色瞳

曹灰海空

色瞳

「ねぇ、前言ってたけど兄ちゃんの見てる世界って灰色なんだっけ?」

「あー、それはものの例えで……」

 夏の連休、新幹線の中で唐突にそう話しかけて来た妹に僕は流れる景色を横目にそう返す。

 帰省する人で満席の車内は寝てる人が大半だと言うのに、彼女は元気満点らしかった。

「刺激があんまりないとか、感動がないとかそんな感じの意味だよ」

 今まで何度も教えたはずなんだけど、と付け足す僕に妹の彩夏あやかは少し不服そうな表情を浮かべる。

「むーっ、兄ちゃんはまたそうやって私をバカにするー」

 うーん、前教えた事を忘れてるから言っているだけで特にバカにしてるつもりはないんだけどなぁ。

「いいもん、私だってこれから物知りになるんだから」

「はいはい。で、なんで突然そんなことを聞いたんだ?」

 むくれる妹にやれやれと心の中でため息をついた僕は話題を別の方向に振ってみる。

「だって、兄ちゃんが言ってるような灰色なんてひとつもないんだもん」

「ひとつもって……いやいや、目の前にあるだろ」

 何言ってるんだと呆れながらすぐ目の前の灰色な簡易テーブルを指差す。

 新幹線ではおなじみの前の座席についている例のアレだ。

「ざんねーん、これは私にとっては灰色じゃないんですー」

「はぁ?」

「兄ちゃんにとって刺激が無いものでも私には新鮮なのでこれは灰色じゃないんですー」

「お前なぁ……!」

 さっきの意趣返いしゅがえしのつもりなのだろうか?

 それにしたって、中学生になりたての歳にしては考えることが幼稚すぎる気がする。

 けらけら笑う妹に嫌気が差しつつ車窓の外に目を向けると、ちょうど海が見えた所だった。

「あ、海だー! 空と雲もきれーい!」

「ん、ってことはもうそろそろ到着だな。彩夏あやかも駅弁のゴミまとめとけよー」

 乗る前に買った自分の弁当諸々のゴミをビニールに突っ込みながら、窓に張り付く妹に声を掛ける。

「えー、ゴミなんかより景色を楽しもうよー」

「はぁ……」

 結局、妹がゴミを片し初めたのは僕にとっては見慣れてしまった海が見えなくなってからだった。


***


「ちょっと良いかしら?」

 実家についてすぐに始まった夜の宴会も終わった頃。

 都合で先に帰省していた母親に掛けられた神妙しんみょうな声に、僕は寝室へ向かっていた足を止める。

「なに、母さん? 彩夏あやかならもう寝室に行ったけど」

「その彩夏あやかのことなんだけど、さっき病院から連絡があってね……」

「えっ? 今日退院したばっかりなのに――」

「あ、それについては付き添いは必須だけど、今回こそもう大丈夫だって」

 また逆戻りなのか?と、数年前のデジャヴを感じた僕の考えは口に出すより先に否定され、少し安心する。

「だけど、ね?」

「うん……」

 だけど、か。嫌な言葉だ。

「その、再精密検査の結果が出たらしくて。重い障害が残ってるかもって」

「は? しょ、障害って。昼は普通に元気そうだったけど」

 なぜそんなことが今になって電話で知らされるのか?

 一瞬疑問が浮かぶが、元々結果を待たずに帰省を強行したのは彩夏あやか本人含め自分達だったことを思い出す。

「身体が動かなくなるとか、死に至るとかそういう類じゃないみたい。夕食もはしゃいでたし本人以外からはわかりにくい類のものらしくて……」

 と。

 言葉を選ぶ母親を前に、僕はふと心当たりがあり恐る恐るそれを口に出す。

「もしかして――」

 そしてそれは母親の静かなうなずきで肯定された。


***


「ねぇねぇ、兄ちゃんの見てる世界って今日も灰色なのー?」

「あのなぁ、だからそれは……」

 帰省最終日。

 僕と妹はあかり一つ無い丘の上で空を見上げていた。

 都会じゃお目にかかれない満点の星空。

 そんな薄闇で僕は行きも聞かれたその質問にふと質問で返してみる。

「――彩夏あやかはどうなんだ? 見えてる世界に色はあるのか?」

「うん。あたりまえだよ? どうして?」

「……医者が言ってたらしいんだ。お前が色をちゃんと認識出来てないって」

「え……」

「退院する少し前からなんだろ。世界が灰色モノクロなのは」

「……てへっ。バレちゃった」

「バレちゃった、ってお前……!」

「もう、怖い顔しないでよー。だから兄ちゃんには教えなかったのにー」

「ご、ごめん……」

「しょうがないから、兄ちゃんにだけは教えてあげる。確かに色は見えなくなったけど――」

 そう言いながら妹は両腕を広げた。

「兄ちゃんと違って私には全部のことが真新しく見えてるの、だから『色』はあるよ?」

彩夏あやか……」

 横を見ても、夜空を見上げる妹の表情は薄闇ではっきりとは見えない。

 でも、僕にはそんな妹の瞳が色めく光で誰よりも輝いているように思えた。

「っと、私の答えは以上でーす! で、まだ兄ちゃんの答えを聞いてないんだけど?」

 たしかに、そういえばそうだった。

 ――『色』はある、か。

 うん、今日はの説明なんかじゃなく、を教えてあげられるかもしれない。

「そうだな、僕の見てる世界は――」


 色取り取りな星空の下、この夏一番の妹の笑い声が響いた。

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