第31話 「イマドキ」を鵜呑みにするな
「それでは、今日の授業を始める」
ここは、神都市にある「まめじゅく」。子どもから大人まで、幅広い年齢層が集う学び場である。進学塾とは違う、学びたい人が、学びたいことを学ぶために、来たいときに、居たい時間だけ、利用できる。
とはいえ、進学目的で通う生徒も少なくない。
32歳のシングルマザー・海野七海は、愛するひとり息子、晴斗の夢を叶えるために、看護師になると一念発起した。手に職をつけることで、経済的に安定すれば、塾の費用だって、大学の学費だって、毎月の支払に悲鳴を上げることは無い。看護師こそ、コスパ最強の仕事だ。そう信じ、日々奮闘中である。葬儀社でアルバイトをしながら、母親の仕事もこなし、受験勉強もがんばる、努力家である。時々メンタル崩壊するのが玉に瑕。
18歳の高校3年生・片山志桜里は、居場所が無い、と感じる今の家族関係から脱出し、ひとりで自立して生きていく道を模索中、海野七海の言葉に強烈な刺激を受ける。「せんせい、あのね、オンナがオトコの財布をあてにせず生きていくには、看護師は最強のお仕事なんです」という名台詞は、いつしか志桜里の背骨になっていた。看護師になってやる。自立して、社会人としてしっかり稼ぎながら、じぶんの好きなことを大切にして生きていくのだ。そう決めて、日々コツコツと受験勉強に励んでいる。本当の夢は小説家。
26歳のフリー(ライ)ター、深見影彦は、地元神都市の大学を卒業後、タウン誌の記者等を経て、現在はまめじぃの元で、イチから小論文の書き方を学んでいる。
え?
講師じゃなかった?
あれっ?
小教室には3つ机があって、3人が席を並べいる。
困惑する海野七海
ニヤニヤする片山志桜里
泣きそうな顔で大人しく座っている深見影彦
まめじぃの「看護学校小論文対策講座」は、3名の受講者で行われていた。
深見影彦は「小論文で嘘をついて良い」という持論を決して曲げようとしなかったので、結果、彼女たちを指導する立場から降ろされ、それどころか、彼女たちと一緒に授業を受けることになってしまった。
「ええか、小論文は『論文』でなければならない。では『論文』とは何か。この定義が重要じゃ。ここがええ加減だと、どこぞの誰かがほざいたような『嘘でもいい』なんてフザけた間違いが蔓延る」
―――論文。
【論文】(1)ある事物について理論的な筋道を立てて説かれた文章。(2)学術的な研究成果を理論的に述べた文章。 『大辞林』(三省堂)
「そこに、『嘘』を交えてしまえば、それはもう『論文』ではなくなる。なぜって『筋道』がゆがむから。しかし悲しい事に、現実の世界では、プロの研究者でさえ『嘘』を混ぜ込んで、学術を汚す輩が後を絶たない」
まめじぃは、いつもに増して声に力が籠っていた。
「ワシが許せんのは『バレなければ嘘をついていい』という、その発想そのものなんじゃ」
深見が小さくなる。
「それで合格して、胸を張って、患者様のために役立つ看護師になる、と患者様の前で言えるか?嘘をついて合格した人間が、職場の仲間や、患者様やそのご家族に、嘘の無い仕事ができるって、誰が信じる?」
更に小さくなる深見。
「『STAP細胞』の事件を知らんのか?将来を嘱望された超一流の研究者が、部下の研究者の論文にある『嘘』を見抜くことが出来なくて、それがもとで、自ら命を絶たなければならなくなったことを。彼が志半ばで命を落としたことによって、我々人類が、どれだけの損失を被ったかを。本来助かるはずだった多くの患者さんの命が、彼の研究が途切れたことで、日々、失われ続けているという事実を」
七海も、志桜里も、身動きひとつ取らずに聞き入るしかなかった。
「『嘘も方便』・『多少のフィクションを盛り込んでも大丈夫』なんて受験対策は、経験豊富な試験官をナメとるし、他の必死で努力してきた受験生をナメとる。何が『イマドキ』じゃ。イマドキが全部正しいのか。違うぞ。そんな浅はかな性根で、人の命を預かる大切な仕事ができるか」
こんな激しいまめじぃを、七海は見たことがなかった。
「看護師を目指すきっかけは、なんだっていい。不純でもいい。でもな、嘘をついてまで勝ち取らなきゃいけない、なんてことはない。ちょっとくらい?ふざけるなよ?ちょっとくらいの嘘がもとで、その嘘を隠すために、また嘘が必要になってくる。その嘘を隠すために、更に嘘が重なる。それで『論文です』・『合格しました』・『患者さんの笑顔のために』なんて、そんな『イマドキ』、あってたまるか」
深見には、深見の持論がある。たとえばマスコミだって、事実を絶妙に脚色して掲載することは常套手段である。それを「嘘」と言うのは、確かにそういう面もあるだろうが、しかし、脚色、あるいは編集という場合もあるが、そのおかげで、事実がより理解しやすくなったり、記事として読み応えのあるものになる。
フィクションはダメだ、とまめじぃは言う。しかし、ほんの少しフィクションを加味することによって、より「真実」を明らかにできることだってある。まめじぃの言いたいこともわかるが、あまりにも「潔癖」であり、考えが「古い」と、やっぱり深見は思っている。完全に昭和の人じゃん。そんなんでイマドキの受験を乗り切れるのかな。
そんな風に深見は不満を隠せずにいるのだが、しかし彼にとって「まめじぃ」は、かけがえのない恩師であり、愛すべきおじさんであり、もうひとりの父親といってもよい存在だった。反発しながらも、本人を目の前にして、言いなりになってしまうことがある。
「今日からワシの授業に参加しろ。七海さんや志桜里さんと一緒に授業受けろ」
そう言われて、素直に従うじぶんが、何だか、おかしかった。考え方は真逆だけれど、オレ、このオッサンのことが、好きなんだな、と思った。
実際に授業が始まってみると、その空気に圧倒された。かつて、「超スパルタ塾」を経営し、生徒たちが恐怖で震えあがっていた、あの志道先生が、そこに、いた。女性陣は体験したことないだろう、志道先生のガチの怒気は、地元の不良が縮み上がって正座しちゃって・・・え?意外と平気?あれ?平気なん?ビビってるのオレだけ?
「『イマドキ』の恐ろしさを知って欲しい。『風呂無し物件』が若者に人気なんだと。ちがうだろう。若者の貧困が深刻になり、そういう物件しか住めない若い世代が増加する一方だ、という話だろう。仕送り毎月50万円もらって、あえて『風呂無し物件』に住んでいるんじゃない。他に選択肢が無いから、お金が無い中で、がんばって学生生活を続けているんじゃないか」
まめじぃの怒気の質が、変わった気がする、と深見は感じ取った。怒気は、かなしみを帯び始めていた。
「その昔、ワシの祖父母の若い時分な、この国は『大日本帝国』という名前だった。その頃の『イマドキ』はな、竹で作った槍が配布されてな、上空を飛んでくる爆撃機や戦闘機をな、これでやっつけろと、校庭で、一般市民が軍事訓練をしていたんだ。学校でだぞ。義務教育で、竹やりを使って、飛行機と戦う訓練していたんだぞ。うちの祖母は、それをやらされた。新聞やラジオでは『日本軍連戦連勝』って、フェイクニュースを国家主体となり平気で流しまくって、一方で庶民は、あらゆる金属製品を国に取り上げられ、竹で戦えと。それが当時の『イマドキ』だった」
志桜里が深刻な表情でうなずく。
「昔、イギリスに、ジェーン・グレイっていう女の子がいてな。この子、たまたま、王族に生まれた、というだけで、無理やり女王に担ぎ出されてな。本人は嫌がっていたのに、周囲の大人が強引に力づくで王位につけた。若くて世間も知らなくて、大人しい女の子だったら、利用しやすいからな。9日間だけ、イギリス史上はじめての「女王」。無理矢理だぞ。でもな、大人の勝手な都合で、変わりの王様が新しく決まって、権力争いの種を絶つため、16歳の若さで、処刑された。それが当時のイギリスの『イマドキ』だった」
七海が「ひえっ」と小さく声を上げる。
「なあ、かっちゃんよ」
まめじぃの低い声に、深見が縮み上がる。まめじぃから「かっちゃん」と呼ばれたことなんて無かったから、余計に怖い。
「『イマドキ』だから正しい、というのは、違う。もちろん、正しいこともある。例えば、週刊誌なんかで、あることないこと、いい加減なこと書いて、その方が、商売としては、正しいのだと思う。いろいろテストを繰り返した結果、それが最も売れた。だから、週刊誌は、事実を脚色する。新聞でもそういうところ、ある。事件の報道なんかも、けっこう、脚色しちゃう」
「はい」
チャラい深見はもう、ここにはいなかった。
「でもそれを、鵜呑みにしちゃいかん。『イマドキ』が全部悪いとは言わん。でもな、鵜呑みにしちゃイカンのだ」
こうなると、深見は、もう、反論するなんていう選択肢は、残されていない。
「七海さんを例にとろう。晴斗くんていう、大切なひとり息子がおる。それでな『お母さん、嘘ついて合格したのよ』って、晴斗くん、心からおめでとうって言えるか?もし言えるとするならば、どんな狂った世の中だよって言いたいワシは」
そんな風に言われたら、深見はただただ、小さくなるしかない。
「そんなわけで、かっちゃんにも、もう一度、改めて、久しぶりにワシの授業を受けてもらいたいと思って、今日からしばらく一緒に勉強することになったから、どうぞよろしくお願いします」
突然いつものまめじぃに戻る。深見はただ、ペコリと頭を下げた。恥ずかしい。
「構成の話はもう伝えてあるな。『ケツリレイハンハンケツ』な。でもまだ、語彙の話をしておらんかったの。だから今日は語彙の話をする」
まめじぃはホワイトボードに「語彙」と書いた。
「我々人類は、言語という道具を手に入れ、発展してきた、と思われていた。しかし野生の小鳥たちは、種類の違う鳥同士が、お互いの言語を教え合い、例えば、ヘビが近くにいるぞ、気を付けろ、という表現は、ヒヨドリ界隈ではこう鳴くぞ、そうか、ウチらムクドリはこんな風に鳴くぞ、という教え合いをして、コミュニケーションを取っていることがわかってきている。カラスやサル、イルカやクジラ、そして、何とキノコと虫の会話まで、語彙の存在が確認されておる」
七海はキョトンとした。キノコと虫がしゃべるの?
「例えば、キノコだと、自分を虫たちに食わせて、胞子を拡散させる種類のキノコがあってな。成長途中で、まだ食べて欲しくないときと、成長が完了して、もうそろそろ虫さんたち食べていいよ、食べて胞子を拡散させて、というときの、化学物質の種類が違う。それを虫が判別して、理解して、よし今、食べようって意思疎通ができている。これも言語を獲得し語彙を用いて対話できている、といえるんじゃ」
へええ・・・自らを食わせるって、グロ・・・・七海はいつも表情豊かにまめじぃの話を聞く。目を大きく見開いた。
「そんな中、我々人類は、無数の言語と無数の語彙を生み出し続け、他の生物ではありえない程、高度で複雑なコミュニケーションを可能にしてきた。日本語ひとつとっても、その膨大な語彙の数には、驚かざるを得ない」
なんと壮大な話をしているんだ、と七海はちょっと話についていく自信を失いかけていた。
「しかも語彙は日々増え続けておる。国語学者の大野晋博士の説によれば、ひとつの語彙の寿命は、だいたい800年だという」
は・はっぴゃくねん!七海の瞳が更に大きく開く。
「次第に、意味が変遷していく語彙もあれば、カタチを変えて生き抜く語彙もあり、消滅する語彙もあり、日々、生まれ続ける語彙もある」
結局どこに話が向かっていくのか。七海はちょっと不安だった。
「ワシは、語彙の勉強は一生かかっても終わらんと思うとる」
え?じゃあ受験に間に合わない!
「だから、小論文に必要とされる語彙だけでも、相当数に及ぶ」
そうでしょう、そうでしょうよ。七海は不安で仕方がない。
「そんな中でも、特に重要な語彙、小論文はもちろんじゃが、我々が世に溢れる『論』を正しく読み取り、正しく理解し、自らも正しく発信できるようになるために、必要な語彙を」
語彙を?
「そんな語彙を、紹介する連載が、カクヨムで始まる」
まめじぃ?
「名付けて、『すごい語彙』」
ダジャレ?
まめじぃ?
「そんなわけで、詳しくは、また来週。あ、すまん、こっちの連載、不定期になるわ」
オイじじぃぃぃぃぃぃ!
「連載を毎回読んで、語彙力をアップさせるんじゃ。わかったな。」
3人、ぼうぜん。
(つづく)
せんせい、あのね、看護師は最強のお仕事なんです(看護学校受験編) 志道正宗(まめじぃ) @eagersouls
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