第9話
あれから10日経ったけれど、まだヴェルメリオ様は帰ってない。
でも使用人さん達はヴェルメリオ様がもうそろそろ帰って来ると言って色々準備をしている様子なので、もうすぐ帰って来るのだろう。
私はというと、なんとか基本的な常識やマナーは一通り覚えられたかなという感じ。
ラナさんは初め計算や読み書きも教えてくれようとしたんだけれど、それはなぜか日本語と同じようにできたので覚える必要がなかった。
それどころか読み書きも計算もかなりレベルが高いらしく、とっても褒めてもらえた。勉強で褒められるのは久しぶりなのでなんだかむず痒い。
日本最高峰の大学を目指して受験勉強していただけあって、こちらの世界でもそれなりに通用しそうなことがわかって少しホッとする。
それに計算と読み書きを覚える必要がなかった分、常識とマナーを集中的に勉強することができた。
よかったよかった。
まあそれも頭で覚えられたというだけで、所作はまだまだなんだけれど。
とりあえずドレスで美しく歩くのはものすごく難しいし、エスコートしてもらうのにもまだまだ慣れない。ピンとした姿勢を維持するのも筋肉がつくまでは大変そうだ。
まぁその辺りはヴェルメリオ様が帰ってきたら必要なくなるだろうけれど、この世界の常識が知れたのはよかった。
下働きとして働くにしても常識は必要だろうし。
考えるのはこの辺までにして、ラナさんから出された課題を仕上げなくては。
刺繍なんて今までやったことがなかったから結構苦戦してる。けど淑女に必要な嗜みらしい。
今日中に仕上げちゃいたいな。よし! もうひと頑張りだ。
「「「おかえりなさいませ!」」」
「あぁ。予定より遅くなってすまないな」
本来なら10日ほどで戻るはずだったが、現場で怪我人が出て結局12日も経ってしまった。こういったことは度々あるが、いつも使用人達は総出で出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ。私、首を長〜くして待っておりましたよ」
「ラナ……」
ラナは私の乳母をしていたため、こういうことに関しては遠慮がない。きっと私がラナには敵わないのを知ってのことだろう。
「お嬢様を連れてきたその日に家を空けて12日も帰らないなんて、私はそんなふうに坊っちゃまを育てた覚えはありませんよ」
「わかった。わかったから坊っちゃまって呼ばないでくれ。それで、あの娘はどうした?」
「初めは戸惑っていたようですが、今は落ち着いて過ごしてらっしゃいますよ。あの髪と瞳の色からもわかりますがこの辺の出身ではないようなので、この12日間はこの辺りの常識やマナーを学んでおりました。読み書きや計算も初めから出来たし飲み込みも早いので良いところのお嬢様なんでしょうね」
良いところのお嬢様? だが、あの傷は……。
そう思ったところでラナも私の思っていることを察したのか、「何か事情があるのでしょうね」と悲しそうな顔で言った。
ラナには彼女の世話を頼んだから、あのアザと傷だらけの身体を見たのだろう。
「さ、もうそろそろ夕食の時間ですよ。気になるのでしたら夕食の時にでもお話をしてみたらいいじゃありませんか」
「別に気になってるわけじゃない」
そう本音を言ったのに、ラナは「はいはい」と流してちゃんと聞いてはくれなかった。
部屋で黙々と刺繍に取り掛かっていると、部屋の扉がコンコンッと鳴った。
「失礼いたします。お嬢様、夕食の時間ですよ」
「あ、ラナさん! 見てください! ここまで進みました」
そう言って私はラナさんから今日の課題として出されていた刺繍を見せる。
「まあ! 初めと比べると大分上達いたしましたね」
そうなのだ。初めは針で指を刺したり、糸がうまく通せなかったのだが、今日のこのハンカチはなんとかお花だとわかる刺繍ができた。
「ふふ。先程ヴェルメリオ様がお帰りになられましたよ。そちらのハンカチを見せてみてはどうですか?」
そのラナさんの言葉で、冷水を浴びせられたような気持ちになる。
「そう、ですか……」
刺繍を頑張っても、明日からは必要なくなる。ドレスを着た時の振る舞いも、エスコートのされ方も。ラナさんとの関係も変わる。頭の隅に押しやっていた事実が一気に戻ってきて、ちょっと寂しくなってしまった。
「あらあら、緊張しなくても大丈夫ですよ」
ラナさんは沈んだ私が久しぶりに会うヴェルメリオ様に私が緊張していると思ったのか、そう声をかけて来る。
「さぁ、食堂へ向かいましょう」
いよいよ私の今後が決まるのだ。
毒親育ちの女子高生は伯爵様の溺愛に気づかない sai @maaa8-1117
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