雅人様が大鬼を倒したからきっと龍頭家の前当主様も雅人様をお認めになるだろうって言ってて」
奇妙な既視感があった。こんな風に愚図るみのりを前にしたことがあったような。
「当主様」
袖を引かれれば背後に家宰が控えていた。「お時間が」と言われ、当主会議が開かれることを思い出す。緊急の案件だ。遅れれば遅れただけ嫌味を言われるだろう。
「当主会議が緊急である。帰ってきたら、ちゃんと話をしよう」
龍爪雷空の言葉に「当主会議! じゃあ、ちゃんと雅人様を連れてきてね。お父様」とみのりは笑顔で父親にねだった。
まるで見たことのない人間を見たような気分で雷空は馬車に乗るのだった。
◇◆◇◆◇
「結論から言います。龍頭雅人が魂鎮めの剣聖でした」
夜想家の現当主である国主の夜想
瞬時にバカバカしいという空気が会場に満ち、失笑が何人かの口から漏れた。
当然でもあった。緊急だというから急いで来たのに、いきなりくだらないことを聞かされたのだ。
龍爪雷空は娘の様子も気になったので早く帰らねばと思っていたので思わず立ち上がりそうになったぐらいだが、隣に座っている、議場で合流した息子である龍爪稲穂に軽く肩を押さえられ、留まった。
そうして龍頭家の席にいる龍頭敬三に視線を全員が視線を移した。龍頭家の前当主だが、雅人への義絶状が承認されたことで当主へと復帰していた。
敬三の隣には龍頭家の至宝たる最上級二十四刀が一本、星雨姫の姿もあった。それと龍頭軍の将軍の姿だ。全員が苦々しい顔で桜刃の言葉を聞いていた。
そして苦々しい顔で、敬三は口を開く。
「……――
まさか、という顔で全員が顔を合わせた。しかしその口調には深刻さが宿っており、冗談には聞こえない。
「なぜ?」
龍牙家の当主で、海軍の長でもある青年、龍牙蓮華が言う。
代替わりしたばかりの若当主なために、その隣には前当主である龍牙蓮生もいた。
「桜刃殿、なぜそのようなことが起こったのです?」
「鬼たちの計略であることがわかっています。資料を」
議場の脇に控えていた呪術に関する専門家である陰陽頭が立ち上がり、当主たちの前に資料の紙を置いていく。目を通した雷空は目を丸くした。
「入れ替えの大呪術に、忘却に、曖昧に、暗示に、隠蔽、なんだこの呪術の山は。これだけ掛かっていて、なぜ気づかなかった?」
「焔桜島という土地そのものに、気付かれないように巧妙に掛けられた呪術だからですな。それと対象が限定的すぎました」
陰陽頭が言う。
雅人が魂鎮めの剣聖であるという認識を、印象を、瑠人にすり替える。ただそれだけの術式だと。
ゆえに皆が騙された。
「これが皆が体調不良になるような呪いであれば気づけたでしょう。ですがこの規模で、この精密さで、この複雑な大呪術を一つの事柄の認識を入れ替えることだけに使われれば、我らには気づきようもありませんでした」
申し訳ない、とだけ頭を下げられるも、未だに現実感が伴わず、全員が顔を見合わせた。
確かに緊急であることはわかった。
国の象徴である魂鎮めの剣聖がいなくなるのは確かに問題だ。すぐに義絶状と追討令を撤回し、雅人を連れ戻す必要がある。
「では雅人殿を連れ戻して、名誉を回復していただく必要がありますね」
龍尾家の当主である
五龍家で唯一の女当主である彼女は外交長官も兼ねる才人だ。
今はふっくらとした面持ちのふくよかな女性ではあるものの、若い頃は美人で鳴らし、各国の貴族男性を虜にした中年女である。とはいえ、今でも愛人が十人はいると雷空は耳にしているが。
そんな全杳は厳しい顔を敬三に向け、告げる。
「ただ、龍頭家当主殿には今までのことの責任はとっていただきますよ。我が龍尾家の姫たちに瑠人殿が手を出したことを許したのも、全ては剣聖殿であったからです。ふむ、では雅人殿にも種を注いで頂き、我が龍尾家の姫にも剣聖の子を産んでもらわなければね」
全杳の言葉に、皆がそうだな、と龍頭敬三を見た。敬三は苦々しい顔で「戻ったなら、そうなるように命じる」とだけ言うものの――その顔の苦々しさから全員が無理だな、と悟ってしまう。
「
全杳の言葉に陰陽頭が口を開く。
「雅人殿は、既に海を越えられ、大陸でも、内陸部に位置するどこかの国に降りました。詳しく居場所を調べるためには大陸で場所を占う必要があるでしょう。ただ、雅人殿は我々を超える術者です。呪術による追跡を防ぐために境界に相当するアハルト大山脈は確実に越えているかと思われます」
「見つけたとして、雅人殿の説得はどうなさるつもりだ? 彼に親しい人間はいるのか?」
呪術を認識し、全員の認識が正しくなったことから龍尾蓮生がそのことに思い至る。そうして雷空にそっと視線を向けてくる。雷空の娘である
「わかりません。ことが判明次第、龍頭家に人を向かわせましたが、使用人全員から嫌われ、親しい兵や部下もなく、側近すら用意されてなかったそうですので」
徹底的に現当主から権力を奪い去っている龍頭敬三の所業に全員が馬鹿だろこいつ、という視線を向ける。お飾りにするとはいえ、そのお飾りの内情を調べるための密偵すらいないのは問題だった。
「全ての人間が雅人の側近や部下になることを嫌がったのだ」
敬三が言い訳がましく言えば「つまり評判を取り替えられた瑠人殿はそういう人間ということですか」と龍牙蓮華が呆れたように言う。龍頭家は終わりだろう。二人いる息子のうち、一人が出奔。一人がゴミということはそういうことだ。
「……みのり殿は、ダメでしょうね」
龍牙蓮華のその言葉に雷空は反論をしようとして、ため息を吐く。嫌がるみのりに瑠人と会わせたり、雅人との繋がりを切ったのは雷空自身だったからだ。全ては評判の悪い雅人と溺愛する娘を番わせずに、評判の良い瑠人との子供ができるようにしたかった親心であった。
瑠人の子を孕んだことを自慢げに当主会議で吹聴したのは、つい最近のことでもあった。
――お父様、やめてください。りゅ、瑠人様と会うと頭がおかしくなって。
娘にそんなことを言われたことを思い出す。瑠人に傾倒していく娘を、瑠人に情を持ったと思って機嫌よく眺めていたが、それは全て鬼の計略で、雅人の印象を纏った瑠人に情を持っただけだったのだ。
(なんてことを、俺は娘に……)
内心で自らの所業を後悔する雷空を他所に会議は進む。
「それで、これだけか? 雅人殿の捜索に予算と人手をどれだけ掛けるかという話か?」
黙っていた龍魂家前当主、龍魂草十郎が言う。闊達な武人気質の老人で、鬼斬流の免許皆伝に至った剣豪でもある老人だ。
その隣には龍魂家の当主である龍魂桜牙とその娘である龍魂咲良がいる。咲良の腹にも瑠人の子がいる。膨れた自らの腹をじっと見ている娘が不気味だった。闊達に笑い、剣聖の子を孕んだことを誇っていた娘だったが、この会議が始まってから、その気配はない。
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