12. 聖女様は忘れ物があるらしい


 リタが研究所の荷物をまとめていると、ケイトが近づいてきて肩を指でつついてきた。



「これでお別れね、聖女さま」



「リタのままででいいって言ったじゃない」



「まさかリタがねぇ……」



 リタが聖女であることを明かしてから数日が経つというのに、ケイトはいまだに信じられないといった様子だ。

 銀色の髪を黒く染めるだけでもきっとケイトたちは気づかなかっただろう。前髪で目を隠し、眼鏡までかけることを提案したのは作戦に協力していた元婚約者のウィリアム王子だった。

 さすがにやりすぎだろうとリタは思ったのだが、その顔で歩けば絶対にバレるからと念を押すから、渋々従ったのである。

 まあ、たしかに髪だけ変えていたらレネーにはバレていただろうから、今ではリタも納得している。

 リタは鞄を持つと、忘れているものがないか、机の周りを確認した。少なくともここには忘れ物はなさそうだ。

 研究室を出る。ケイトが見送りをするためについてきてくれた。



「私、まだひとつ腑に落ちないことがあるんだけど」



 変装のためにしていた眼鏡をかける必要がなくなり、野暮ったい前髪も切ったリタの目をケイトが隣から覗きこむ。



「何かしら」



「研究室のみんなが急に体調が良くなった事件があったでしょ? あの原因って結局何だったのかなって」



 リタはぎくりとする。

 それは聞かれたくないことだった。どう誤魔化そうかと考えを巡らせる。



「魔力に長時間晒されると体に影響があるのは知ってるでしょう? あのときは、教会から借りた聖属性魔力のサンプルに影響を受けたのよ」



「いや、うん。私もそう納得してたんだけど、それにしても突然だったじゃない? 魔力サンプルなんてプロジェクトの最初のころから私たち触ってたはずなのに」



 祈願花は祈りを捧げると発光する。

 その理由は、葉に含まれるプライエリネが人間の正の感情に反応して魔力を変容させるからだ。

 幸せな感情は正の魔力と深く結びついている。

 つまり、祈願花と同様に、聖女も幸せを感じると魔力の力が増すのである。

 リタがアレクサンダーへの恋心を自覚した後、幸せな感情が暴走して周囲の人間を無差別的に健康にしていたというのが真相なのだが、そんなことを正直に伝えられるわけがなかった。

 あの事件の犯人が自分であることは墓場まで持っていこう、とリタは固く心に誓っている。



「きっと、連日徹夜続きの私たちを女神様が祝福してくれたのでしょう」



 リタはうそぶいた。

 ケイトが訝しげにリタを見る。



「――なんか、あやしい」



「どうして?」



「だって、女神様がどうこうなんて、リタが一番言いそうにないセリフじゃん」



「私、これでも聖女なのだけど」



「あー、たしかにそうだった。なんか、私にとっては研究者のリタだからなあ。そういう一面も隠し持ってたんだね」



 なんとか誤魔化せたようでリタはホッと息を吐く。

 研究所の外に出て、ケイトと別れの挨拶を交わす。

 ふと、視界の隅に何かを捉えた気がして横を見ると、入口の脇、少し離れたところにアランが立っていることに気づいた。

 彼を見ると、研究チームから追い出してしまったという意識がチクチクとリタの胸を刺す。



「話してきなよ」



 ケイトがリタの背中を押す。

 この機会を逃せば、一生話すことはないだろう。

 リタはアランの方へと足を踏み出した。



「――元気か?」



 先に言葉を発したのはアランだった。



「はい」



 他に言うべきことが思いつかない。



「あのときは――悪かった。結局リーダーが正しかった。すまない」



 世間話をするような空気ではなかったのだろう。アランは単刀直入に二人の間の確執に触れた。



「あの件に関して、正しさは正義ではありませんでした。アランさんを含め、部屋を出ていった方々のことは、仕方がなかったと理解しています。だから謝らないでください。私も謝りませんから」



 アランが目を丸くし、そして笑みをこぼした。



「たくましい聖女様だな」



「聖女の正体が私で、失望しましたか?」



「――正直に言えば、想像する聖女様の姿ではなかった。だが、失望はしていない。あなたの信仰が足りていないとも思わない。あなたは誰よりもこの国の未来を憂えていた。民のためを思っておられた。だから私は、あなたに心から感謝をしております、ヘンリエッタ様」



 アランは跪き、両手の指を祈るように組んだ。

 信徒にこのような振る舞いをされることはよくあったが、元同僚であることを思うと、気恥ずかしさが勝る。

 だからリタは、研究者の先輩と後輩という立場で別れようと思った。



「アランさん、顔を上げてください。私の方こそ感謝しております。先輩のご指導のおかげで、研究者として、またリーダーとして、成長することができました。ありがとうございました」



 アランが顔を上げた。

 立ち上がろうとするのを見て、膝の悪いアランに手を差し伸べる。



「ああ。リーダーを研究者として育てたのは俺だと、妻や子どもたちに自慢することにするよ――それじゃあ達者でな」



 アランはしばし逡巡した後、同じ研究者としての顔を見せ、リタに別れを告げた。



「はい。お元気で」



 リタはケイトのところへと戻る。

 彼女は妹を見るような優しい目でリタを出迎えた。そして、今度こそ別れを告げた。

 リタは最後に研究所の建物を振り返った。

 もう、忘れ物はなさそうだ。

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