第30話 いや「嘘」はアカンやろ何があってもアカンやろ

「あいつ!」


 まめじぃは、心の中で舌打ちをしているようだった。


 この日、七海はまめじぃに相談をした。深見の授業のこと。


―――嘘をついていい


 この発言を、まめじぃは看過できなかった。嘘をついたらそれは「嘘」であり、「論文」ではない。


 たとえ受験で合格するためだとはいえ「嘘」で合格するなんて、もってのほかである!深見はいったい、何を考えておるんじゃ!と、怒り心頭の様子だった。


 え?そこ?七海は単に、読書について小論文を書かなければいけない、という事で、どうやって書けばいいかを相談したかっただけなのに、まめじぃは「嘘」という言葉に、大きく反応して七海は面食らった。


「ええか、深見にもキツく言っておくから、どうか『嘘をついて合格した』なんて人生の経歴を作らんでくれ」


 まめじぃは七海に懇願した。七海は、まめじぃの言いたい事もわかった。わかったけれど、深見のいう「嘘」というのは、きっと、まめじぃが思っている「嘘」とは、ちょっとニュアンスが違う、と思っていた。でもそれを、上手にまめじぃに伝えるだけの語彙も無かった。


 まめじぃは、そのあと、「読書」について書くにあたって、受験勉強のエピソードを素直に、そのまま語るのがよいと教えてくれた。


 これまでの七海にとって、読書とは、学校の先生から「読みなさい」と言われて、イヤイヤ読むものだった。


 それが、まめじぃからの指導を受ける中で「ことば」に興味を持ち、自然と本を読む習慣が段々とできてきたように思う。


 いまでも図書館で芥川龍之介の作品集を何冊も読み、彼の独特の文体や、世界観に魅了されつつある。他の作家の書く文章も、読んでみたいという意欲は強くなっている。きっと、これから一生涯、読書をすることが生活の一部になるだろう、という予感が、彼女自身にもあった。だって楽しいもん、と素直に言えるほどに、活字を好きになっていた。


 そう、きっかけは受験に必要な「語彙力」や「読解力」を身に付けるための読書だった。受験勉強のうちのひとつでしかなかった。決してノリノリで始めたわけではなかった。しかし知れば知るほど、いかに知らないかを自覚する。


 わたしって、こんなに言葉を知らないで生きてきたんだ。


 語彙力が上がればそれだけ、自分の語彙力の足りなさを知ることができる。


 そうして、「ことば」という大海の果てしなさと、その魅力に、次第に引き込まれていく。


 よく「言の葉の森」という表現を聞く。小説やアニメのタイトルにまでなっている。しかし「森」というよりは、図書館にあった辞書のタイトル「大言海」のイメージが、七海にはしっくりきた。向こう岸の見えない、どこまでも果てしなく広がる、言葉の大海。


 まめじぃが怒っている「嘘」と、麗しの深見さまが語る「嘘」には、同じ「嘘」でも、ニュアンスが違う。まめじぃの怒っていることもわかる。でも、深見さまのおっしゃっていることも、七海には、わかる。


 わざわざ個人面談の時間を作ってくれたまめじぃにお礼を言って、その日は帰宅した。そして志桜里にLINEをした。まめじぃが怒っていたこと、そして「嘘」という言葉のニュアンスの違いについて。


 さすが新聞部の志桜里は、七海が言いたいことをちゃんと言語化してくれた。語彙力の差が、ちょっと悔しくもある。


―――まめじぃが怒っているのは「嘘をついていい」という言いかたなのかも。かっちゃん(深見影彦)が伝えたかったのは「方便」であって、自己アピールするためには、ちょっとした色付け、編集はあっていいし、完全に事実だけを論理的に述べる「論文」と、試験で合格するための「小論文」の大きな違いは「それが事実であるかの証明が不要」なのが「試験問題としての」小論文。「事実を事実として証明できなければ成り立たない」のが論文。いかがでしょう?


 いかがでしょうって、その通りだよ、しおりん。「方便」ってそういう時に使うんだね。「嘘も方便」って言うよね、確かに。深見さまは、決して相手を陥れるような嘘をつけとは言ってない。


 自己アピールを、看護師としての適性をアピールをするためには、ちょっとした脚色・編集はあっていい。


 そういう事をわかりやすく、印象深く伝えるために、あえて「嘘をついていい」という、つよい言葉を選んで、おっしゃられたんだよね。


 そんな風に七海がひとり納得していたその時、神都市内の居酒屋「さかえ」では、まめじぃと深見が激論を交わしていた。ここは「さかえ焼き」といって、小さな土鍋で提供されるとろろ芋100%のお好み焼き風の料理が名物だ。二人でつつきながら、言い争っていた。


「だ~か~ら~!嘘をついて、試験官を騙して、それで合格して、胸張って看護師になりましたって、そんなのあるかぁ!あのふたりの今後を、オマエどんだけ軽く見とるんや!それになあ、試験官は人生経験詰んだ大人やぞ?そんな目先の嘘なんて、すぐバレるっちゅうの!」


「いやwwwwだからwwww嘘ってwそういう嘘とちがってwフィクションを混ぜていいよってことでwwww」


「あ~か~ん~あかん!阿寒湖~!」


「ししょー飲みすぎってwwww」


「あ~か~ん~フィクション成分0%なのが論文やろう~」


「それは違うよ、師匠。一般的な『論文』の観点から、受験の小論文を語るのはもう古いよ。受験の小論文は、あくまで受験生をふるいにかけるための手段でしかない。数値化するための道具でしかない」


「そやから嘘ついてもオッケーってアホかコラぁ」


「ししょーキャラ違うでしょwww水飲みましょ、水」


 名物「さかえ焼き」は、土鍋で熱々のまま提供されるのが美味しさのポイントであるのに、半分以上を残して、すっかり冷めてしまっている。生きたままのアジを活け造りにする「アジの刺身」も、まったく手をつけていない。アジが可哀そうである。このアジは何のために、アジとして生を受け、何のためにここで切り刻まれて、竹串で反り返った形に成形されながら、骨と肉を分離させられた状態で、ふたりに放置されねばならなかったのだろうか。口だけをパクパクさせながら、震えていた。次、生まれるときはアジではなく、サメになりたい、そう思いながら人生の最期を迎えた、わけでもないだろうが、あまりに不憫である。ちなみに神都市民の多くはサメも大好物で、干物にしてよく食べる。


「とにかくな、嘘をついていい、というのはアカン。フィクションもアカン。論文と名のつくものに、脚色も、誇張も、あってはならん。合格するために嘘をつくなら、事実だけを述べて不合格した方が尊い」


「ししょ!尊いて何よ?落ちたら、それまでやん!ウチらの仕事、合格させることやろ?尊いのは、合格させることやん?」


「それは、進学塾の話やろ?ワシの塾は、進学塾とは違う」


「じゃあ落ちてもええの?」


「そりゃアカンけれど」


・・・


 こうして夜は更けていき、客は次々帰宅する中、ふたりは言い争いをやめなかった。店主が店じまいできたのは、午前4時だったそうだ。


 まめじぃは二日酔いの中、深見に釘を刺した。深見のスマートフォンの通知音が鳴ったのは午前8時。ししょー勘弁してくれと目をこすった。


 まず深見がやるべきことは「嘘をついていい」という自分の発言を訂正し、ふたりに謝罪すること。そして「小論文」は、「論文」と冠する以上、事実のみで構成され、そこにフィクションが介在する余地はひとつもない、ということを指導すること。


 それができないのなら


 クビ


 ししょー・・・師匠の考え方、古すぎるわ・・・さすがに、オレ、これは受け入れられへんよ・・・「クビ」のワードが視界に飛び込み深見は思わずスマホを投げた。壁にぶつかり偶然ゴミ箱にイン。ガコンと音鳴りあっと声出す深見であった。クビって何よ。師匠。


(つづく)


※この物語はハーフフィクションです。

  


 


 

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