第2話

 月に二、三回行われる勉強会兼お喋り会、通称『お茶会』。お茶会メンバーになるための条件は二つ。成績優秀であること、先輩の紹介を受けること。参加は自由だが、二ヶ月に一回程度は顔を出すのが好ましいとされている。僕は今日のようにラッキーに強引に連れてこられるか、紋子先輩が参加すると分かっているときか、あとは話題が興味深いときしか参加しない。

 お茶会が行われる教室に入ると「おぉ、二人とも来たか」と声をあげる茶髪の人がいる。ラムダ先輩だ。

 ラムダ先輩は僕とラッキーをお茶会に入れてくれた先輩で、僕たちを何かと気にかけてくれる。友達値は高くないが、いつも温かく僕らのことを受け入れてくれるので僕は礼儀を尽くそうと思っている。

 ラムダ先輩の隣の席でニコニコと話しているのは、エミリー先輩だ。「ラッキー君、ユージン君、ひっさしっぶりー」と言っているが、一昨日も顔を合わせたはずだ。相変わらずノリが軽い。エミリー先輩は雰囲気だけでなく、思考も軽く早い。困難な問題でも、周りの人とは違う視点から眺めてひょいっと解決してしまうことがある。なので頼りになるのだが、その能力をイタズラに悪用してしまうので時々残念だ。

 お茶会の開始までまだ結構な時間がある。いま部屋にいるのは僕たち四人だけのようだ。今は少ないが、今日紋子先輩が会合に出席するという噂が本当ならもっと多くの人たちが来ることになるだろう。……なんで僕は知らなかったんだろうか。

 四人で最近のお茶会で話題に上がった問題などについて軽いノリで話し合っていると、すらっとした雰囲気の女性が教室に入って来る。紋子先輩だ。

「来たか、紋子」

「ひゃっほー! 紋子ちゃん!」

「あ、ラムダにエミリー。もう来てるんだね」

 紋子先輩は朗らかな笑みを浮かべて二人に小さく手を振る。いつもだったら緊張してドキドキしてしまうような状況だが今日はなんともない。

「紋子先輩、どうもっす」

 軽く頭を下げるラッキーに合わせて僕も一緒に挨拶する。

「ラッキー君、ユージン君。こんにちは。今日は来てくれたんだね」

 そう言いながら先輩は僕の方を見る。間髪入れずにラッキーが「そうなんですよー」と言いながら僕を連れ出すのに苦労したことを話し出す。ラムダ先輩とエミリー先輩は茶々を入れながらその話を聞いているが、紋子先輩は静かに頷いているだけだ。ラッキーの話は止まらない。

「そういえば紋子先輩がお茶会に来るのって久しぶりですよね? 今日って何かありました?」

 ラッキーは少し首を傾げながら顎に手を当てて思いを巡らせている。考え事をするときのラッキーの癖だ。

「今日はパートン君が複素ヒルベルト空間に関する話題を提供するって聞いたから……。私が興味ある問題とも無関係じゃないし、久しぶりに参加しようかなぁってね」

「ふーん……。誰かさんがその手の問題の時にお茶会によく参加するからじゃなかったんだぁ」

 エミリー先輩がお得意の小悪魔顔で紋子先輩をからかっている。ラッキーは「え? それって……」とか言っているが僕にはなんのことかわからない。

 紋子先輩はほんの一瞬だけニコっとしたあと、「それでね」と言って持って来ていた紙袋を机の上に置いた。

「今日は差し入れにお菓子を作って来たの。クッキーなんだけど、お茶受けにちょうどいいでしょ?」

 紙袋の中からクッキーが取り出される。僕の隣に座っている落ち着きのない奴がまた「ラッキー!」と鳴いていることには気を留めず、僕は凝視してしまった。先輩が出したクッキーの真ん中にカボチャの種が乗っている。瞬間、脳にくらっとするような脈動が生じ、飢餓感とでも呼ぶべき渇きが僕を襲った。

「せ、先輩! これ、いただいていいですか? いいですよね?」

 身を乗り出しながらそう言う僕に先輩は面食らったようだが、すぐに落ち着きを取り戻し、「二枚までだよ?」と言いながら了承してくれた。僕はクッキーを二枚取り、上に乗っているものがカボチャの種で間違いないことを確認する。いただきます。

 僕の動きに便乗するようにエミリー先輩も「いただきまーす」と言いながら手を伸ばす。三枚手に持っているのをラムダ先輩に咎められているが気にしない。やっとカボチャの種が手に入ったのだ。

 とても大切なものを食すように僕は丁寧にクッキーを口に運んだ。自然と目を閉じ、味や香り、食感を楽しむ。

 三回ほどクッキーの生地を噛んだあとだっただろうか。歯に硬いものが当たった。カボチャの種だ! これが求めていたもの……。香ばしさの中にある微かな渋み、僅かなえぐみ、それに種特有の食感がある。おいしい……、おいしいぞ。カボチャの種とはこんなに美味いものだったか。

 だが、いくらカボチャの種が食物の長たる貫禄を見せようとも、クッキーに一粒乗っているだけでは限界がある。このクッキーは紋子先輩が丁寧に作り上げたのだろう。バターの香りが立ち、軽い食感になるように配慮がなされている。クッキーという観点では絶品であろう。けれど、カボチャの種のクッキー添えとして見た場合、落第点と言える。クッキーがカボチャの種の良さを殺してしまっている。

 しかし、このタイミングでカボチャの種をクッキーに乗せるという決断をしてくださった紋子先輩はやはり天才だ。しっかり感謝しておかなければならない。僕は両手を合わせて「美味しかったです」と言いながらごちそうさまのポーズをとった。

 周りの人たちは、そんな僕の様子を呆然とした様子で眺めていた。ラッキーが「あれはやっぱりマジだったのか」とさっきの僕のことを話していた。

「よくわからないけれど、ユージン君が喜んでくれてよかったよ」

 苦さ混じりの笑顔を浮かべる紋子先輩が続ける。

「大変だったけど、クッキーの上に一個一個種を乗っけてみてよかった」

 そんな先輩の言葉を聞いて僕はハッとした。エミリー先輩が「紋子はマメだなぁ」とか、隣のアレが「今日来れてラッキーっす」とか、ラムダ先輩が「種乗せる意味あるか?」とか理解不能な話をしていることにも構わず、思考を光の速さにまで加速させる。

 確か先輩はこれを家で作って来たって言っていた。つまり家にカボチャの種があったということだ。カボチャの種はまだ家に残っているだろうか。いや、もしかしたら今も種を持っているんじゃないか? 待て、早まるな。焦る必要はない。もう少しだけ考えるんだ、光の速さで。

 まずは落ち着いて先輩が教室に入って来たときのことを思い出す。今日はクッキーの入った紙袋と小さいリュックを持っていた。あのリュックにはノートや参考書が入っているはずだ。紙袋はさっき畳んでいたから中には何も入っていない。リュックの中も本と筆記用具でギチギチに見えるので、いまはカボチャの種を持っていない可能性が高い。だとしたら、やはり家に残っているかどうか聞くのが最善なのではないだろうか。

「あの、紋子先輩……」

 僕がそう声に出すと、こちらの様子を伺っていた先輩が返事をしてくれる。僕はおそるおそる話を続ける。

「カボチャの種って今日クッキーに使ってしまった分で全部ですか? まだ家に残っていたりしますか?」

 そう言ってすぐラッキーが「お前どんだけ気になってるんだよ」と呆れていたが、僕は先輩の様子を注視している。

 先輩は「うん。家にはまだたくさん––」という言葉を発した。音が耳に伝わって鼓膜を震えさせた瞬間に僕は動き出して、先輩の手を取った。そして、まっすぐに先輩の目を見ながら伝える。

「今日お茶会が終わったら先輩の家に連れて行ってください。先輩ともっと話をしたいんです」

 ラムダ先輩、エミリー先輩、ラッキーが揃って「おぉー」と歓声をあげた。その後、一転して場にシーンとした空気が漂う。だが僕は迷わない。ただまっすぐに先輩を見つめ、返事を待つ。

「うん……。いいよ」

 やや赤みがかった顔で俯きながら了承する先輩は、本物の天使に見えた。



 お茶会が始まって数十分。

 参加者たちはパートンさんの持ってきた問題について頭を悩ませながら議論を続けている。どうやらラムダ先輩とパートンさんの意見が対立しているようで、場に熱がこもり始めている。

 僕の方はといえば、全く集中できず、ほとんど話を聞いていない。お茶会が終わればやっとカボチャの種をたくさん食べられるのだ。違うことに集中できる方がおかしい。早く終わってしまえばいいのに……。そう思いつつもその気持ちを表に出すことはできない。

 あの後、ニヤニヤしたエミリー先輩とラッキーに挟まれて両脇から肘で何度も小突かれたのだ。二人から「ラッキーだなぁ」と事あるごとに言われた僕は紋子先輩に助けを求めたが、先輩はなんだか恥ずかしそうに俯くだけでどうにかしてくれる訳ではなかった。結局、見るに見かねたラムダ先輩がとりなしてくれたお陰で二人は落ち着いたが、またあれが始まると厄介だ。

 そんな様子だったエミリー先輩もラッキーもラムダ先輩も、紋子先輩ですらも、今は真面目に集中して、議論がどの方向に進んでいくのか考えを巡らせているように見える。

 僕が取り繕った顔で前の方をぼーっと見ていると、鋭い目をしたラムダ先輩と目があった。

「こういう問題に詳しいユージンの意見も聞いてみたいな。ユージン、お前はどう思っている?」

 ラムダ先輩の言葉に合わせて、お茶会に出ている面々が僕に注目する。話を聞いていなかったとは言えないし、今はそんな問題どうでも良いとも言えない。オブラートに包んで婉曲的に表現する必要がありそうだ。

「そうですね。量子状態に関するこの問題は本質ではないのではないかと僕は思っています。後ほど精査して先輩方と議論したいとは思っていますが、重要な点は他の所にあるというのが僕の意見です」

 よし。うまく取り繕いつつも、議論を避けることができた。僕がそう思っていると周囲がざわざわとし始めた。ラムダ先輩は唖然としているし、パートンさんは「君がそこまで言い切るほどなのか……」とよく分からないことを言っている。今はとにかくカボチャの種だ。それ以外のことはあとから対処してゆけば良い。

 うまく乗り切れたことに胸をなで下ろしていると、エミリー先輩が次の話題に進もうと提案してお茶会は進んで行った。


 さらに一時間ほど経ったあと、お茶会が終了した。このあとは意見を交換したい人たちが居残ってフリートークを続ける時間だ。

 勉強会中、何度か考えを求められることがあったものの、僕は最初の調子でうまく話をかわし、なんとか乗り切ることができた。周りの人たちに感心されたところもあったが何故だか分からない。どっかの誰かの真似をするならば「ラッキーだったな」という感じだ。

 紋子先輩の目配せに従って早々と逃げ出したかったが、出口のあたりでパートンさんに呼び止められた。

「ユージンくん、今日はありがとう! とても刺激的な会だったよ。勉強になった。例の量子状態の問題や密度行列について進展があったらまた話をしよう。ラムダ先輩も興味を持っていたようだしね。僕は、君が量子エントロピーの観点から何かしようとしているのではないかと睨んでいるが、今は詳しく聞かないさ。期待して待っているよ」

 パートンさんは興奮冷めやらぬ様子だ。何を言っているのかほとんど理解できなかったが、「ありがとうございました」と言って僕はさっさと教室から離れてしまった。

 教室棟から出ると先に歩いていた紋子先輩が待っていたので、僕たちは大学を出て歩き出した。

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