第3話

 道中、僕と先輩はほとんど言葉を交わさなかったが、目的地が近くなってくると先輩が口を開いた。

「突然だったし、勢いがすごかったからびっくりしちゃったけど、嬉しかったよ。私、前からユージン君ともっと話してみたかったんだ」

 それを聞いて「僕も同じです」と僕は言った。

 先輩とはこれまで何度かお茶会で顔を合わせて、同じ場所で勉強をしたり、時折質問をしたり、ちょっぴり会話をしたことがあるだけだったが、友達値は大学で会った人の中で一番高かった。なので、きっと感性では繋がっていると考えていた。だが一方的に馴れ馴れしく近づくのは不自然だし、恥ずかしい。それに究極的には、僕は友人と話をする必要がないと思っている。思い出すだけで温かい気持ちになれる人。それが僕にとっての友達だ。

 とは言ったものの、やっぱり人と人は話をしたり、一緒に行動したりしていくことで仲を深めていく。僕は先輩と仲良くなりたかった。もっと話してみたかった。それがいま叶っている。

 あれ、待てよ。僕の友達値は、生活習慣や視点に近い部分がある人ほど高い点数になる傾向がある。それを踏まえると、最も値が高い紋子先輩は僕と気が合うはずなのだ。つまり、先輩もカボチャの種が好きなんじゃないか? もちろんそうじゃない可能性もあるけど、探りをいれる必要がありそうだ。

 僕が駆け引きをしようと考えていると、そんなものはぶち破って先輩がまっすぐに話してくれる。

「今日のお茶会は、これからのことがあったからそわそわしちゃってうまく集中できなかったよ。なんとか真面目にやっているフリをしたけれど」

 わかります、先輩。早く終わらせてカボチャの種を食べたかったですよね。

「僕もそうでした。それなのに何度も話を振られたので困っちゃいましたよ。でも今はいいんです。他のことは後で考えればいいので」

 それを聞いて何か言いかけた先輩だったが、ちょっとの間の後、頬を赤らめて「うん」と言った。それを見た僕は意を決して先輩に当たることにした。

「今日、先輩がクッキーを作って来てくれて嬉しかったです。あのクッキーが先輩の気持ちですか?」

 ––わざわざクッキーの上に目立つように乗せるなんてカボチャの種をアピールしていたんですよね?

「……うん、そうだよ。今日のお茶会、ユージン君に来てもらえるように伝えてもらったから、迷惑かもしれないと思ったけど頑張ってみたの」

 やっぱりそうなのか……。でも、だとするとなんであんなにクッキーの主張が強い構成にしたのだろう。もう少し淡白な方がカボチャの種の味が引き立ったはずなのに。

「そうですか。でも少し物足りなかったです。もっと食べられたらさらに嬉しかったです」

「ユージン君、すごい勢いだったものね。だけど、ユージン君に向けて作っているってみんなに思われちゃったら恥ずかしいからああなったんだよ。お茶会のみんなもいるからね。だけど家には残りがあるし、物足りないようだったら後でご馳走してもいいって思っていたんだ。だから喜んでくれたようで嬉しいよ」

 なるほどなるほど。そういうことだったんですね。

「先輩、僕たち思っていたより気が合うのかもしれませんね」

 ––僕がカボチャの種に興味あるってわかって先輩も嬉しかったんですね。

「うん……、そうだね……」

 そう言った先輩は僕の手を握り、心持ち早足で道を進んでいった。


 一人で扉の前で数分待った後、先輩の家に招き入れられた。

 中に入ると、さっぱりとした空間が広がっている。少ない物、整理された雰囲気、モノトーン気味の色味、参考書が詰まった暖かみのある木製本棚、そして白いテーブル。

 家族以外の女性の部屋に入ったのは初めてなのだが、女性の部屋というのはもうちょっと甘さがあるというか、華やかさがあると思っていた。だけど、どこか馴染みがあって落ち着く様子もある。

 部屋の奥に入っていくと清涼感のあるウッド系の香りを感じた。漠然と「女性の香り」と思っていた匂い––女性用シャンプーというか、甘いというか、豊かさを孕んだもの––とは違うが、男が発するものではないなと思って、先輩の家に来たんだという実感が湧いた。

 先輩は僕をテーブルにつかせた後、「ちょっと待っていてね」と言ってキッチンへと向かった。閉められた扉の向こう側から先輩が何やら動いている音がする。コンロに火がついた気配もあるので、お茶を淹れてくれるのかもしれない。

 あぁ、待ち遠しい……。でももう少しの我慢だ。もう少しでかぼちゃの種を食べることができる。

 思えば長かった。朝しらすトーストを食べて、ラッキーに会って、大学に行って紋子先輩が作ったクッキーを食べて……。あれ? 今日、それしか食べてないぞ。朝の時点であんなにお腹が減っていたというのに、カボチャの種のことで頭がいっぱいで食事をとっていなかった。

 ぐぅ。お腹が突然鳴り出す。身体の方も忘れていたのだろう。だが、もう大丈夫だ。僕はこれから先輩と一緒にカボチャの種を食べるのだ。お腹にそう言い聞かせて大きく呼吸すると、何やら香ばしい匂いが漂っていることに気づく。これはなんの匂いだ?

 その時、扉が開いた。先輩が皿を持って入って来る。

「ユージン君、お待たせ!」

 紋子先輩は僕の前に小皿を置いてくれる。質素だがツルツルで高そうな皿だ。そして小皿にはカボチャの種が山盛りになっている。僕は目を輝かせて先輩の方を見る。

「最近ね、カボチャの種を塩炒りして食べるのが私の流行なの。冷ましながら食べてね。……ユージン君も気に入ってくれると嬉しいな」

 そう言ってはにかむ先輩の顔は、僕がこれまでの人生で見て来た笑顔の中で一番素敵で艶があった。

 僕は「いただきます」と言ってカボチャの種を手に取る。やっと食べられる!

 カリッ。噛んだ瞬間、弾けたカボチャの種の振動が歯から骨に伝わり、僕の心をしっかりと震わせる。なんと甘美で、なんと澄み切った音だろうか。噛みしめる度に高揚していく。薄く振られた塩が種の風味を引き立たせ、味わい深くなっている。乾燥したカボチャの種なのに、口当たりが滑らかなのは油分が豊富だからだろう。塩分に引き出されて出てきた唾液は、種にみずみずしさを与え、僕の舌にひそやかな味を運んで来てくれる。

 種を飲み込んだ時、僕は「カボチャの種が僕の一部になって行くんだ」という確信を得た。口腔から始まって食道やお腹が順に熱を帯びてゆき、恍惚とした気持ちになってゆく。これが幸せなのかもしれない。僕はこれが好きだ。カボチャの種が好きだ。

 数十個の種を平らげた後、僕はハッとして紋子先輩の方に目を向けた。カボチャの種に夢中になりすぎて、先輩のことを完全に忘れていた。

 しかし、気にする必要などなかった。

 紋子先輩は、目を瞑りながら頬に手を当ててカボチャの種をゆっくり味わっている。その様子は最高級の料理を隅々まで味わっているかのようだ。

 やっぱり先輩も同じだったんですね。僕は目の前で幸せそうにカボチャの種を食べる先輩をしばらく眺めていた。そうしているうちに「この気持ちこそが愛なんだよ」という声がどこかから聞こえて来た。「そうに決まっているさ」と呟いてから、僕もカボチャの種を心ゆくまで味わうことにした。

 二人の口から聞こえて来る「ぽりぽり、かりかり」という音がこだまして幾重にも重なり、僕らがいるこの空間を歪ませ、僕と先輩を一つにしていった。

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カボチャの種が食べたくて 藤花スイ @fuji_bana

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