番外中編 しょうぶ!
映画館から出ると、俊樹は珍しく上機嫌だった。
「いやあ、恋愛映画なんてほとんど見たことなかったけど意外と面白かったな。お前の思い付きもたまには役に立つな。……ゆうき?」
「え? ああ、だろ! 優秀なボクに感謝して、今度から映画マスターと呼ぶといいよ!」
「一作いい映画引いただけで自信持ちすぎだろ」
俊樹がため息を吐いてどこかを向いたので、ボクは安堵した。
こちらの動揺を悟られることがなかった。
ああ、策士策に溺れるとはこういうことなんだろう。ボクはキスシーンを見せて俊樹を動揺させようとしていたのに、気づけば自分がキスシーンに心奪われていた。
ごめん桃谷さん……さすがの君の策でも今回は厳しいかもしれない。
ボクが……ボクがあまりにもポンコツすぎた……
彼女との会話を思い出す。今回の話は、ボクから彼女に相談したことから始まった。
「桃谷さん久しぶり」
「稲葉先輩、お久しぶりですー」
おっとりとした桃谷さんの笑顔は全然変わっていなかった。
外面だけ見ていると世間知らずのお嬢様にも見える。
しかし実際は優れた頭脳と知略でボクというめんどくさい女子モドキを俊樹とくっつけた敏腕コンサルタントなのだ。
彼女に相談すれば、だいたいのことは解決する。一年生の間では早くもそんな風に噂になっているらしい。噂は上級生にまで伝わってきている。
ボクもまた、そんな彼女に相談事がある一人だった。
「それで稲葉先輩。見事ラブラブカップルになったあなたが、私をわざわざ訪ねてくるなんてどうしたんですかー?」
間延びした声で彼女が聞いてくる。以前会った時はこちらの言葉を聞くまでもなく悩みを見抜いてきた彼女だが、今回のは見抜けなかったらしい。
「それがさあ、桃谷さん」
ボクはキュッと眉をひそめて、真面目な表情を作った。そんなボクの表情が珍しかったのだろう。桃谷さんがパッチリした目を細めてボクを注視した。
少しの沈黙が下りる。
満を持して、勇気を出して、ボクは悩みを打ち明けた。
「俊樹がいつまで経ってもキスしてくれないんだけど、どうしたらいいと思う?」
「…………はいー?」
桃谷さんが、先ほどの真剣な表情から一転困惑したような表情になった。
「そのー、稲葉先輩がどういう風に困ってるのか私にはよく分からないのですがー」
「いやだから、俊樹がキスしてくれないんだって」
「……ええー。お二人ならとうの昔にその先のステップまで行ってるものだと思ってましたー」
桃谷さんは非常に珍しいガックリとした様子だった。
「まさか結ばれてから一か月後にそのような話を聞くとはー。しかし稲葉先輩も結構困っている様子。私でよければ助言を差し上げましょうー」
「おお! さすが桃谷さん!」
なんて頼もしいんだ!
それからボクは、詳しい状況について説明した。
もうすでに何度かデートには行っていること。
彼との会話は付き合う前とそれほど変わらなかったけど、それでもどこか違っていて、それがひどく心地よいこと。
あの日から俊樹がボクの無防備なあれこれにやたらと注意してくるようになったこと。
「……そのままキスくらいすればいいんじゃないですかー?」
桃谷さんはなかば投げやりだった。相談事に真摯な彼女にしては珍しい態度。分かってる。こんだけ同じ時間を過ごして、これだけ仲が良くてキスもできないなんて普通の男女いないだろう。
でも、ボクと俊樹は普通じゃない。
ボクはずっと男で、そう思って俊樹と関係を構築していた。
それに、ボクはまだちょっとだけ男が怖い。大柄な男が近くにあると体が強張る。日常生活に支障が出るほどではないが、俊樹もそういうことを懸念しているのだろう。
けれどもボクは、彼なら大丈夫だと思うのだ。彼の手のひらは暖かくて、ボクを包むみたいだ。彼の大きな体はボクを守って、幸せにしてくれると信じられる。
「……まあーお二人にしか分からない悩みもあるということですかねー。分かりました。私が策を授けましょうー」
彼女の策、第一ステップはキスへの意識付けだ。
ボクたちの関係はよく言えば気安いが、悪く言えばムードがない。
あんまりまさに恋人同士って雰囲気じゃないらしい。
だから、恋愛映画だったのだ。桃谷さんの選んだ映画を彼と一緒に見て、恋愛ムードを高める。
しかしこの策は、俊樹は全然動揺してないのにボクだけ意識しているという大失敗に終わった。
「あ、あー! ずっと座って映画見てたから体硬くなっちまったなー。ゲーセンでも行かないか?」
動揺を隠すように、ボクは大きく伸びをしながら彼に問いかけた。俊樹はなぜか一瞬ボクの体から眼を逸らしてから答えた。
「お前は本当に女になっても趣味が変わらないな……まあいいけどな」
二人並び歩いてゲーセンコーナーへ。相変わらずの人の密集具合だったので、どちらともなく手を握る。
体温を感じる右手に意識が集中してしまう。
その手を少しにぎにぎすると、彼はくすぐったいそうにみじろぎした。
そんなことをしてると、賑やかな音を鳴らすゲーセンコーナーに辿り着いた。
「じゃあ俊樹、さっそくだけど勝負な! 負けた方がソフトクリーム奢るってことで!」
「本当にいいのか? お前何やっても大抵俺に負けるだろ」
「ふふふ……今日のボクは一味違うからな。見てろよ」
ボクたちが選んだのは、シンプルなレースゲームだ。
ハンドルとアクセルを操作して車を操作して順位を競う。
運転できるような年齢までもうちょっとのボクたちにとっては、手軽に非日常を体感できるゲームだ。
「いやあ、実はボクドライブとか憧れてたんだよね! なんかカッコいいじゃん。あのドリフトして駐車するやつやってみたいんだよね。タイヤから火花とか出してさ!」
「お前は一生運転するな……ゲームだけで満足してくれ、頼む……」
「おい、どうしてボクは免許を取る前に運転を諦めさせられているんだ。やってみたら案外うまいかもしれないだろ」
俊樹とボクはゲーム台の席に座りながらどうでもいい会話をする。
「いや、無理だ。人様に迷惑をかける前にやめておけ。というか俺が運転するから。お前は黙って助手席に座ってろ」
「え、なに。俊樹はボクと一緒に車に乗る前提だったの?」
「……」
俊樹は黙ってゲーム画面に目を向けると、レースを始める準備を始めた。
よく見ればその耳はほんのり赤い。
ボクはテンションが上がって彼に話しかけた。
「おいおいおい! なんだよ今の! まるで告白みたいじゃないか! 俺の車の助手席に乗ってくれってことか!? なあ、どんなドライブデートに連れていってくれるんだ? おいおいおい!」
俊樹を全力で煽ると、彼はますます耳を赤くした。かたくなにこちらを見ようとしないのは好都合だ。ボクの頬まで薄っすら赤いことに気づかれてしまう。
「うるせえ! ひき殺すぞ!」
「こわっ!? 運転しようとする人間の発言とは思えないぞ!」
レーススタート。
耳を赤くした俊樹は、しかし華麗なハンドルさばきでどんどんと進んでいく。そもそもコイツは初めてやったことでも意外とうまくやってしまう憎らしい奴だ。
しかし、このゲームは負けられない。
見るがいい、ボクの華麗なるドリフトを……!
「あ、あああああ! せめて最後まで走らせろよ! なんでビリはゴールまで行かせてくれないんだよ!」
「お前が遅すぎるからだろ。というか何回壁にぶつかってんだ。現実だったら車ぼっこぼこだぞ」
なぜだ……ボクのドリフトが通じなかっただと……。
ぶっちぎりのビリでNPCにも敗北したボクは、がっくりと項垂れた。
「まさか言い出したお前がアイスをおごるのはなしだ、とか言わないよな?」
「当たり前だろ。ボクも男だ。……いや、女だけど。約束を破るような女だと侮るなよ!」
「はいはい」
ボクの軽口を聞きながして、俊樹は至極当然のように手を出してきた。
それを握ると、彼は自然な態度でボクをリードしはじめた。
……そう言えば、いつも通り遊んでいたら俊樹にキスさせる計画を忘れていたな。
あまりにもいつも通り過ぎて何も考えていなかった。しかし、アイスを食べに行くのは桃谷さんが授けてくれた策の一つだ。
ククク、とボクはあの悪魔みたいに笑う。
見ていろ俊樹。絶対お前からキスさせてやるからな。
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