第28話 深見影彦のイマドキ小論文対策(1)~嘘つきは小論文の始まり?
静かな朝。まめじぃのスマホがブルルと震える。LINEに通知があったようだ。飲みかけのコーヒーカップをテーブルに置くと、胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
まめじぃは、コーヒーにうるさい。その日の気分や体調によって、常にストックしてある様々な種類のコーヒー豆たちから、いま淹れるべき豆を選ぶ。
「まめじゅくの『まめじぃ』」といえば、どうもお酒のイメージがついて回るが、実はあまりたくさん飲めない。ただ好き、というだけで。
今の気分は、華やかでフルーティな少し酸味の効いた、東南アジア系のブレンド。なかなか高級な豆なので、めったに飲まない。今日は奮発して淹れた。お湯の温度は85度。それがこの豆の良さを最大限に引き出す温度だと信じている。
朝の「まめじゅく」の事務室で、仕事前の一杯を楽しむ時間は、まめじぃにとって大切なルーティンだった。
スマートフォンを片手に、LINEを起動させながら、再びコーヒーカップを手にとり、フラワーブーケのような独特の芳香を楽しみつつ、ゆっくり口に含む。
ブフォォォッ!!
せっかくの高級豆によって生み出された黒き気高き液体は、マーライオンの噴水よろしく、キラキラと噴射された。
あいつ!生きとったんか!
―――しっしょー!げんきー?いまからそっち行くねー!ってかもう来てるしwwwww北海道はでっかいどーwwwwwお土産いっぱいあるしwwwwwもうそこにいるしwwww
メッセージは、かつての教え子であり、最近までまめじゅくの講師をしていたが、突如音信不通になり姿を消した、今年26歳になる、
深見影彦(ふかみかげひこ)
からだった。
深見は、まめじぃと同じ神都大学の国文科を卒業し、地元のタウン誌の記者を半年勤め、その後、フリーランスのルポライターをしていた。
勤め人は性に合わない、尊敬する「浅見光彦」様のように、フリーのルポライターをしながら、全国の事件を追いかける生き方がしたい、と言いながらも、しかしフリーランスでは食べていけないので、あちこちでアルバイトを掛け持ちしながら、生きていた。そのバイト先の一つとして「まめじゅく」でも教鞭をとっていた。
ちなみに「浅見光彦」とは、かつて一世を風靡した推理小説シリーズの主人公であり、いまでも年に1度はスペシャルドラマ化され年配の方々に多くのファンを持つ。フリーのルポライターでありながら、難事件を鮮やかに解決する名探偵ぶりは、幼い深見少年の心をときめかせていた。
その「浅見光彦」は、愛車の白いソアラを駆り、全国を巡り、旅のルポも書いている。
深見も、あまりにも浅見を私淑するあまり、中古の”オンボロ”ソアラを頻繁に修理しながら、だましだまし乗り続けている。フリーのルポライターになったのも、もちろん、浅見光彦様に憧れてのことである。
しかし、実績も知名度もほとんどない若造に、ライターの仕事など、現実にはそんなにあるものではない。結局、フリーのライターは、フリーター同然になっていたのだった。深見は、「フリー(ライ)ター」と、自身の名刺にも自虐ネタを取り入れていた。
そんな彼を見兼ねて、そして彼の文才そのものは評価した上で、彼を「まめじゅく」の講師として、雇い入れた。
そんな深見は、数カ月前、突然「まめじゅく」に来なくなり、連絡が取れなくなった。掛け持ちしていた、ラーメン屋と、回転寿司店と、引っ越し屋と、工場のバイトも、無断欠勤が続いているという。いったい何件掛け持ちしているんだ。
彼の両親からすれば、それは珍しい事ではなく、突然消えるのは、どこか旅行へ行っているはずだ、という。いやいや。いくらバイトとはいえ、無断欠勤は許されない。帰ってきたら、思い切り説教してやる・・・と一週間、二週間、待てど暮らせど、連絡も来ない。
そうこうしている間に、もう、5カ月も経っているじゃないか・・・アイツ、もしかして・・・何かあったんじゃないか・・・まめじぃは心底心配して、彼の両親に、いちおう、警察にも相談しておいた方が、と連絡をしていた所だった。
彼の両親は「いつものことですよ」と同じ返事を繰り返すばかりで、どこかに自動音声式のスピーカーでもついているのではないかと勘繰るほど、まめじぃはイライラしていた。この夫婦は、昔からそうだ。息子を放任しすぎだ。
その、深見が、問題児が、いま、まめじぃが座っているイスの背もたれをガシッと掴み、まめじぃごとグルグル回して喜んでいる。残りのコーヒーが撒き散らされる。おい、どこから入って来たんや、と言いたかったが目が回って声が出ない。
「てか、ししょーきたねーうけるーw」
うけるーちゃうわ!ほんとうに!コイツだけは!どうしたものか。「深見影彦」という、ちょっと闇夜を思わせるシリアスな名前とは裏腹に、なんとも、ノリが軽すぎる。
「おい!オマエ!どこほっつき回しとったんじゃコラァ」
イスの回転が止まり、まめじぃは、ようやく声を発することができた。目が回ってグルグル。気持ち悪いやら、嬉しいやら、ホッとしたやら、いろんな感情がまじりあって、涙声だった。
「えー北海道ぐるっと旅してきたキタキツネ」
深見によると漫画『ゴールデンカムイ』に触発され、急に北海道に行きたくなったから、愛車の”オンボロ”ソアラを駆って、ひとり北海道旅行をしていた、という。もう「自由人」というより、完全に「身勝手」な男だった。
「連絡くらいせんか!どんだけ心配したごほげほ・・・」
「ししょーだいじょうぶ?」
まめじぃのことを「ししょー」と呼ぶ、数少ない教え子である。LINEのコメントにはたくさん「w」を乱用し、見た目も中身も、チャラいにも程があるが、しかし彼は「じぶんはまめじぃの愛弟子だ」という自負だけは、ある。
「オマエ!今日!看護学校の小論文対策の授業あるから!オマエせい!」
「うんーいいよ!ちょうどネタ仕入れてきたとこだから。札幌で。彼女できたんよ。看護学生の。ナンパ大成功。遠距離つらみ~ところでこれ、お土産、食べて?ヒンナヒンナ(注:ヒンナ=アイヌ語で「おいしい」)!」
その日の夕方、この物語の主人公、海野七海は葬儀社でのアルバイトを終え、授業を受けるために「まめじゅく」の教室に来ていた。晴斗は学校帰りに直接寄って、別室で宿題をしているし、同じ看護学校を受験する片山志桜里は、まだ学校からこちらに向かっている最中で、七海はひとりぽつんと教室のイスに座り、志桜里と、まめじぃを待っていた。
そこにガララと引き戸が動き、長身イケメンがキラキラしたオーラを放ちながら入って来た。イタリア製のオーダースーツだろうか、細身の身体をピシッと包みこんでいた。いや、実はイオンで1万円で買ったスーツなのだが。
え?何?めっちゃイケメンなんですけど!え?まって?わたし今日、ほぼすっぴんに近いんだけど?いやまって!髪の毛もアレだし、服だってぇ~適当すぎぃ~と七海は焦り出す。腰を浮かせて、もぞもぞし出した。
「こんにちは。初めまして。わたくし、深見と申します。志道の教え子で、ここの講師をさせて頂いております」
え?志道って誰?(注:まめじぃの姓)え?カッコいい?ちょっとまってどうしたらいいの?まったく七海は平常心を失い、両目だけをキラキラさせていた。
「本日は志道に代わって、小論文対策講座の講師を務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願い致します」
「あっ・・・はい・・・ます・・・」
顔面が沸騰する。心臓の鼓動が16ビートの3乗を超えた。声までカッコいい~!イケボ~!普段何を食べるとこんな素敵になるの?髪もサラサラきれい~完全に王子さま~と、七海は初対面で完全に、深見影彦の虜になっていた。
そこに、またガラガラと音がして、片山志桜里が入って来た。
「あっ!かっちゃん!おかえり!みんな心配してたで!」
え?知り合い?かっちゃん?かっちゃん?どゆこと?
もう七海は、いろいろ脳の処理が追い付かなくなってきていた。
「あー!しおり~ん!超ひさしぶりぶりブリ大根!」
え?
七海は、もう、現実を正しく認識することができないでいた。
「かっちゃん!どこ行ってたん?まめじぃ、本気で心配して、見てられへんかったよ!」
「え~まじでぇ~ごめぇんて~メンテナンス中~北海道みやげあるから、あとで渡すベイベー」
「もう~社会人なんやから、ちゃんとしてえな!無断欠勤とかありえんし」
「反省は・・・してましぇえええん!北海道よかったでぇぇえへへ!ポンポーン!」
「えと・・・しおりん・・・知り合い?」
七海はやっとのことで声を振り絞った。十歳は歳を取ったような顔をしていた。
「かっちゃん、ここの講師なんだけど、突然いなくなって。みんな心配してたら、今日、いるし」
志桜里はとても嬉しそうだった。それはそうだ。こんな爽やかなイケメンが、今から授業をしてくれるというのだ。なんて日だ!いやでも、何あのキャラの変貌ぶりは・・・ブ・・・ブリ大根?・・・いや・・でも・・・そこもカッコいい!!!ああ!恋が始まるのね!わたしにも!また!ふたたび!きゃーどうしよう!
七海は完全に壊れていた。七海の笑顔がちょっと怖いなと、志桜里は感じていた。
そして、何も言わずに突然いなくなって、何の前触れもなく、しれっと現れた「かっちゃん」の事を、ああ、じぶんはこんな大人になりたくないな、という目で、見ていた。まめじぃだから、この人を受け入れてくれているけれど、ちょっと、先生として、人として、わたしは無理かな、受け入れられないな、と志桜里は思っていた。
それでも、まめじぃは来ないし、授業はもう今から始まるし。仕方ない。ため息をつきながら、志桜里は筆記用具をカバンから出した。
「それでは、ただいまより、深見影彦の『イマドキ小論文講座』を始めます」
何事も無かったかのように、また急にキャラ変した深見は、まるで高級ホテルのフロント係か、どこかの名家のイケイケ若手執事か、ただならぬ雰囲気を漂わせて、授業を開始した。
七海は呆けて、まだ筆記用具も何も出しておらず、深見のことをうっとりと眺めている。おそらく、話の内容など、あまり頭に入っていないのだろう。えへ、えへ、という文字が周囲に浮かびそうな、そんな情けない顔が見えた。目は完全にハートマーク。志桜里は、深見をそこまでカッコいいとは思っていないので、七海の反応には、あまり共感できなかった。
深見は語った。
「まず、看護専門学校の小論文試験は、厳密にいえば、小論文ではないことが多いです」
どゆこと?
志桜里まで混乱してきた。
「イマドキの小論文は、もはや、作文との境界線が無くなってきているのです」
深見はコクヨのホワイトボードマーカー(黒)を手に取り、キャップを外した。
七海にとっては、その所作だけでも、あまりにも美しく、うっとりと見とれるしかなかった。
「いまから、北海道にある、勤医協看護専門学校の過去問題のテーマをここに書きます」
そう言って、深見はサラサラと、小論文のテーマを記した。まるでフォントかと思われるような、見事な、美しい文字だった。
―――あなたの趣味はどのようなものですか。その趣味を持つに至ったきっかけは何だったのですか。趣味はあなたにとって、どんな役割を果たしていますか。以上のことについて、800字以上、1000字以内で述べてください。
ああ、なんて美しい文字なの?すべてが美しい~!七海は、書かれているテーマの中身は、ほとんど頭に入ってこなかった。
志桜里は、驚いた。小論文のテーマに、趣味?しかも、質問が3つもある。まめじぃは、結論を先に書けと言ったけれど、何これ?結論を3つ書くってこと?どゆこと?・・・背筋が寒くなった。
深見は、落ち着いたトーンで穏やかに話した。
「はじめに『趣味は何か』を答えます。次に『趣味を持つに至ったきっかけ』を答えます。そして最後に『趣味が自分にとって、どんな役割を果たしているか』を答えます。つまり、これは大きく3つの段落をつくって書きなさい、と構成まで指示をしてくれている、親切な問題なんです」
ああ!そういうことか。志桜里はすぐに納得できた。問題文に、もう、段落構成の指示が出ていたのだ。
(第一段落)自分の趣味を答える
(第二段落)趣味を持つきっかけとなったエピソードを語る
(第三段落)その趣味が自分にとって、どんな役割を果たしているかを語る
それぞの段落を、厳密に何文字、と決めるのは難しいけれど、第一段落で200文字程度、第二段落で400文字以上、第三段落で200文字以上書くことができれば、規定の文字数をクリアできる、そう志桜里は計算した。
しかし、第二段落の400文字以上を、段落無しで書ききるのは良いことなのか。途中、段落を入れながら、大きな構成として3つのパートに分かれていれば、それでよいのではないか。志桜里はすぐに色々なことを考え始めていた。
「それでは、このテーマに対して、私たちがまずできることは何か。それからお話させて頂きます」
深見によると、このテーマで「小論文」のスタイルとして完成させるには「素直に事実を語る必要はない」という。
つまり極論をいえば「嘘をついてもいい」ということを言っている。
やっぱり、かっちゃんを、わたしは先生として受け入れられない。志桜里は不快感を、もう隠さなかった。わざと、周囲に聞こえるような、大きなため息をついた。
「あのさあ~、かっちゃんさあ。わたしらに、嘘つきになれって言ってるんやけど。それさ、まめじぃの前でも、言える?」
ふだん、礼儀正しい志桜里が、珍しくやさぐれている。そういえば、日ごろは年上の人に対しては、誰に対しても敬語と丁寧語を崩さない彼女が、深見に対してはタメ口をきいていることに、七海はやっと気づいた。
深見は、吸い込まれそうな透明感を漂わせ(注:七海ビジョン)、少女漫画に出てくる、主人公の女の子が恋焦がれる相手のような、キラキラした笑顔(注:七海ビジョン)で、
「言えますよ。志道も、100%、同じことを言います。断言します」
と言った。
志桜里の顔が、真っ白になり、明らかに、ひきつった。
(つづく)
※この物語はハーフフィクションです。
参考資料「勤医協看護専門学校 2022年過去問題」
(http://kinkan.ac.jp/)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます