番外後編 ふぁーすときっす!

 ソフトクリーム屋の前には複数のベンチが置かれていて、商品を買った人たちがそのまま食事を楽しんでいる。

ボクたちも例にもれず、一つのベンチに二人並んで座り、ソフトクリームに口をつけていた。


「ああ、なんかいつもよりアイスが美味いな。やっぱりお前のおごりで食うものは美味いな」

「くっ、こいつここぞとばかりに煽りやがる……」


 俊樹がニヤニヤという笑顔で俺を見ながら、ソフトクリームをパクリと加える。彼が選んだのは抹茶味。一方のボクはシンプルにミルクだ。


「……」


 食事をする彼を見ていると、ボクは無意識に唇を目で追ってしまっていた。ぷっくりとした、意外と綺麗な彼の唇。

 顔の火照りを誤魔化すように、ボクはソフトクリームを口いっぱいに頬張った。


 彼はボクが挙動不審なことには特に気づいてなかったようで、普通に話しかけてきた。


「しかし寒くなってきたのにソフトクリームっていうのも変な感じだな。わざわざ秋に食わなくてもよくないか?」

「え? 美味しくないか冬のアイス。ていうか抹茶も美味そうだな。一口くれ」


 ボクは彼の持つ抹茶ソフトクリームを指さした。


「お前、俺の食ってるもん自分のものだと思ってないか? 雛鳥じゃないんだから餌くらい自分で取れ」

「いやいや、これ買ったのボクの金。ボクのものと言っても差し支えないだろ」

「いや、お前がゲームで負けたからおごったんだろ?」


 彼が馬鹿を見る目がボクを見てきた。

 ふふ、お前はボクを馬鹿だと思っているかもしれないが、それは違う。

 これは策略だ。桃谷さんから授けられた素晴らしい作戦の一環なのである。


 ズバリ、間接キス作戦。相手のソフトクリームを食うことで、間接キスをする。そうすることで俊樹はキスという単語を意識してしまうのだ!

 なんて頭の良い作戦なんだ……桃谷さんの頭脳が怖いぜ……。


「分かった。頑固なお前のためにボクが譲歩してやろう。ボクはお前の抹茶を一口もらう。お前はボクのミルクを一口もらう。これで平等だ。どうだ?」

「俺はミルクが欲しいなんて一言も言ってないんだが?」


 ぼ、ボクの策略が通じないだと……! 

 ボクは彼をジトッと見つめた。彼は何食わぬ顔で抹茶アイスを食べている。

 あまりにも彼が動揺しないので、ボクは思わずぽろりと本音が漏れてしまった。


「……でも、そういうのって恋人みたいでいいじゃん」


 俊樹がこちらを勢い良く見た。目を見開いていた彼は、やがてちょっとだけ口角を吊り上げた。


「なんだよ。そうならそうと言えよ」


 俊樹が抹茶のソフトクリームを差し出してくる。よく見れば、その頬は赤い。


「な、なんだよ。別に無理にとは言ってないし。お前が嫌ならいい」

「急にいじけんなよ。いいから食え」


 さらに抹茶アイスをこちらに近づけてくる。同時に彼の体も近づいてきて、ボクの心臓はうるさく鳴りだした。


「……わかったよ」


 小さく口を開けて、一口。正直なところ、味はあまり分からなかった。

 俊樹の顔が近くて、彼の食べていたソフトクリームがボクの口の中にあって、そんな状況に頭がいっぱいだったからだ。


「じゃ、じゃあボクの分も」


 おずおずとソフトクリームを差し出すと、彼は頬を赤くしながらも一口食べた。


「……」

「……」


 気まずい、けれども心地よい沈黙がボクたちを支配した。

 交わす言葉がなくなると、周りの音が聞こえるようになる。すると、ボクの耳にどこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「あ、あーっ! これは……これは解説の片岡さん……!」

「ええ、ええ! 間違いなく甘酸っぱい間接キスと言えるでしょう! 見てください、稲葉さんのあの真っ赤な顔と潤んだ瞳を! なんと甘酸っぱい空間か。これはもう間接キスなどというレベルではありません。実質ディープキッスと言えるでしょう!」

「でぃっ……なるほど、たしかにそうと言えるほどの雰囲気が二人にはありましたね!」


 何やら興奮している二人組にズンズンと近づいて行って、ボクは問いかけた。


「……栗山さんに片岡さん、こんなところで何してるの?」

「あ、稲葉さんヤッホー。今日もラブラブだね」

「ア、稲葉さんごめんね。ぬ、盗み見するつもりはなかったんだ。声かけようと思ったんだけど、いい雰囲気だから話しかけづらくて」


 ニコニコ笑顔で応える栗山さんと、ちょっと申し訳なさそうな片岡さん。

 

「……どのあたりから見てたの? ていうか聞こえてた?」


 ちょっと気の弱い片岡さんをじっと見つめると、彼女は動揺しながら薄情してくれた。


「エット、二人がベンチに座る前からいたよ。声は……まあなんとなく話の内容が察せられる程度には……」


 ほ、ほぼ全部バレてた……。 ボクはがっくりと項垂れた。


「稲葉さん」

「なに? 盗み聞きしてた栗山さん」

「ご、ごめんって」


 栗山さんは謝りながらボクの耳に顔を近づけてきた。ちょうど、こちらを眺める俊樹から口が隠れるような態勢だ。

 いい匂いが近づいてきて、ボクは動揺する。


「稲葉さん、なかなかキスできないってぼやいてたでしょ? 心配してたんだけど、結構いい雰囲気だったから安心したよ」

「あ、ありがとう……」


 栗山さんは素敵な笑顔でボクから離れると、サムズアップした。


「大丈夫。稲葉さんは可愛い見た目をしてるけど男の子みたいにカッコいい勇気を持った子だって知ってるからね!」


 片岡さんもそれに同意するように優しく微笑んでいた。





「なに話してたんだ?」


 二人との話を終えて戻ってきたボクに俊樹が問いかける。


「秘密だよ。女の子の秘密ってやつ」

「お前がそれを語るのか」

「まあな。さ、食い終わったなら行こうぜ」


 秋の日没はどんどん早くなっている。

ボクは夜に出歩くとロクにならないことは以前酔った男に絡まれた経験から分かっている。ボクたちが一緒に遊ぶ時は大抵早めに家に帰り、それから通話を繋いでゲームをしたりする。

……女になってから出来てないけど、いずれ泊まりで遊んだりしたいな。それでそういう雰囲気になったりして……


「いやいや、前段階すらまだなのにボクは何を考えているんだ」

「おい、どうした?」

「なんでもない。これも女の子の秘密ってやつだ」

「そうか? お前秘密増えたな」


 まあね。友人同士ならともかく恋人同士だからね。


 俊樹の手を掴んで、ボクたちはショッピングモールの外へと出た。

 

 ……これは、桃谷さんの授けてくれた策とは異なる行動だった。

 彼女の言葉を思い出す。

 おっとりとした顔を引き締めて、桃谷さんはこんなことを言っていた。


「最後のキスは、雰囲気作りが大事です。告白の時と一緒ですね。静かな場所と、落ち着いた雰囲気。夕陽がバックなら完璧でしょうね。そのため、夕方にはイベントがなくなるショッピングモールの屋上が最適です」



 たしかにそうだ、とその時は思った。実際のところ、間違いのない助言だったと思う。

 ただ、ボクは今になってある考えが頭に浮かんだのだ。


「俊樹、一個先のバス停まで歩かないか?」

「え? まあいいけど。……どうした?」

「いや、気温もほど良くて、夕焼けも綺麗だろ。ちょっと歩きたい気分だったんだよ」


 ショッピングモールの前には大きな車道がある。その脇を徒歩で移動しているのはボクらくらいのものだ。

 猛スピードで通りかかる車のエンジン音をBGMに、ボクらは会話をする。


「俊樹、今日はちゃんと楽しんでたか?」

「なんだよ急に。お前らしくもない」

「あっはは。そうか?」


 ちょっと不安になったのだ。恋人っていう関係になって、ボクはずっと毎日が楽しい。

 けれど、彼がどう思っているのか分からない。ひょっとしたら、改めて一緒に過ごしていて恋人という関係に違和感を覚えたのかもしれない。


 ハグだとかキスだとか、そういうことを全く言い出さない様子から、ボクはそんな不安を持ってしまった。


 そう思ったから、彼は本当はキスだとかそういうことを求めていないのではないかと思ったから、ボクは屋上には行かずに一個先のバス停まで歩くなんていう中途半端な選択を選んでしまった。

 

「お前が心配に思うことなんてない。俺はお前といれて楽しいし幸せだ」


 ……ズルいじゃないか。急にそんな素直な言葉を返されたら、動揺してしまう。


「じゃあ、さ」


 を出す。ずっと怖かった一歩を踏み込んで、ボクは問いかける。


「ボクと恋愛的なことをするのは嫌? 抱きしめたり唇を合わせたり、そういうことは嫌?」


 その言葉に、俊樹はハッとしたようにボクを見た。


「ボクが男が怖くなって、お前がそれを心配してくれてるのはよくわかってる。体の接触が怖いんじゃないかって思って手をつなぐ以上のことをしないのも。……でもさ、不安なんだよ」


 ああ、ボクはどうしてこんなことを彼に話しているんだろうか。こんなはずじゃなかったのに。弱音を吐くつもりなんてなかったのに。もっと堂々と、彼からキスを望むことを待つつもりだったのに。


「あの日ボクが好きだと言ってくれたお前の気持ちに嘘はなかった。でも、その感情がいつまでも不変とは限らない。恋人と接していて、結局コイツとは友人なんだなと思い直したのかもしれない。……なあ、どうなんだ?」


 いつの間にか、ボクたちは足を止めていた。バス停に到着していた。ボクたち以外に誰もいない。

 通り過ぎる複数の車が鳴らすエンジン音がひどく遠くに聞こえる。

 

「ゆうき」


 俊樹の真剣な瞳がボクの目を捉える。ボクは唾を飲んで彼の言葉の続きを待った。


「お前を心配してすまなかった」


 ゆっくりと、ボクの動きを確かめるように躊躇いながら、彼は両手を広げてボクに近づいてきた。ボクもまた、両手を広げる。


「……」


 抱擁を交わすと、お互いの体温がひどく高いことに気づいた。俊樹の少し大きな体が、ボクの小さくなった体を包み込む。

 ばくばく、という心臓の音が相手に伝わるんじゃないかと思うほどだった。


「……俺だと、怖がらないんだな」

「当たり前だろ、馬鹿。さっさと気づけ」


 俊樹の吐息がすぐそばに聞こえる。もう車の音なんて聞こえない。

 彼は一度ボクをきつく抱きしめると、ちょっと体を離した。


「……恥ずかしいから目を閉じてくれないか?」

「……やだよ。散々待たせた罰だ」


 俊樹は顔を真っ赤にして躊躇っていたが、やがて少し身をかがめてボクの顔に近づいてきた。目を細めて、優しい顔をしている。

 ボクはちょっとだけ背伸びをすると、唇を前に出す。

 永遠にも思える空白の時を経て、ボクたちの唇は交わった。


 その感触に、ボクは今まで感じたことのない幸福感を覚えた。

 まるで世界に二人しかいないような気がして、ただ目の前にいる彼の存在だけを全身で感じる。

 

 無限にも思えた時を経て、彼の唇が離れていく。

 車の音が耳に入ってくるようになる。ボクは自分がどこにいるのかようやく思い出した。


「これで良かったか?」


 俊樹はまだ薄っすら頬を赤くしてボクに問いかけてきた。


「うん。……お前は?」

「ああ、我慢してた自分が馬鹿だったと思えるほど良かったよ」


 二人して顔を真っ赤にして、ボクらは顔をそむけた。


「まあ、ボクの思い通りにはいかなかったけどこれで胸を張って俊樹の恋人だった名乗れるな」

「思い通り? ……ああ、なんかデート中ずっとおかしかったもんなお前。映画のチョイスも間接キスも誰かの入れ知恵か?」

「気づいていたのかよ。そうならさっさと言えよ、馬鹿」


 ボクのいじましい努力に気づいたのならさっさと言ってくれ。


「……聞こうとしてたんだよ。でも、キスしたいのかなんて聞きづらくて、それにお前のトラウマを刺激するのが怖くて、なかなか言い出せなかった」

「な、なんだよー! ボクが勇気出した意味は!? 放っておいてもできたってことか!?」

「悪かった」


 俊樹は素直に頭を下げた。

 急に素直に謝るなよ。普段は絶対謝罪なんてしないくせに。

 

「ふ、ふん! お前はとびきり美少女のボクを恋人にしておきながら不安にさせた罪でこれから毎日き……き、っすな!」

「肝心なところで照れるなよ。何言いたいか分からなかったぞ」


 ニヤニヤ笑いの俊樹がからかってくる。ああ、こうなるといつもの彼だな。

 先ほどの優しい彼も好きだけど、こっちの彼は安心する。


 そんなことをしているうちに、バスが到着したようだ。ボクたちの目の前に大きな車体が止まり、扉が開く。


 俊樹は先にバスに乗ると、ボクの方に手を差し伸べてきた。


「ほら」


 彼の手を取って、バスの乗降口を昇る。別に手を借りなくても乗れた。でも、ちょっとでも彼に触れていたかった。



 ボクらを乗せたバスは、やがてエンジン音を立ててその場を出発した。

 ボクたちは、このまま行きと同じ道を通って家に帰るだろう。


 しかし、もう既に行きの頃のボクらとはちょっと違う。少しだけ関係が前に進んだ実感が胸の中に残っている。


 たかだか唇を合わせた程度、と経験豊富な大人なら笑うかもしれない。

 けれども、ボクらの心は以前よりもさらに近づいたという確信を持つことができた。

 彼も同じことを思っているはずだ、とボクはその横顔を見る。すると、こちらを観察していた彼と目が合って思わず目を逸らす。

 ああ、気まずくて、恥ずかしくて、体の奥が熱くて、どうにかなってしまいそうなほどに嬉しい。


 ファーストキスは、想像していたよりもさらに幸せなものだった。

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女の子になったボクは、とりあえず親友を惚れさせることにしてみた 恥谷きゆう @hazitani_kiyu

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