2人はグレーテル!~コーティングチョコレート事件~

人生

 事実は小説よりキになる




 昼休みの教室、その窓際の席で文庫本に視線を落とす少年――彼の名前は、科内かない六郎ろくろう


 六郎というと上に兄や姉が五人はいそうだが、実のところ、父親の名前が一緒かずお、母が仁花にかで、長女が三香みか、長男が四郎しろう……といった具合で、上には三人の兄姉しかない。


 そんな彼は年の離れた兄姉たちの影響で、学生生活青春に夢を見るものではない――青い春なんて、あとから振り返れば黒ずんで見える、忘れ去りたい日々に変わると知っている。


 いわゆる黒歴史というやつを抱え、時折思い出して顔を赤くするくらいなら、青春なんて灰色でいい。質素に、華やかさとは無縁の日々を送ろう――それが、科内六郎の生活の指針となった。


 たとえばそう、昼休みの教室。周りが友達同士で談笑しながらお昼をとるなか、六郎は自分の席で一人、静かに読書を嗜んでいる。

 周りはみんながみんな仲良しこよし、切って貼ったように同じシーンを演じている――交わされる話題は面白みもない、ありふれたものばかり。

 そんな級友らと一線を画すように、六郎は物語の世界に没頭し、自分の世界をつくり出している――そう、ここは賑やかな教室に生じたエアポケット。日常から隔絶された異界である。


 お喋りする相手がいないのではない。この、今の、読書をしている自分がカッコいいのである――


「ロックンロール!」


 教室に現れたミュージシャンは己の生き様を叫んだのではない、そんなテンションでもなかったが誰もが思わず振り返るくらいには場違いな台詞を大声で口にしながら、彼女は六郎のいる教室に入ってきた。


 隣のクラスの女子――幼馴染みでもある、和戸わとしょうである。


 ちなみに、「ロックンロール」とは六郎の蔑称(愛称)で、照はといえば自分の名前が気に入らないのか「テル」と呼んでほしいと再三繰り返しているが六郎は相手にしない。


「ロックン、今ヒマだよね。聞いてほしい話があるんだよー、ある女の子の悩みを解決してあげてほしいの」


「僕は読書をしてるんだ」


「現実を見なよロックン。そうやってさ、みんながわいわいしてるそばでムスっとしてたらさ、教室の空気悪くなるよ。声をかけづらい孤高を気取ってるんだろうけど、実際は遠巻きだよ、後ろ指だよ。恥ずかしいよー」


 わたしと話して一般人の仲間入りしよ、などと言う幼馴染みに屈したわけではないが、六郎は本を閉じた。


「というわけで、わたしたち『グレーテル』にお悩み相談が来てるよ」


「……それこそ恥ずかしいんだが?」


灰色グレイを望むロックンとわたしことテルで、二人揃ってグレーテル」


「だからやめろよ恥ずかしい」


「決め顔で読書してる方がもっと恥ずかしいよ。というわけで、灰色の脳細胞の出番だよ」


「僕が読んでたのはホームズだ」


 本を机に置いて表紙を叩き、それから六郎は嘆息する。


「……で?」


 どうせ「友達の話」とか言いながら自分の話をするのだろう、と思いつつ、用件を聞く。


「うんとね、困ってるんだよね。なんかもうすごい悩んでるみたいで、部活にも身が入ってないみたい。大会近いのにもう大変だよ」


「……お前、部活してたっけか」


「してるよ、失敬な。帰宅部だけどね」


 帰宅部の大会ってなんだ? 自宅まで徒競走でもするのか? ツッコミは浮かんだが、いちいち口を挟んでいては昼休みが終わってしまう。


「具体的に話せ。何を悩んでるんだ」


「うんとね、たぶん、彼氏とうまくいってないんじゃないかなー」


「そうか……」


 妄想の話か。こいつに彼氏などいたことがない。六郎の関心は今や文庫本の帯に載っている『今月の新刊』に向けられていた。


「その例の彼女と彼は付き合ってるはずなんだけど、なぜか放課後に一緒に帰らないんだよね。彼の方は一緒したいんだけど、彼女が断ってるんだ」


「?」


 話の意図が見えなくなってきた。何か聞き逃していたかもしれない。もしやその「彼女」というのは自分のことか? と六郎は以前似たようなやりとりがあったことを思い出す。


「それで、ケンカしたのかなーって思ってたんだけど、休みの日には一緒にいるわけよ」


「……学校では人目があるから、一緒にいるのを見られたくないんじゃないか。からかわれたりするだろ」


 話を合わせてみる。お前と一緒にいると僕まで馬鹿だと思われる、という含みをもたせておく。


「しかも、お昼なんてよく一緒にいるんだよね。お弁当食べたりして。ほら、今もいる」


「え?」


 照が窓の方に移動し、そこから覗ける中庭を促す。六郎も腰を上げ窓辺に近づく。照が指し示す方向、木陰にあるベンチに並んで座る男女の姿が見える。


「~~~!」


 六郎はなんだか周りから遠巻きに見られているような、後ろ指をさされているかのような、なんともいえないいたたまれなさを覚えた。


「もう仲睦まじいって感じでしょ? あれは絶対付き合ってるよね。別に人目を忍んでる感もないし……。て、どうしたの?」


「いや別に」


 早口になった。横に立つと、背の低い照の頭からシャンプーか何かの良い香りがした。香水か、何かつけているのか。もしかして本当に彼氏が……やっぱりあれはこいつ自身の相談……いや――以前、香水をつけている生徒が校内で問題になり、整髪料だとか制汗剤の類まで規制されるトラブルがあった。香水はない。では、やはりシャンプーか。この時間まで残っているということは、朝からシャワーでも浴びてきたのだろう。最近は体型を気にして早朝にランニングしているらしい。そんなことを以前口にしていたが、まさかまだ続いていたとは――等々、別のことに思考を巡らせる。


「放課後こそ一緒にいるチャンスだと思わない? それなのになんで一緒に帰るのだけは断るのかな? 謎だよね」


「部活をしてるんだろ、彼女の方は。それで帰る時間が合わないとか、帰り道が逆とか、いろいろ理由は考えられる」


「帰り道は一緒だと思うなぁ。それくらいはたぶん知ってるはず。だって、彼の方、彼女の部活が終わるのを待ってたからね。その上で、断られてるの」


「待たされた上に、一人で帰ったのか――フラれたわけでもあるまいし」


 ふと、六郎は姉の話を思い出す。自称・プロ恋愛ニスト。恋愛相談なんでもござれなコイバナ大好き人間。経験豊富だと言うが、こと恋愛に置いて交際相手の数が多いというのはつまり、それだけ失敗しているということではないか? そんなヤツの助言が役に立つのか? 失敗から学んでいる? 未だに彼氏もいないのに? ――と、一通り姉に対する不満が浮かんでから、その姉が以前していたエピソードが想起される。


「好きだから一緒にいたいが、長く一緒にいすぎるとその恋は冷めやすい――らしい。だから、彼女の方はあえて距離を置いてるんだろ」


 そうかな? とまだ納得してない様子の照。すぐには何も言ってこないので、今度はこちらから、気になっていたことをたずねてみる。


「ところで、僕はあの二人と面識がないんだが――あれ、上級生だろ」


 てっきり照個人の話かと思って聞き始め、実際に誰かの悩みだと判明してから――照の話し方の不自然さに気付いた。このお悩み相談、いったいどこからのものなのか?


「部活に身が入ってないとか、大会が近いとか……本人たちから聞いたわけじゃないよな。というか、お前なら彼女の方に直接、一緒に帰らない理由を聞くはず。彼女からの相談でもなく、彼の方からでもない……。それ以前に、あの二人の名前も知らないなお前? ……何から何まで、この話はどこ発信なんだ」


「うん? わたし発信だけど?」


 頭を抱えたくなった。意味が分からない。赤の他人の恋愛事情になぜ首を突っ込む――というか、どこから知ったのか。


「たまたまね? 見かけたんだよ。最初はこうやってお昼食べてるのを見かけて……付き合ってるんだろうなぁくらいに思ってたんだけど、そうしたら放課後、一緒に帰るのを断ってるところを見て。おお、ケンカだ、方向性の違いだって」


 ゴシップやスキャンダルに食いつく人間なんてロクな性格をしていない。それは姉の一人がよく体現している。


「それなのに、休みの日にたまたま二人が一緒にいるのを見かけて。仲直りしたのかな? 良かったね――と思ってたらだよ、やっぱり一緒には帰らないのね。これは変だなー、不思議だなーって思って――」


「部活の話は」


「バスケ部の人たちに聞き込みしたの。そうしたら彼女、最近なんだか調子が悪いっていうか、手を抜いてるみたいで。何か悩みがあるんじゃないかって部長さんが言ってたわけよ」


「……ヒマか? お前は超次元ヒマ人間なのか?」


「何それ、意味不明。それはともかくさ、わたしは考えたんだよね。これは何かあるよねって。彼女には秘密があるんだよ、彼には見せたくない……たとえば、バスケ部に別に好きな人がいるとか……」


「頭のなか桃色お花畑天国かよ。はあ……」


 照が一人で勝手に盛り上がって、ゴシップの匂いに酔いしれているだけだったようだ。困っている人もいなければ悩んでいる女の子も――


「お前、無駄に人間観察していたくせに、何も気付かなかったのか」


「え? え? もしかして謎が解けたの?」


「何が謎なんだか――まあ、どうしても彼が一緒に帰りたいっていうんなら、その願いを叶える方法が一つ、浮かんだ」


「それはそれは?」


「『僕は女の子の汗のにおいが好きな変態です』って、彼女に告白すればいい」


「?」


 きょとんとする照である。なんだか「スベった」感がしていたたまれない。


「つまり、彼女は自分の汗のにおいが気になるから、彼と一緒に帰りたがらなかったんだ。部活に手を抜いてたのもそれが理由。運動しなければ、汗もかかない。……お前、そんなに頭のなかピンクのくせして、乙女心ってやつは何も感じなかったのか? 好きな人に、いや誰でもいいけど他のヤツに、体臭がクサいって言われるのは嫌だろ、普通」


「あ、あははは……」


「以前に『いい匂いがする』とか褒められていたとしたら、余計に気を遣うだろ。着替えたりしても多少は残るし、何より自分自身がそう感じてるんなら、距離をとるのは自然なことだ。そういう女心と秋の空ってやつなんだよ」


 知らんけど、と心の中で付け足す。正直なところ、確証はない。ただ、赤の他人の事情を想像するだけなら自由で、照を納得させられればそれでいい。もっともらしい「たとえ」も出せたからこれで良しとする。


「なるほどなー……。さすがロックン、だてにお姉ちゃん二人もいないね」


「……いやむしろ、これは兄貴が気にしてたことなんだが――」


「しっかし……謎が解けてみると、あっけないですなぁ」


「そもそも謎なんて、お前が勝手に妄想コーティングしたものだろ。お前が無駄にややこしくしたんだ。現実なんてこんなもの――お前の方こそ、よく現実を見ておけよ。僕は読書フィクションに戻るから」


「でも、『事実は小説より気になり』って言うでしょ」


「言わないが?」


「わたしはいつか見つけてみせるよ、ロックンが現実に興味を持てるくらい、魅力的な謎をね!」


「それとなく僕のイメージを損なうな。僕からしたらそんな目標を掲げてるお前の方が奇妙だよ」


「魅力的ということ? 遠回しな告白?」


「…………」


 黙って席に戻る。別に照れ隠しでもなんでもない。シンプルにスルーした。照も気を取り直して話題を変え、


「じゃあわたし、あの二人のお悩みを解決してくるね!」


「……は?」


「魔法の呪文を唱えてくるよ」


「おい……」


 止める間もなく教室を飛び出していく――既にいなくなってしまった背中を見つめたままの恰好で、六郎はどうしてあいつには配慮とか遠慮とか、何かこう好感の持てる要素が何もないのだろう、と漠然と思った。人の神経を逆なでするソフトウェアが詰め込まれた機械人間なのかもしれない。


 ふと脳裏に浮かぶのは、中庭にいた二人。仲睦まじくお昼を楽しんでいたら、突然見知らぬ後輩が目の前に現れる。そしてテロ同然の爆弾発言、周囲の生徒が思わず振り返る――


 あるいは、謎を解き明かす探偵のようにも見えるだろうか。


 ……いや。


 百歩譲っても、それだけはない。


(しかし)


 もしも現実にシャーロック・ホームズのような、一目見ただけでその人の素性を言い当てる名探偵がいたとしたら――


「……あいつみたいに、不気味だよなぁ」


 窓を閉めた。少しでも、近い将来から遠ざかりたい一心で。



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