番外前編 ふぁーすときっす!?

「うーん……」


 鏡の前でうなりながら、ボクは自分の髪をいじっていた。映っているのは相変わらず美少女フェイスのボクだ。やや童顔ながら可愛らしい顔。パッチリと開いた目。ロングヘアーは日頃のケアをかかさなかった結果見事な艶だ。


「既に可愛い……可愛いけど、なんかもっと可愛くなりそうな気がする……」


 入念にリップを塗る。……いや、あんまり濃いのもあれかな。唇の状態を入念に確認しながら、ボクはひとりごちる。


 今日選んだ服を見る。うん、こっちも可愛い。栗山さんと片岡さんと一緒に買いに行ったかいがあった。


「姉貴、いつまで鏡の前でうなってんの? 邪魔なんだけど」


 背後から声がした。鏡でそちらを確認すると、そこには妹の理子が呆れたような顔で立っていた。


「あとちょっと。もう少しで最高に可愛い美少女が完成する気がするんだ」

「……それ自分で言う? もう十分悩んだでしょ。アタシから見ても可愛いから、さっさとそこどいて。というか秋山さんなら絶対褒めてくれるって」

「な、なんでボクが俊樹と出かけるって知ってんだよ!?」

「態度見ればまるわかりでしょ!? ズボラな姉貴がそんな気合入れて準備するところデートの日以外に見たことないっつの!」


 理子は小学生に当然の摂理を教えるように言い放った。


「うーん、そんな分かりやすいかなボク」

「うん。空腹で餌を待ってる子犬みたい」


 失礼なたとえだ。ボクは憤慨したが、冷静に自分を見返すと案外間違っていないかもしれないと思い口をつぐんだ。

 


 身支度を終え、家を出る。空を見上げると、カラッとした秋晴れだ。

 ワクワクと跳ねてしまいそうな足取りで待ち合わせ場所まで向かう。目印になっている店の前にはまだ誰の姿もない。

 ボクは待ち合わせ場所に立ってしばらくスマホをいじっていた。


 少しして、こちらに向かってくる足音が聞こえる。ボクは勢い良く前を向いて彼の姿を確認した。緩んでしまう顔を必死に押さえつけて、ボクはしかめっ面を作った。


「悪い、待ったか」

「遅いよ! 遅い! 日が暮れるかと思ったよ!」

「いや、そうは言っても時間30分前なんだが。というかお前が明日起きられないかも、とか言ったから遅めに時間設定したのになんでこんな早くいるんだよ」


 うっ……痛いところをついてくる。

 しかし、そういう問題ではないのだ。


「知りませーん。ボクのような美少女を待たせた俊樹は重罪なので、今日の映画を選ぶ権利は剝奪です」


 ボクの言葉に、俊樹は呆れたような苦笑いを浮かべた。


「お前最初から自分の好きな映画見るつもりだっただろ」

「まさかまさか。ボクはできる彼女だからね。我儘な彼氏の言うことは最大限聞いてあげて今日のデートプランを構築するつもりだったよ。できる彼女だからね」

「我儘はお前だろうが。昨日も夜遅くまで通話に付き合わせやがって。なんで寝る前にお前の死ぬほどどうでもいい話を聞かなけきゃならないんだ」

「なんだよー! 話くらい聞いてやるって最初に言ったのはお前だろ!?」


 俊樹が「まあ、悩みとかあるなら遠慮なく電話とかして来いよ」とか言うから喜んで話したのに! なんてひどい手のひら返しだ。


「いや、前半はともかく後半はいつでも聞ける話だっただろ。俺の睡眠時間を返せ」


 まあ、後半はおしゃべりが楽しくなってしまったのは確かだが。しかし、それを認めるのはボクのプライドが許さない。


「ふ、ふん! ボクには君のくだらない話を聞く時間がないんだ! いいからさっさと行くぞ。映画が終わっちまうぞ!」

「コイツ……」


 歩き出すと、ブツブツ言いながら俊樹がボクの横に並んでくれる。

 車道側に立つ彼を見上げると、その顔はほんの少し笑っていた。


「お前がうるさいから言いそびれたが、その服似合ってるな」

「……」


 ず、ずるいぞコイツ……! 

 赤らんだ顔を見られるのが恥ずかしくて、ボクは顔を逸らした。俊樹が笑みを深めた気配を感じて、ボクはますます顔が赤くなってしまった。





 バスに乗れば、ショッピングモールまでは直通だ。休日の昼間だけあって、バスの中もショッピングモールも混んでいる。


「ほら、手」


 俊樹がぶっきらぼうに言って手を出してくる。

 ボクはニヤニヤ笑って彼に聞いた。


「んー? なに、手? 手がどうしたんだ? なあ俊樹、手じゃ分かんないよ。 ごめん、ボク馬鹿だからさ!」


 ハッハッハ! 先ほど赤面させられた仕返しだ。ほら、照れながらボクに手を繋いでくれませんかと許可をねだれ!


「だから、はぐれないように……」


 恋人ごっこ、なんていう口実を失ったボクらはもう恥ずかしいことをするのにも言い訳ができない。

 そのことをよく分かっているボクは、遠慮なく俊樹を煽るのだった。


「はぐれないように? なに?」

「……」


 ニヤニヤ笑うボクを俊樹はじろりと睨む。しかし、ボクはその程度では動じない。

 いったいどれほどお前の鉄仮面を見てきたと思ってるんだ。微妙に照れが混ざった顔じゃボクはびびらないぞ!

 しばらく口を開いたり閉じたりして迷っていた俊樹は、やがて何も言わずに強引にボクの手を握った。

 突然の接触に、ボクは心臓の鼓動が早くなったのを感じた。


「お、おい! それはズルだろ!」

「うるさい。お前この人混みで一人になったら面倒なことになるだろ」


 俊樹がボクの方を見もせずに言う。彼も照れてるのかもしれない。

 でも、彼がボクの顔を見ないでくれてよかった。 

 ちょっと強引なのもいいな、なんていう乙女みたいな考え、恥ずかしいから彼には悟られたくなかった。




 人混みの中を縫うように移動して、ショッピングモール内の映画館へ。券売機の列に並ぶと、ようやく手を離した俊樹が話しかけてくる。


「本当に前もって席取っておかなくて良かったのか? なんかすごい混んでるけど」

「分かってないなー、俊樹は。そんなんだからボクと付き合うまで彼女できなかったんだよ!」

「おい、一度も彼女できたことないお前に煽られる筋合いないんだが」

「そ、それは言わないのが武士の情けってもんだろ!?」


 コイツには人の心ってもんがないのか。

 いや、非モテ二人でこんな論争をしていても不毛なだけだ。

 ボクは映画の方に話を戻す。


「オホン。映画館で映画を見るっていうのは単に映像を見るだけじゃなく、非日常の体験なんだよ」

「おお、お前にしても賢そうなこと言うな。誰の入れ知恵だ?」

「……」


 桃谷さんにまた相談したことを伏せるために、ボクは黙秘権を行使した。


「映画見るだけならサブスクでもダウンロードでも見れる。それでもボクたちが映画館に来てるのは、大スクリーンの前で同じものを見てるっていう体験を共有するためだろ?」

「ああ、そうかもな」


 俊樹が頷く。


「映画館っていう非日常空間を全力で楽しむために、ボクたちはワクワク感を持って映画を見るべきなんだよ。だから、見る映画はその場で決める。ライブ感だ。ボクは前情報とかあえて見てない」

「まあ、お前がやりたいことは分かったよ。それで、何見るんだ?」


 俊樹が映画のポスターを指さす。アクション映画。ドキュメンタリー映画。サスペンス。コメディ。恋愛。

 その中からボクが選んだのは――。


「あ、あれ……」



 恋愛映画だった。




 


「珍しいな。お前がこういうの見たがるなんて。またコメディ系かアクション映画かと」

「だからライブ感だって。普段見ないやつのほうが新鮮じゃないか」


 言ってからなんだか気恥ずかしくなったので、ボクは誤魔化すように言う。

 映画の予告編を見ながら時々会話を交わしていると、やがて館内が暗くなった。

 周囲のざわめきが少しずつ収まっていく。



 映画のストーリーはよく言えば王道、悪く言えばありきたりだった。


 ひょんなことから少女の秘密を知ってしまった男の子。分厚い眼鏡で顔を隠した彼女は、実は超有名アイドルだった。


 少年の口封じをするために、少女は偽装の恋人契約を結び彼に「私と恋人同士でいたければ秘密を守りなさい」と言う。

 我儘で、けれど実は繊細な少女と交流していくうち、彼はますます彼女に惹かれていく。


 やがて少女は、親身に接してくれる偽装彼氏である少年に惹かれていく。

 彼のことが大事になってしまった彼女は、少年を自由にしようと「もう偽装交際は辞めよう」と言い放つ。


 ラストシーンは少年の告白だ。好意ゆえに彼を突き放そうとする少女に対して、彼はその胸の熱い想いをぶつける。

 やがて想いの通じ合った二人は、潤んだ瞳を交錯させてキスをする。


「っ……」



 キスシーンを見たボクは、思わず息を吞んだ。

 そう、これが見たかった。これを俊樹と一緒に見ることに意味があったのだ。

 

 映画の前情報を見ていないというのは真っ赤な噓だ。ボクはこのシーンを見るためにこの映画を見るように俊樹を誘導した。

 そのために桃谷さんの教えてくれた非日常感? とかいう言葉を使って、普段好まない映画を見ることの不自然さをカモフラージュした。


 今回、ボクはあの告白の日以来久しぶりに桃谷さんのアドバイスをもらっていた。

 最高の形で俊樹と結ばれたボクが、一体何を相談するというのか。

 

 それは、付き合って一か月経とうとしているのに未だにキスの一つもしていないことである。

 

 ボクは怒っている。大変おこである。

 こちらはいつでも準備OKなのに、俊樹は手を握る以上のことをなかなかしてこないのである。

 こちらを気遣った結果であることは十分伝わってきている。多分ボクがしようと言ったら頷いてくれる。

 

 それでも! ボクはあいつからキスしてほしいのである!

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