探偵は夢を見る
人生
探偵は夢を見る
気が付いた時、探偵は何も無い、ただただ真っ白な空間に立っていた。
立っている――恐らく、そうだろう。壁も天井も、床の存在さえ不明な真っ白な空間である。重力も感じなければ、平衡感覚も失われている。自分が今どのような状態なのかさえ定かではない。
全身がふわふわと、まるで水の中に浮かんでいるかのような……あるいは、ふかふかのベッドの上で今にも眠りにつく寸前であるかのような感覚に包まれている。
その一方で、頭脳は明晰。自分の現状をこうして確かめるだけの思考が働いている。
不意に、目の前に黒い染みが浮かんだ。それは水中に吐き出されたタコの墨のように揺れながら、やがてぼんやりと人型のシルエットをかたちづくる。
声が聞こえた。
「探偵よ、あなたの英知をわたしにお貸しください」
それは耳から直接、音波として届いたというよりも、自分の思考と同じように頭の中に浮かんでは消える文章のようであった。
「わたしは、あなたからすると異世界にあたる■■の女神。わたしが守護する国の王子が殺された事件の、謎を解いてほしいのです」
……やはり、夢でも見ているのかもしれない。こんなおかしな状況をすんなりと受け入れている自分がいる。■■という聞きなれないワードもそうだ。音としても文字としても理解できない、どこか異国の言語であるはずなのに、それを平然と飲み込んでいる。
そして、何より――
「事件とあらば……謎があるというのなら、私の出番だな」
いつものように――事務所を訪れた依頼人に応対するように――話を進める自分がいる。
ただ、
「事件の内容に触れるより先に、いくつか確認したいことがある。まず、女神というからには、神なのだろう? 神といえば、全知全能の存在であるはず。地上で起きたことくらい把握しているのではないのか? それに、なぜ女神が異世界の人間である私などに助けを求める? そちらの住人は使えないのか?」
現実だろうが異世界だろうが、こればかりは事件自体にもかかわることだ。依頼人がどれだけの情報を得ているのか、どのような経緯で依頼することになったのか、そういったことを確認する必要がある。
「そうですね……今回、わたしは
「なるほど。問題解決に適性のある人材を他所の世界から取り寄せる……そうやって神は全知全能を気取っているわけか。……それにしても、魔王、魔王ね……。ますますファンタジーじみてきたな」
探偵もファンタジーくらい知っている。幼い頃、それなりにゲームを遊んできた経験もある。最近だと、事務所で助手として働いている若者が仕事そっちのけで遊んでいた。
「普段なら探偵としての矜持が許さない発想だが、ここはあえて質問しよう。――殺された王子とやらの魂を呼び出して、『誰に殺されたのか?』を直接尋ねることは出来ないのか? ……まあ、それが出来れば私のもとになど来ないのだろうが」
「ええ……。そうした死者の霊魂を司るのは先ほど述べた我が姉の権能――その姉は現在、魔王を封じるために力を使い果たし、今この世界に存在する神はわたしのみとなりました」
「なるほど。つまり、あなた以外の超常の存在が関わっている可能性は低いとみるべきか。……よろしい。では、事件の話を聞こうか」
女神はまず、被害者である『王子』について語った。
「彼は、わたしを信奉する王国の第一王子。かつてこの世界に混沌をもたらしていた邪悪な存在……『魔王』を倒すことに尽力した勇者の末裔に当たります」
「魔王を倒した勇者がお姫様と結婚したわけか」
「ええ。そのため、王家は代々、成人になると魔王が封印された迷宮へ足を踏み入れる儀式を行います。成人の儀、いわゆる度胸試しです。王子はそのさなかに命を落としました」
「ダンジョンというからには、モンスターがいるんだろう? それらにやられたのではないのか」
少し考えればそうではないと分かる質問だが、探偵の持つ常識が通じない異世界が事件の現場である。ゲーム等によって得た思い込みが推理の邪魔にならないよう、あえて一つ一つ確認をとる。
「もちろん、魔物はおります。しかし――まず、何より重要なのは、王子はまだ死ぬべき運命になかった、ということなのです」
「……つまり?」
多少頭を抱えたくなったが、まだ音を上げる時ではない。
「王子はまだ、死ぬべき時ではなかった――成人の儀は何事もなく、無事に終えることがこのわたしによって約束されていたのです。少なくとも、この加護は魔物程度に破られるものではない。成人の儀で立ち入るのは迷宮のなかでも浅い階層ですので、棲みついている魔物の
しかし、事実として王子は死亡した。
「それに加え、王子には同行者がいました。かつて勇者と共に旅をしたパーティーの末裔たちです」
「なるほど――つまり、その女神の加護とやらは、レベルの低い魔物とやらには破ることは出来ないが――」
出遭った人間をとにかく襲う、それくらいの知能しかない魔物相手に負けるはずもなければ、不運な事故によって致命傷を負うこともない、そんな女神の加護も――
「悪意をもった第三者がいるなら話は別、ということか」
「……ええ、その通り。何者かが強い殺意をもって王子を攻撃したのであれば、あるいは……」
「容疑者は王子の同行者たち。ダンジョンという女神の目の届かない密室で行われた殺人、というわけだな。……早速、容疑者たちについて聞きたいところだが……その前に、女神よ。あなたはその力で地上の人々の心を覗き見ることは出来ないのか? つまり、容疑者たちの中に、王子殺しを匂わせる素振りをしたものがいないか、探ることは」
「わたしは地上の全てを知ることは出来ますが、そこに生きる人々の心の内までは見通すことは出来ません。それに、各々の動向を常に監視するようなことも……。しかし、罪があれば皆、神殿にてわたしに告白するでしょう。ですがそうして王子殺しを打ち明ける者はおりませんし、また、それを匂わせる素振りも確認できていません」
「懺悔がなければ人の罪も知れないのか。お人よしというか、なんというか……だからこそ信仰されているのかもしれないが、女神というやつもなかなかに不便だな」
女神の存在が信じられている王国……常に神の目があると人々は信じ、そのため目立った悪行はほとんどないという。時折現れる魔物の襲撃を受けたり、その討伐のために剣をとることはあっても、普段は争いもない実に平和な国であるらしい。
神を信じる人々と、人々を信じる神――その信頼で成り立った、平和な国――
「なるほど……迷宮とやらはその世界の人々にとって、唯一己をさらけ出せる場でもあるわけだ。女神の前では見せられない、醜い本性を」
ゆえに、王子の死は相当ショッキングな出来事であっただろう。まだ殺人であると公表はしていないらしく、国民は不幸な事故と――王子の
しかし、王宮内はどうか。こうして女神に神託を求めるくらいだ。王子の不審死によってざわめいていることだろう。その不穏な空気が国民に伝わるのも時間の問題――そしてそうなれば、平和な国はたちまちのうちに崩壊するだろう。
王子を殺した人物が身の回りにいるのではないかと国王は疑心に囚われ、かつての勇者一行の末裔たちは王子殺しの疑惑を向けられる――
「では、容疑者たちについて聞こうか」
「ええ……。同行者は三人。剣を持ち前衛を務める『戦士』の男性、
来たぞ、と探偵は身構える。
――魔法である。
いろいろと追及したいところだが、まずは事件のあらましを聞くことに専念する。
「王子はこの三名と共に迷宮に入りました。三名の証言によると、まずゴブリンの群れと遭遇し、これを難なく撃破。念のために休憩をとり、あらかじめ持参していた回復薬や食料で疲れを癒したそうです。そして――しばらく進んだころ、突如、王子が苦しみだし、倒れ、そのまま息を引き取ったという話です」
「ふむ……。魔物にやられたというわけではなさそうだが……王子が倒れた際、僧侶は何をしていた? 回復魔法が使えるんだろう」
「魔法も万能とは言えません……。特にあの迷宮の中では、わたしの力も及びませんので、回復も万全とはいかなかったでしょう。そのために回復薬などを持参していたはずなのですが……とはいえ、同行した僧侶は王子を支えるに足る
迷宮から連れ出された王子の体に目立った外傷はなく、病によるものではないか、というのが僧侶の診断だそうだ。
「魔法によるもの、という可能性は? 僧侶が回復をするふりをしつつ、呪いによって王子を死に至らしめた。あるいは魔法使いの女によるものだ」
「しかし、わたしの見立てでは、王子の遺体からそのような魔力の反応は見られませんでした」
「魔法の可能性は一切ない、そう断じていいんだな?」
「ええ、この女神が断言します」
ならば、その言葉を信じよう。そうでなければ一介の探偵に、異世界の殺人事件を解決することなど出来ようはずもない。
「で、あるならば――答えは一つだ」
「謎が解けたのですか」
「手段はな。残るは犯人と、その動機だが――これも、見当がつく。古来より、王族殺しといえばこの一点に尽きる」
王子を殺して利を得る人物といえば――たとえば第二王子や、国王の側室など、王位継承権に関わる人間と考えるのが筋だろう。
「女神よ、あなたは王子のことを『第一王子』と呼んだな。それはつまり、下に弟なり妹なりがいるということだ」
「ええ、王子には母親の異なる……国王が後妻との間に産んだ第二王子がいます。まだ幼い……」
「では、母親か。まさに相応しい容疑者だな。当人が現場に立ち入るとは考えにくい――実行犯はパーティーの中の誰か――いや、王子自身とみるべきか」
「それは、どういう……?」
「回復薬だよ。あるいは食べ物か。そこに『毒』が含まれていたんだ。王子はそれを知らず、毒を飲んだことで死亡した。……なるほど、回復魔法がどのようなものかは計り知れないが、"体力を回復する魔法では、毒という状態異常までは治せない"わけだ」
「なんと……。確かに回復魔法では毒や呪いの類は癒せません。毒があること、またそれがどのような毒であるのかを把握していなければ……。しかし、その時のための装備です。回復薬のほかにも薬草などがあったはず……」
「王子の口にするものだ、用意したのは王宮の人間。王妃ならそこに手を加えることも出来たはず。誤って毒を飲んでしまった、というならただの不運であり、女神の加護によって守られたのかもしれないが――母親の、子を思う愛、か。我が子を次期国王にという狂気じみた愛情があれば、あなたの加護もすり抜けるのではないか?」
「…………」
女神が沈黙する。お人よしの女神には、残酷すぎる真実であったか。
「ふむ……。これは、蛇足になるかもしれないが、一つ、付け加えるべきことがあるかもしれない」
探偵も無慈悲ではない。
「『真犯人』の存在だ」
「真犯人……?」
「王子が死に、もっとも得をする者は誰か? 女神への信仰が失われ、勇者の末裔たちが疑われ、平和だった国に混沌が満ち――それで、もっとも利を得るのは?」
「まさか……」
「そう、『魔王』だ」
国の乱れによって人々は過去の、魔王のいた時代を思い出すだろう。王子の死という凶事は魔王復活の前兆なのではないかと――そうした不安を糧に、それは真に甦るのではないか。
「現場も魔王が封印された迷宮という、おあつらえ向きの場所ではないか。女神の力の及ばない、あらゆる悪意が許される場所――封印というのは往々にして、いつか解けるもの。その時が近づいているということではないか?」
魔王の悪意によって王妃は王子に毒を盛った――そうしようという考えに至り、行動に及んでしまった――
「王妃を罰するか、どうか――そもそも、巫女の神託などで王妃に罪が問えるのかどうかは、私の領分ではないな。事件の謎は解いた。それからどうするかは、そちらの世界の問題だ」
「ええ――感謝します、異界の賢者よ。王子の死は悲しいですが、魔王復活の前兆を知ることが出来た――なれば、その時に備え人々の心を一つにするよう尽力しましょう」
「では、私は帰らせてもらいたいが、構わないかね」
「これはひとときの夢のようなもの……目が覚めれば、この夢での出来事はじきに忘れ去られるでしょう。では、さらばです、探偵よ――また何かあれば、その英知を頼らせてもらうこともあるかもしれません」
「勘弁願いたいね」
解決したからといって報酬があるわけでもない。いつだって犯人を捕まえるのは警察の仕事だし、探偵というものは表舞台には現れないものだ。魔王の陰謀を暴いても、その名誉は顔も知らない巫女の伝説に付け加えられるのみ。
「だが、まあ……もし次があるのなら、今度は依頼料を要求しようか――」
――そうして、探偵は短い眠りから目を覚ます。
事務所のソファで居眠りをしていたのであった。
ドアが開く。外に出ていた助手が帰ってきたのだ。
「真っ昼間から眠りこけて、いい御身分ですね。こっちは仕事をもらってきたっていうのに……」
「昼音とは昼にするからそう言うんだ」
休むヒマもないな、とつぶやき、探偵は身を起こす。ため息を聞きつけ、助手が目つきを鋭くする。探偵は苦笑した。
「たった今、世界を一つ救ってきたところだ」
「寝言は寝てる時に言うもんですよ?」
――まったく、報われない仕事である。
ただ、こうして人々の想像も及ばないような怪事件に出遭えるのだから、そう悪いものでもないだろう。
さて、今度の依頼はなんだろうか。異世界の王子殺しに見劣りしなければいいが。
探偵は夢を見る 人生 @hitoiki
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