13. 聖女様は幸せを探しにいくらしい
リタがスティエン公爵家の宮殿に入ると、すぐにレネーが近寄ってきた。
この後のバルコニーでの挨拶があるため、彼女もリタ同様に正装を身に
「やっと来たわね、リタ。絶対に許さないんだから!」
レネーが頬を膨らませる。
「悪かったわ。本当に。必ず埋め合わせはするから」
「言ってくれればよかったじゃない! 卒業パーティのあれも全部演技だったわけでしょ? 一人だけ知らされてないあたしの身にもなってよね」
「あのときはまだ、あなたとはその――友だちじゃなかったじゃない? 秘密は信用できる人の間で留めておこうって話だったのよ」
リタ以外に作戦のことを知っていたのは、スティエン公、ウィリアム王子、研究所長、アレクサンダー含むエンケル王国の数人、あとは名前を借りたハミルトン男爵家の夫妻。
教会に知られないように、できるだけ小さな輪を意識していた。
「それはわかるけど、なんかちょっと悔しいわ――あ、そうだ。あんたのことはこのままリタって呼んでいいわけ?」
「ええ。もともとは家族の間の愛称だから、偽名というわけでもないの。レネーになら呼ばれてもいいわ」
「ふぅん。じゃあリタって呼んであげるわよ」
「そうしてちょうだい」
そっけない返事とは裏腹にレネーは嬉しそうだった。
「ねえ、リタ。あたしの勘も捨てたもんじゃないって思わない?」
「なんのこと?」
「研究所にお邪魔したとき、話したじゃない。婚約破棄は陰謀によるものだって」
「でもあなた、私とアレクサンダー様が結ばれるために仕組んだことだって言ってなかったかしら」
「何よ。結果的に間違ってないでしょ? 寝てるあんたを背負って塔を降りてきた優しい顔のアレクサンダー様を見たら、誰だって察するわよ。お互いに好き合ってる関係だって」
レネーが意地悪な笑みを浮かべて言った。
リタは魔力切れで意識を失っていたから、そのときのことを知らない。
しかし、その光景を思い浮かべるだけで、顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。
「わ、私とアレクサンダー様は政略的な関係だわ。変な勘ぐりはやめてちょうだい」
「あらそう」
レネーはリタの言葉をまるで信じていないかのように軽く受け流した。
納得いかないと思いながらも、レネーとの軽口の応酬は楽しかった。リタはこれまで気やすい友人というものを持ったことがなかったから、住む国が変わっても彼女との縁を大切にしていきたいと思った。
バルコニーに出る前に、スティエン家の方々と挨拶をする。
さすがはこの国を治める公爵家。全員が揃うと圧巻だった。
スティエン公にこの度の功労を称えられ、リタは頭が下がりっぱなしだった。
「や、やあヘンリエッタ……」
スティエン公の労い攻めから解放されると、ウィリアム王子がリタのもとへとやってきた。
「ウィリアム様」
両家の方針とはいえ、幼少より長年婚約関係にあった相手だ。婚約者ではなくなった今、お互い会話の糸口を見つけられず、気まずい空気が流れる。
「研究の件、ご苦労だった」
「ありがとうございます。ウィリアム様も、大変演技が光っておりましたよ」
くすっと近くで誰かが笑った。
レネーだった。
彼女はリタとウィリアムの間に入ってきて、会話に参加する。
「今思えばおもしろいわね、あのときのウィリアム様。それはもう迫真の演技だったわ。ふふっ」
レネーが楽しそうにウィリアムを揶揄い、リタも釣られて笑ってしまう。
ふたりの様子にウィリアムは眉をひそめた。
「そ、それはそうだろう! 周りに悟られないためには、質を高めねばなるまい。俺はむしろ、ヘンリエッタに文句を言いたい。あんな棒読みで、誰かに勘づかれはしないかと気が気ではなかったぞ」
「たしかにリタは棒読みだったわね」
「わ、私は普段から棒読みがちなのよ」
思わぬ反撃で矛先が自分に向き、リタは焦る。
ウィリアムがこんな風にリタに文句を言ってきたことは、覚えている限りでは一度もなかった。
婚約破棄からの一連の出来事で内面に変化があったのはリタだけではなかったのだと気づく。
あるいは――。
ウィリアムの隣で笑うレネーを見る。もしかしたら彼を変えたのは彼女なのかもしれない。
バルコニーに出ると、大きな歓声がリタたちを迎えた。
ロイヤルファミリーに余所者の自分がひとり混じることに心苦しさを感じる。しかも、なぜかレネーとウィリアムの間に挟まれることになり、リタが言えた義理ではないが、ふたりの仲がうまくいっているのか心配になった。
右隣のレネーを見れば、リタの心配もよそに、こなれた笑顔を振りまいて民衆に手を振っていた。こういった社交性はリタにはないから、純粋に羨ましい。ウィリアムの妹たちとも仲が良さそうで、もうすっかりこの家に馴染んでいるのはさすがとしか言いようがなかった。
スティエン公が厳かに今回の騒動の経緯を説明していく。
作戦の立案はリタだったが、公の許可が下りなければ改革は起こり得なかった。彼の柔軟な決断力は上に立つものとして理想的なものだ。リタは改めて国の頂点に君臨するということの偉大さを実感した。
ふと、群衆の中からフードを被った男が目に入ってくる。
ちらと顔が見え、リタは目を見開いた。
あれはハリス主教だ。
アレクサンダーは彼を切り伏せた後、教会との交渉に利用したいと言った。ほとんど死にかけていたハリスをリタは回復魔法でなんとか治療したのだが、もう動けるようになっているらしい。
両隣を騎士が固めているのを見るに、自由の身ではないのだろう。
失った腕を治すこともできたが、リタはそれをしなかった。
彼はもう魔法も使えない。
どういう意図があってここへ来たのだろうか。あの行いを彼は悔いているのだろうか。
これから彼に待つのは、よくて牢屋での一生だ。
彼はリタと一瞬だけ目が合い、すぐに騎士に連れられて去っていった。
その目からは感情は読み取れなかった。
「あんたにお迎えが来たみたいよ」
レネーがリタに耳打ちをする。
パカラ、パカラと馬の蹄が石畳を叩く音が聞こえてくる。
「もうひとつ、みなに伝えることがある。この度、我が国の聖女、ヘンリエッタ・クロフォードとエンケル王国の王太子、アレクサンダー・ノードストローム殿の婚約を結ぶこととなった。両国の友好はますます深いものとなるであろう。みな、盛大な拍手をっ」
リタはポカンとアレクサンダーを見つめた。
彼が来るなんて聞いていない。
周りを見ると、スティエン家の全員がこちらを向いて拍手をしていた。まるで、初めからこうなることを知っていたかのように……。
レネーが祝福するようにリタを抱きしめた。
そして、耳元でリタに囁く。
「あたしからのちょっとした意趣返しよ。さあ、アレクサンダー様が待ってるわ。行ってきなさい」
レネーが身体を離し、リタの背中を押した。
リタはされるがままバルコニーから部屋の中に戻り、階段を下り、宮殿の外に出た。
人垣が左右に割れ、道を作る。
その先にはアレクサンダーが待っていた。
ふわふわとした心地で人々の間を歩き、彼のもとにたどり着く。
「聖女様のこれからのご予定を伺ってもよいか?」
アレクサンダーがリタに問いかける。
「そうですね――結界が直ったので、聖女様はこの国を出ていくらしいです」
リタは研究所の廊下でのやりとりを真似て、聖女のことを他人事のように語る。
アレクサンダーもこちらの意図を察したのか、表情を緩めた。
「なんとも忙しない方だ。彼女は、
「さて、どうでしょう。性格に難のある方ですから、どこかの国のお節介な王太子様にでも引き取ってもらえたらと、私たち国民は望んでおります」
「そうか。聞くところによると、隣国の王太子が彼女に関心を示しているそうだ」
「それはそれは。きっと
「幸せか――そういえばあなたもこれからエンケル王国へ向かうと聞いたが、本当か?」
「さようでございます」
「実は私もなのだ。よければ、私とともに来ないか? ふたりで聖女様の幸せを見届けに」
アレクサンダーが恭しく左手を差し出す。
リタはにっこりと笑みを浮かべ、右手をその上に重ねた。
「ええ、よろこんで」
聖女様は逃亡しました 上野夕陽 @yuhiueno
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