第25話 新婚その後のラッキーMな話し。

新婚生活は社宅から始まりました。

後々主人に話しを聞いたら、東京には社員が多すぎてなかなか社宅も当たらないとか?それを主人の会社の上司は融通してくださったそうです。それからしても、とてもラッキーMでした。3DKの社宅で3万円で入れました。


まだまだ21歳と若いし、何処かは働きに行きたいと思っていたら、元々名古屋に居た時働いていた会社が東京が本社なので、新婚生活に入って5日くらいしたところで電話が入り「東京の方で働いてみない?」とお誘いの電話までありましたが、主人は、結婚後は家にいて欲しいと言いだし、私もさほどに働きたくも無かったので、代わりに学校へ行く事にしました。学校へ行くことはOKしてくれました。

高校生辺りからスタイリストに憧れ、就職してお金を貯めたら、スタイリストになるための学校に入って勉強しようと思ってました。

それが今こそ実現すると思うとワクワクして、洋裁の勉強が出来そうな学校を探し、訪ねて行きました。

訪ねて行った学校は、『府中女子専門学校』(今は廃校してます)入った時期は、4月も10日ほど経っていたのですが、入学金を入れてもらえれば、いつでも入学してもらっても良いと言われたので、もう即答で、「入ります」と返事をして帰ってきました。

な、なんと入学金がちょうど私がもらった退職金と同じ値段だったんです。(10万円)


またしてもラッキーM効果は発揮!


もちろん、学校なので、教科書、材料費色々必要でしたが、私のやりくりで、何とか行くことが出来ました。


基本的には洋裁専門課程を取っていたので、洋裁を習いましたが、専門学校ということなので、スタイル画を描いたり、和裁を習ったり、刺繍をやったり、ありとあらゆる洋裁に必要な知識を教えていただきました。

専門学校生は、年齢は15歳から18歳と一般の高校生と同じなので、高校と合わせるように、遠足や修学旅行などもあり、一緒に連れて行ってもらいました。


学校から行った先は、横浜の洋裁服装史のわかる博物館や、八王子にあった毎年、流行りの色彩を決めるセンターみたいな所とか、巣鴨にある刺抜き地蔵堂や縫製工事とか、普通では見られない様な所へ色々連れて行っていただきました。文化祭は、新宿にある今は文化大学となっているところまで、ファッションショーを観に行ったり。体育祭の一環として卓球大会に参加させていただいたりと、楽しいことをいっぱい経験させていただきました。


その学校に在学中にお世話になった1人の先生とは、今も交際が続いてます。いつも授業が終わると先生が、服を作っておられるのを見て、勉強したり、お話ししたり、いつしか親友の様になってました。転勤で行ったこともあり、年齢が誰とも合わず、当時お若い先生とお話しするのが本当に楽しかったです。当時彼女は独身でしたが、私が結婚生活の楽しさを散々聴かせて、在学中に、先生を結婚させることに成功し、なんと子供は、我が家の長男、次男共に同じ歳の子となりました。


先生も占いのお話しや不思議話しをいっぱいしてくださって、それはそれは楽しかったです。今も当時の話しが出ると、大笑いしたりしてます。


その学校では修学旅行は、2回も同行させていただき、八ヶ岳方面は白樺湖に行ったり、志賀高原から草津白根山の噴火口の湖を見に行ったりしました。その湖がまたバスクリンの様に綺麗なエメラルドグリーンだったことが今まだ覚えているほどです。私たちが見た噴火口の湖は今は立ち入り禁止区域となってます。私たちが見た翌年にそこが爆発したため、それ以降そこへ登ることは出来なくなった様です。

それにしてもそれもラッキーMな話しでした。


新婚1年目には、もう一度新婚旅行のやり直しとばかりに、沖縄旅行も夫婦で行ってきました。そのツアーパックの安かったこと。

2泊3日のペアツアーで、4万5千円でした。(2人分)当時の1ヶ月の給料が10万円弱だったので、今に換算すれば9万円くらいのツアー。それでも安いですよね〜飛行機代、ホテル代、公園入場料が全て込みでした。その代わり、沖縄に飛行機で当日着いても、お迎えも無く、案内してくれる人はおらず、自分達で民間のバスを使って、今、辺野古問題で大騒ぎになってる名護市まで行き、ホテルまでタクシーに乗り海外そばにあるホテルに行きました。


ホテルとは名ばかりの海岸レストランが大きくなったようなホテルでしたが、海のすぐ前の海の綺麗さに感動!そしてな、なんとホテルの客が私たちだけだったんです。

それにもビックリ‼️オーナーさんによると。

「前日はTBSのテレビ局の人たちがこの海の取材に来てましたけど」とのこと。

食事は、大きなステーキが出て、ステーキももずく酢も美味しくて、ほっぺたが落ちそうになりました。客が私たちだけなので、ホテルのオーナーが自ら出てきて、食後お話しをいっぱいしたことも、とても楽しかったです。

話しの内容・・・面白かったのは当時沖縄ではNHKの料金は払わないのが当然だったという話し。うちの父親がNHKの集金の請求に行ってることは内緒にしてました。

「NHKなんか払うヤツは村八部になる」と言ってましたから(笑)


翌日は、すぐ近くの海洋博物公園に行き、海底ホテルを見たり、イルカショー、ちゅらみ水族館へ行き大きなマンタを見たり、感動の連続でした。新婚旅行は、ハワイに行きましたが、海の綺麗さは沖縄の方が数倍綺麗でした。ソーキ蕎麦も美味しかったです。サーターアンダーギーも食べました。


ちょうど終わったばかりの「ちむどんどん」の朝の連続ドラマに出てくる海岸の景色がその当時と変わらない景色でした。(あのドラマの舞台も名護の方でしたから)

自分たちだけで、民間のバスに乗って行ったおかげで、現地の人々の会話を耳にすることも出来ましたし、米軍基地のある嘉手納基地前を通り、なんか日本なのに日本で無いような変な気持ちになったり、一瞬ではありますが、沖縄の方達の苦しみが少しわかるような気持ちになって帰ってきました。まぁ肝心の首里城とかはツアーには入ってませんでしたから値段が安かったのかもですが、女高生が飛び込んで亡くなった岬とか行きたく無かったので、そのツアーで大満足して帰って来ました。

それにしても、今考えてもツアー客が私たちだけしか無かったのが、とても不思議でしたし、これもやはりラッキーMだったからかな?翌日帰る時は、何人が来てましたから。












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ラッキーMの手の私 アメジスト真美 @amethyst_mami62

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