第6話・私は自由だ!
PTA総会から一ヶ月後。
私はブリザーブドフラワー教室を訪れた。その日、教室を貸し切り状態にして、現戸城高校のPTA役員会のメンバーが集まると、ある人に教えてもらっていた。
「尾久さん。どうしてあなたがここに? 今日は先約があって……」
「あなたに話があってきました」
教室のブザーを押すと、顔を見せた東鐘さんがハッとしてドアを閉めようとしたのを、足を差し込んだ。
「東鐘さん……?」
東鐘さんの取り巻きの一人が、彼女の異変に気がつき背後から声をかけてくるのに、何でもないと振り返って答えようとした東鐘さんの背中を押して、私は教室の中へと入り込んだ。
「尾久さん?」
「なんでここに?」
「何しに来たの?」
中にいたメンバー皆があ然とし、口々に言ってきた。私は彼女達のことなどどうでも良かった。東鐘さんに言ってやりたいことがあった。
「東鐘さん、あなた、整形していたのね? 随分と容姿が変わっていたから全然、誰か分からなかったわ」
私の言葉にメンバー達が「整形?」と、驚く。
「私、整形なんてしてないわ」
「まあ、いいわ。あなた、私の夫と長いこと付き合っているわよね?」
「なんのこと?」
「しらばっくれないでよ。調べはついているのよっ」
私は撮りだめしていた夫と彼女の写真を、テーブルの上にぶちまけた。白いテーブルの上に、夫と彼女が腕を組んで歩いているものや、頬を寄せ合っている所、そしてホテルに入る所や、ホテルから出て来てキスをしている写真が、所狭しと広がった。
この写真は、口の堅い自治会役員や、PTA役員仲間の、数名の協力を得て、夫の後をつけて証拠となる写真を撮ってきたものだった。もちろん、それは夫に離婚を突きつける前に用意しておいた。
「なにこれ?」
「これ東鐘さんだよね?」
「この男性は尾久さんの旦那さん?」
それまで彼女に心酔していたメンバー達は、写真を手にして「嘘。信じられない」と、呟く。
東鐘さん本人は、否定した。
「私、知らないわ。そんな写真。私じゃないもの」
「そうかしら? ユッコさん。ここの首元の黒子。あなたではなかったら誰なの?」
「そんなの合成でもなんでもすれば分からないでしょう」
わざと出会い系サイトで名乗っている、彼女のペンネームを持ち出して煽れば、彼女はムキになった。その彼女を見て、何か察したのだろう。メンバー達が、彼女に批難するような目を向けていた。
「あなたは私から夫を取り上げて何がしたかったの? しかも、高校のPTA会長になってまで、私を批難する意味ある? そんなに夫と一緒になりたかったのなら、熨斗付けて差し上げるわよ。東鐘さん」
「……!」
「あなたは旦那さまを亡くして、一人で子供三人育ててきたんだものね。立派だと思うわ。でも、本当は子供達の世話は姑や、母親に任せっきりで、自分は婚活に勤しんでいたそうじゃない? 名目はブリザーブドフラワー教室を開くための勉強が忙しいから、子供達の為に就職活動をしなくてはならないからと言って」
彼女が婚活という目的で男漁りをしていたと、言えば仲間達は目配せ合って、東鐘さんから距離を取った。
私も仲間達と調べていて驚いたことだけど、なんと東鐘さんには、三人のパトロンがついていた。ある企業の重役や、中小企業の社長さん、不動産会社の社長さんなどだ。
どうも彼女は婚活で知り合った地位のある高齢の男性に目を付けて言い寄り、「旦那を亡くして子供を三人抱えて暮らしている」と、言うのをウリにして、同情を引き、上手く三人を言いくるめて愛人になっていた。
そしてパトロン達では満たされない肉欲を、出会い系サイトに求め、そこで知り合った男性達と解消していた。夫はセフレの中の一人だったようだ。
「どうも羽振りが良いと思ったらパパが三人いるなんて凄いわ。私にはとても真似できないわ。皆さんはどう?」
メンバー達は気まずげに目を反らした。
「私を中傷してまで勝ち取ったPTA会長の座だもの。夫のことは単なるセフレではないのよね?」
東鐘さんは、何も言えずに黙っていた。
「夫はね、育児にも協力的でなかったばかりか、自分の老いた両親の世話をさせて、自分はぬくぬくとあなたと不倫して楽しんでいたのよ」
「東鐘さん。最低」
メンバーのうちの一人が呟くと、皆が「それはないよね」と、言い出した。
「私は知らないわ。そんな、尾久さんの旦那さんだなんて知らなかった……」
「ユッコさん。不倫して他人の家庭を壊しておきながら、自分は関係ないって顔しないでよ。しかも夫が既婚者だって知っていながら関係結んだのよね? だってあなた達の登録していたサイトは、既婚者向けの出会い系サイトだもの。セカンドパートナーを求める人達の出会いの場よね?」
東鐘さんが青ざめると、メンバー達は「お取り込み中のようだから私達、帰るわね」と、言って、東鐘さんが止める間もなく次々教室を飛び出して行った。
その場に私と東鐘さんだけが取り残され、彼女は項垂れた。
「もう一度聞くわ。あなたは私から夫を奪って何がしたかったの?」
「奪う気なんてなかったの。ただ、やり目的で知り合ったから、彼からは妻とはセックスレスで相手をしてくれないって言うから……」
「相手をしてくれなかったのは夫の方よ。良かったわね。夫には何度でも求めてもらえるんでしょう?」
「尾久さん。ごめんなさい。私は──」
「謝らないで。謝ってもらっても私の気は済まないから。私達、夫婦は離婚することになるわ。そしたら夫と再婚すればいいんじゃない。子供達の為にも、いつまでも三人の愛人をしているわけにはいかないでしょう?」
そのせいで子供達が彼女を良く思わず、反抗的な態度を取っているようだとも聞いていた。
「ごめんなさい。あなたのこと……、私、誤解していた。あんな優しい旦那さんがいながら、なんの不満があるのかと思っていたの。あなたの旦那さんが言うことを鵜呑みにしていた」
彼女の言葉が気になった。先ほどは皆がいた手前か、浮気相手が私の夫だとは知らなかったと暴露していたのに、彼女はもとから知っていたような言い方をした。
「あなたは私のことを知っていたのね?」
「ええ。前に教室に一度だけ体験で来たでしょう? その時に綺麗な奥さんだから覚えていたの」
「私は偽名を使っていたのに?」
「勿論、初めは気がつかなかった。彼に会った時に、奥さんが教室に来なかったか?って、聞かれて。旦那さんが家に帰ったら、リビングに私が扱っているブリザーブドフラワーの置物に似た物があったって。携帯で撮った作品の写真を見せてくれたの。それで気がついて……」
あの日。ブリザーブドフラワー教室を体験した後、私は自分の作った作品を、リビングの棚に置きっぱなしにしていたことを思い出した。夫は関心がなさそうに思えて気になっていたのか。
「あなたが怒るのは当然だと思う。でも、彼はあなたとは別れる気はないと思うの」
「だから?」
「え?」
「別れる気はないから安心しろと?」
「そういうわけでは……」
「あなたは亡くなった旦那さんを愛していたのよね?
その旦那さんが、他の女性をもしも抱いていたとしたらあなたは許せるの?
それに旦那さんが今も生きていたとして、あなたがしていることを知ったとしたら許してくれると思っているの?
お子さんは、あなたのしていることをどう思っているの?
息子はね、夫を慕っていたのよ。でも、あなたと浮気していたと知って嫌悪しているわ。気持ち悪い。そんな人がPTA会長ですって?
PTA役員の模範となるべき存在が、不倫していましただなんて笑えない話ね」
「ごめんなさい」
「あなたがしたこと、私、一生、許さないから。それだけ言いに来たの。じゃあね。さようなら」
「尾久さん。待って……」
私は彼女の縋るような手から逃れるように教室を出た。
それから数ヶ月かかって、私は夫とようやく離婚した。
夫は東鐘さんとの仲を全面的に認めた。夫や彼女から慰謝料をもぎ取った形で、私は息子と共に家を出た。
姑は夫と二人暮らしとなり、「なんで離婚した?」と、夫に言い、自分がその原因の一つになったとは思いもしないようで、私に帰ってくるように言えと言っていたのを、マンションの自治会の人が目撃したらしい。外で出会った時に教えてくれた。
高校のPTA役員会の方は、東鐘さんが会長を続投しているが、副会長らはあの日、私がブリザーブドフラワー教室に現れ、真相をばらまいたことで、それまで東鐘さんの言うことを散々持ち上げて来ていたのに、今は冷たく接するようになり東鐘さんは孤立していると聞く。お子さん達は彼女と離れて暮らすことを求めて、父方の実家に身を預けていると聞いた。
結局、彼女は三人のパトロンからも支援を打ち切られたようで、あの家で一人ひっそり暮らしているらしい。
でも、あの彼女の事だ。肉欲を持て余し再び、出会い系サイトで誰か男性を見繕うのかも知れない。
私は新居で始まった息子とのストレスフリーの二人暮らしに大変、満足している。なぜもっと早く離婚しなかったのかと思うくらい快適だ。
母子家庭となるのに不安はなかった。なぜなら吉住さんという頼もしい先輩が側にいたから。
吉住さんには、家庭内の悩みも相談していた。夫の行動が怪しくて──と、言えば、浮気の証拠集めに協力するよ。と、申し出てくれた。離婚するまでに必要なことや、新居探しにも協力してくれた。
今の私は秋晴れの空のように一点の曇りもなく澄んだ気持ちでいる。
もう誰かの指図で動くこともないのだ。
誰かの都合の良い存在でいることもない。
息子には「母さんはもう好きなようにしなよ」と、言ってもらえている。柵もなく、自分が思うままに生きていける。
誰かの妻でもなく、嫁でもなく、自分らしく。
それはなんと素晴らしい事なんだろう。私は自由だ。
出会い系の女 朝比奈 呈🐣 @Sunlight715
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