バトンタッチ

嵯峨嶋 掌

三叉路にて

 長雨の余韻は、こころにかげった渦をひときわ大きく、広くさせていることに、京美きょうみは気づいている。


 いつもなら多少の雨なら自転車でぐぃぐぃと駆け抜ける。学校まで最短十七分。赤信号が続けば二十九分。

 ・・・・けれど、ここ最近、ペダルの故障もあって自転車ではなく、徒歩で通うことにしていた京美きょうみは、お気に入りの花がら模様の傘をさし、三叉路さんさろで立ち止まった。


(ああ、まただ・・・・)


 ため息しか出ない。通園時間なのか、黄色い帽子をかぶった園児たちが、ゾロゾロと行儀よく二列になって横断歩道を渡るのだ。

 ゆっくり、ゆっくり。

 交通安全の文字が入った旗で誘導しているのは、左腕に自治会の名が記入された腕章をしている年配の男だった。信号が“赤”になっても、園児たちをかせるでもなく、最後の一人が渡り終えるまで三叉路の中央に立ったまま、車を遮断している。

 いつものことで、ドライバーもクラクションを鳴らすことなく、信号が“青”になっても辛抱強く待っているのだから、京美きょうみとしても、待つしかなかった。

 いつものことだ。

 それに。

 ・・・・気がかりなことが一点あった。

 その交通誘導人の初老の男だ。

 いつも、チラリと意味ありげに京美きょうみに視線を注いでくるのだ。


 イヤラシイ目ではない。

 たとえ、一瞬でも、京美きょうみにも、それぐらいのことは分かる。

 舐めつけるような視線ではなく、なにか、言いたげな、そんな感じのボディランゲージだった。

 おそらく、こちらが挨拶がてらに、

「いつも、ご苦労さまです・・・」

などと言ってあげれば、相手も、毎回言いたげにしているその何かを口に出すにちがいなかった。

 そうと分かっていても、信号で必要以上に待たされる苛立ちが先立って、いつも相手の視線をそらしてきたのだ。

 それに。

 見てみないふりは、京美きょうみの得意技だ。これまでも、あまり他人ひとと関わりを持つのを意識的に避けてきた。

 男子から告白されても、イエスともノーとも言えない。言わない。相手と深く関わって、いずれどちらかがイヤな思いをするのがこわいし、べつに、そばに親友や彼氏がいなくても、それはそれでよかった。そんなふうにやってきた。

 数少ない友だちといっていい春奈はるなは、『おしい、っていうか、その性格、むしろ、おいしいかも』と茶化すのだが、クラス内のへんなグループ間の争いや、やっかみの応酬に巻き込まれるよりは、どう思われようと自分のスタイルを押し通すほうが京美きょうみにとってはラクなのだ。

 それで仲間はずれにされたとしても、一向に構わない・・・・とおもっている今どきの十七歳には珍しいタイプだったかもしれない。

  

 その日。

 交通整理のれいの男から、

「あのう」

と、はじめて声をかけられた。

「えっ!」

 京美きょうみは驚いて、つい口が先に反応してしまった。


 そのとき、珍しく車のクラクションが鳴って、慌ててその男は園児たちをかばうように追いかけて走っていった。

 

(な、なんなの!)


 それでも京美は信号を確認して足早あしばやに横断歩道を渡った。

 ・・・・このことを、春奈はるなに話す気になったのは、人がいつもとは違う行動をとるときの心理というものが、京美きょうみには不思議でしかたなかったからだ。

 それに、春奈はるなの母親は心療内科医である。


「べつに、なんか、ただ、話したかっただけじゃないの?」

 

 春奈はるなにはなんの興味もないらしく、それでも、これまでの経緯をじっと聴いているのは、京美きょうみがそんなを口にするのは珍しかったからだ。

 

「ええと、あの三叉路でしょ? いつも朝は、パパの車で来てるけど、交通整理の人なんて、いたかなあ。見たことなかったけど」

「ええっ? そうなの?」

「ま、『うちの孫を紹介します』って、話なら、こっちに回してもらってもいいし」


 春奈はるなはケラケラと笑ってお茶を濁した。


 その夜。

 春奈はるなから携帯で、少し深刻な口調で、

「あのね、今から行ってもいい? ママがね、どうしても、と話したいって」

と、言ってきた。

 春奈はるなの母親には何度かあったことがある。清楚な感じで、どちらかといえば和服が似合いそうな茶道や華道教授のようにみえる。医者という感じはしない。


「ハルナのママが?」

 おもわず京美きょうみき返した。

 心療内科のドクターが会いに来るというのは、やはり、昼間に話したことが原因なのだろうかと、引っかかりをおぼえた。

 もしかすれば。

 自分が会ったあの初老の男のことなのだろうかとも考えてみた。

(ひょっして、あのひと、異常者?なのかな・・・)

 そんなことまで京美きょうみは想像している・・・・。

 すると、無言のままの京美きょうみのことが気にかかったのか、春奈はるなはもう一度、念を押すようにつけ加えた。


「うん、電話ではちょっとね・・・・みたいな話なんだって、さ」

「わたしは、いいけど。お父さん、夜勤で、いないから、来てもらっても大丈夫」

「そう! わかった! ありがと!」


 携帯をきってから、京美きょうみはテーブルの上を片付けだした。ホテルのフロントマンの父は、翌昼まで戻ってはこない。

 母の京子は、二年前に交通事故で亡くなった。高速道路での追突事故が原因だった。飲酒運転のトラックが対向車線をはみ出して数台に激突し横転したために、さらに十数台が巻き込まれた。死者は三十人を超えた稀に見る悲惨な大事故だった・・・・。


 一時間ほどしてやってきたのは、春奈はるなの母親一人だけである。


「ごめんなさいね、突然で。春奈は残してきたの。ちょっと、プライバシーに関わることだから・・・・」

「プライバシー?」

 京美きょうみは驚いた。とりあえず居間に通して、準備していた珈琲をカップに注いだ。

 一息ついてから、春奈はるなの母が、いきなりらしくないことを口に出した。

 

「ねえ、京美きょうみちゃんて、える人?」

「えっ? みえる? って?」

「ううん、ほら、霊とかそんなもの・・・・あっ、ヘンに思わないでね。わたしも十代の頃、みえたヒトだから」

「え、ほんとですか?」

「そう、あっ、でも、このこと、春奈には内緒にね、言わないでほしいの」

「はい、わかりました」


 なるほど、娘の春奈はるなを残してきたのは、そんな内容のせいだろうと、京美きょうみは得心した。


「じゃあ、私がみた初老の交通整理の人って、もしかして・・・・」


 京美きょうみは手にしたカップを落としそうになった。

 すると、はゆっくりと首を横に振った。


「ううん、そうじゃないの・・・・あの方、わたしの患者さんなの」

「え?」

「これ、プライバシーに関することだから、本当は医者は患者さんのことは口外できないのだけど・・・・あの方、今日、お亡くなりになって・・・・」

「ええっ?」


 京美きょうみは二の句が継げない。けれど、春奈はるなの母親が直接会いたいと言ってきたときから、もしかして患者さんかも、とは感じていたかもしれない。けれど、亡くなったとは驚きの現実を突きつけられた気がして、身体の震えが止まらない・・・・。


「今日、十時半に診察したのよ。亡くなられたのは午後3時頃、自宅で・・・・脳梗塞だったらしく、同じ病院に通ってらしたから、そっちの先生から連絡もらって・・・・。あのね、京美きょうみちゃん、かれ、診察のとき、こんなこと言ってた、『やっと、バトンタッチできる人が現れた』って・・・・」

「バトンタッチ?」

「春奈から、あなたの三叉路での出来事を聴いて、ハッと気づいたの。かれが言ってた、バトンタッチする相手って、ひょっとして、京美きょうみちゃんのことかなって」


 突然、そんなことを切り出したの表情は真剣そのもので、こちらの反応を一つひとつ確認しているように京美きょうみには思えた。

 

「でね」

 

 と、は続ける・・・・。 


「・・・・あの方、スクールバスの運転手だったのよ、ほら、二年前、あの大事故に巻き込まれた・・・・」

「あっ!」

「そ、そうなの、京美きょうみちゃんのお母さまも、あの事故で亡くなられたのよね」


 意外な展開に京美きょうみはゴクリと唾を呑みこんだ。


「ここまで喋れば、京美きょうみちゃんなら、察してくれたかもだけど・・・・うん、そう、たぶん、あなたがみた園児たち、おそらく、あのときの大事故で亡くなった・・・・」


 最後まで聴かなくとも、京美きょうみには、、春奈の母が何を告げたいのかが分かった。

 三叉路で自分がた一瞬の光景が、ぱっと頭のなかに浮かびあがった。



          ○


 ・・・・クラスでは、毎朝の京美きょうみのおかしな行動でもちっきりだった。

 通勤前の三叉路で、彼女が交通整理のボランティアをはじめたらしいのだが、誰もいないのに一人で声をかけたり、挨拶をしているらしいのだ。

 

「あいつ、とうとう・・・・だな。前からヘンな奴だとは思っていたけど」

「なんか、運転手も気味悪がって、あそこでは信号が青になっても、すぐにはスタートしないらしいぜ」


 クラスの男子はそんなことを言い合っている。

「でもね」

 そう口をはさんだのは、春奈はるなだった。


「・・・・あの三叉路、市内でも一番事故が多い場所だったでしょ?それが最近、激減したって、ニュースでも言ってたし。それって、のおかげじゃない?」


 すると男子は押し黙る。

 春奈はるなはなにも相手をやり込めたくて言ったのではない。

 たぶん。

 と、春奈はるなは思った。

 バトンタッチされた京美きょうみが黙々とそれをこなしているのをみて、ほんの少しだけ、自分も誇らしい気持ちになっていたのだ。


              ( 了 )


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バトンタッチ 嵯峨嶋 掌 @yume2aliens

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