第29話 深見影彦のイマドキ小論文対策(2)~試験官は何に点数をつけるのかを知る

―――小論文で、嘘をついてもいい。


 この深見の発言に、志桜里は苛立ちを隠せなかった。高校3年生であり、現役の新聞部員としては、聞き捨てならない発言だった。

 論文とは、事実を客観的に述べる文章であるべきだ。その一点を守れないなら、それは論文ではない。嘘をついてもいい、だなんて、わたしは決して賛同しない、と口を真一文字に結んだ。


 深見は構わず続けた。


「じゃあ、例を挙げよう。海野七海さん」


「はっはい!」


ガタン、と大きな音がする。勢いよく立ち上がる七海の両耳は、真っ赤に染まっていた。


 深見は、キラリと光る白い歯を少しだけ覗かせた、クールミントの香りがしそうな爽やかな笑顔(注:七海ビジョン)で、訊いた。


「ご趣味は?」


 七海はぎくっ、とした。趣味・・・


「えっと・・・」


 全身をモジモジしている七海を見て、深見はすぐに対応した。


「質問を変えます。休日はどんなことをして過ごしますか」


「えっと・・・」


 看護学校を受験する、と決める前の七海にとって、趣味と自分で呼べるようなものは、無かった。ただ、晴斗のために、生きていた。


「えっと・・・」


 ―――マジで?七海さんマジで?色んなモノ・コトに興味を示し、好奇心旺盛な志桜里からすれば、信じられないことだった。趣味が、無いの?え?じゃあ何のために生きているの?そうか、晴斗くんを育てるためか。だったら子育てが趣味・・・いや違うな。それは親としての義務であり責任であり、もちろん生きがいでもあるけれど、それを趣味と呼んではいけないな、などと志桜里は頭の中で忙しかった。


「七海さん、推しは誰?」


 志桜里が咄嗟に発言した。「推し」を推すのが趣味、という展開に持ち込めば、そこから具体的な話が展開できる、と考えた。


「おし?・・・おしって、あれでしょ、言葉がしゃべれない人への差別用語でしょ」


 え?何それ?志桜里は困惑した。深見がすぐさまフォローした。


「海野さん、差別用語とされている『唖』のことではなく、アイドル等を全力で応援する方の『推し』ですよ」


 そう言って、深見はホワイトボードにふたつの言葉を並べた。



推し


「数年前から『推し活』という言葉も頻繁に目にするようになりました。好きなアイドルやキャラクターを熱心に応援するファンの活動を、こう呼びます。一方で『唖』は、発話障害の状態などを表す言葉としてかつては頻繁に用いられていましたが、海野さん、よくその言葉を知っていましたね」


 七海は耳だけでなく、顔全体を真っ赤に染めていた。


 最近、芥川龍之介の小説を読み始めた。入試では、小説が出題されることもあり、それは評論文や随筆とはまた違った読解が必要という事をまめじぃから聞いていた。


 そこで、高校の国語で「羅生門」を習った記憶が残っていたことから、芥川の作品に目を通し始めていたところだった。

 

 「妖婆」という作品の中で、「おしのように口をつぐんだまま」という表現があって、意味がわからず調べていたのが、ちょうど昨日の夜だった。


 超絶イケメン王子様の前で、ボケてしまった。恥ずかしい。もう帰りたい。七海は力なく肩を落とした。


 わたしには、趣味が、無い。その事実を、七海はこれまで気にしたことが無かった。金属バットを振り回すのだって、別に趣味でやっていたわけではないし、恋愛にドはまり、というか完全に依存しきっていた頃の自分にとって、恋愛は趣味だったかといえば、そうではなく、食事や睡眠と同じ、生きていく手段だった。


 わたしには、趣味が、無い。


 別の意味で、恥ずかしい、という感情が湧き出てきた。みんな趣味があって、だから入試のテーマでも出題されているのに、わたしには何にも無い。ああ帰りたい。


「大丈夫ですよ。海野さんだけじゃない。いきなり趣味は何?休みの日は何してる?と聞かれて、即答できる人ばかりじゃない」


 深見はそう言いながらイレイザーを手に、ホワイトボードを真っ白にした。その手つき、所作の美しさ(注:七海ビジョン)に、自分がとても恥ずかしい気持ちでいたことをすっかり忘れ、うっとり見とれてしまっていた。


「ところが、今回は、趣味を答えなければ先に進めないのです。『趣味はありません』という結論にしてしまうと、後の論述は、どうなるでしょう」


―――あなたの趣味はどのようなものですか。その趣味を持つに至ったきっかけは何だったのですか。趣味はあなたにとって、どんな役割を果たしていますか。以上のことについて、800字以上、1000字以内で述べてください。(勤医協看護専門学校)


 このように出題されると、「ありません」という選択は、できない。なぜなら、二番目の質問「その趣味を持つに至ったきっかけ」を述べなければいけないからだ。

 ここを例えば「趣味が無い理由」の分析に充てたくても、それでは質問に応えたことにはならない。


 だから、


 深見は言う。


「たとえ事実とは異なるとしても、趣味を無理やり作って、書くしかないんです。それも、看護師の適性をアピールできるような趣味を。そして海野さん、あなたは『唖』という言葉を知っていましたね。それはあなたが、読書をされている証拠です。読書をしている、という事実は揺るがないのですから、趣味は『読書』でいきましょう」


「そ、そんなあ、わたし、引き出しが全然ないですよ」


「大丈夫。『ない』ものを嘆くのではなく、『ある』もので戦うんでしょ?」


―――そうだった。じぶんで言ったんだった。え?なんで知ってるの?そうか、まめじぃが言ったのか。


「じゃ、じゃあちょっと、その方向で考えます」


 深見はキラキラと星が舞う中、満面の笑みを浮かべ、淹れたてのジンジャーティーのような心も身体も温まるような声(注:七海以下略)で、


「そうしてください」


 と会釈した。


 志桜里は、ハッとした。彼女のいちばんの趣味は、読書であるが、BLというジャンルこそ、彼女の原点であった。しかし、それを素直に提示できるか。入試において。わたしはBLが好きだ、と。同性愛こそ、純粋な愛のカタチである、と持論について語って、いったい、看護師のどんな適性をアピールできるというのか。本当にそうだ。


「片山さんはどうしますか?」


―――なぁにが!片山さん!どうしますか、だって?知ってるでしょ!私がBLの沼にどっぷりハマって抜け出せなくなっているのを、アンタはすぐそばで見てきたでしょう!ああもう!


 志桜里はイライラが収まる様子が無い。


 深見影彦は、片山志桜里とは長い付き合いだった。母親同士が幼馴染の大親友であり、お互いの家を頻繁に行き来していた。深見は、志桜里がお腹の中にいる頃から、彼女の事を知っていたし、志桜里が自転車に乗れるようになったのも、泳げるようになったのも、深見のおかげだった。志桜里が幼い頃は、頼れるお兄ちゃんだった。


 だから幼い頃から「かっちゃん」と呼んでいる。小学生の頃までは「かっちゃん」のことが大好きだった。九九だって、かっちゃんのおかげで覚えられたし、逆上がりも、かっちゃんが教えてくれた。


 でも中学生になると、そのチャラい性格が段々とウザいと感じるようになり始めた。それでも勉強のわからないところを教えてくれたり、読書の愉しみを教えてくれたり、父親の愛情を知らない志桜里にとっては、頼れる異性といえば、かっちゃんしかいなかった。


 高校生になってからは、志桜里も精神的に大人になったのか、ウザいという気持ちを、あまり感じなくなった。先生、というより、親戚のお兄ちゃん、という感覚。ただ、好きになれない、といいう想いは、常に感じていた。

 今も、わたしの趣味なんて全部わかっていて、知らない顔をして、聞いてくる。性格悪い。


「私も読書にします」


 ぶっきらぼうに志桜里は言い切った。


「わかりました。それでお願いします」


 なぁにが!気取っちゃってもう!ムカつく!ニタニタ嫌味ったらしく笑ってんじゃない!


 七海ビジョンでは地中海にそよぐ風のように爽やかな深見の笑顔は、志桜里にとってはまったく違って見えるのだった。


「じゃあ、お二人とも読書を題材に書くことになりましたので、次はどう掘り下げていくかを一緒に考えましょう」


 そう言って深見は、真っ白になったホワイトボードにマーカーを素早く走らせた。


 採点基準

 

 一、誤字・脱字は無いか。句読点は正しく用いられているか。


 二、テーマから脱線していないか。一貫した主張がなされているか。


 三、具体性や独自性はあるか。


 四、構成は指示された通りになっているか。


 五、文字数は適切か。


「小論文の採点基準については、非公開の学校が多いです。それでも、ここに書かせて頂いた項目と、大差ありません。なぜわかるかって?他に点数を付けられるポイントなんて無いからですよ」


 あっ、と志桜里は声を上げた。書かれている内容が事実であるかどうかは、採点のしようがない。


 書かれている内容がどこまで事実であるのか


 これは、数値化できないのだ。


 でも、だからって、嘘を書いていい、というのはどうなのだろう。人としてどうかしてる、という想いは、志桜里は拭い去れない。


 しかし、それでもBLについて論じるのは、やはりリスクがデカすぎる。もちろん試験官の中にも、理解のある方はいらっしゃるかも知れない。もしかしたら、すごく共感してもらえるかもしれない。


 でもそれを期待して、素直に正直にありのままを書くのが、小論文の試験なのかといえば、やはり、違うのだということを、志桜里は認めざるを得なかった。


「片山さん、どうしました?」


「いえ、すみません。大丈夫です」


 小論文の試験において、試験官は何に点数をつけるのか。


―――その内容が、事実であるかどうかは、採点基準に入っていない。入れようが無い。


 そのことを、七海は希望を持って受け入れた。志桜里は渋々ながらも、認めざるを得なかった。


「はい、それでは、今回のお題は大きく3つに分かれていますので、それぞれの項目について、じぶんの考えを整理していきましょうね」


1、あなたの趣味はどのようなものですか。


2、その趣味を持つに至ったきっかけは何だったのですか。


3、趣味はあなたにとって、どんな役割を果たしていますか。


 このうち、「1、あなたの趣味はどのようなものですか。」については、ふたりとも「読書」だと決まった。


 問題は「2、その趣味を持つに至ったきっかけは何だったのですか。」である。


志桜里はいい。ちゃんとエピソードを書くことができる。BLでなくても、読書は好きだから。まだ18歳だけれど、それでも本と一緒に過ごしてきた歴史があるから。


七海は・・・どうする?


(つづく)


※この物語はハーフフィクションです。


参考資料「勤医協看護専門学校 2022年過去問題」

(http://kinkan.ac.jp/)


 

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