そして未来へ

 純白の婚礼衣装は、首都一番と言われるドレスメーカーがその技術の粋を集めて作成したもので、ため息が出るほど美しかった。


 長袖だが、夏の結婚式である事を配慮して袖はレース生地になっている。

 それでいて左腕の傷痕をうまく隠すように作られており、長いトレーンと素肌の露出を抑えたデザインが上品だ。

 指輪の交換を円滑に進めるため手袋は付けないので、左手の甲の傷痕は白粉で隠した。


 ヴェールを留めるティアラはミリアリアの遺品で、イヤリングは三つの『何か一つサムシング』の言い伝えを満たすためにシエラから借りたものだ。

 どちらもドレスのデザインを妨げない真珠で作られたもので、清楚なドレスに調和していた。


「お綺麗です。エステル様」


 涙ぐみながら声をかけてきたのは、いつも以上に気合いを入れて化粧を施してくれたメイだ。エステルの後ろでは、髪をまとめてくれたリアもまた泣きそうな顔をしている。


「二人とも綺麗にしてくれてありがとう」


 感極まった二人に引きずられて、エステルの涙腺も緩みそうになる。


「エステル様はまだ泣いちゃダメですよ。せっかく綺麗にお化粧した所なんですから」


 注意を受け、エステルは慌てて目をしばたたかせて涙を散らした。




 今日はアークレインとエステルの結婚式だ。

 立太子の儀式を既に済ませ王太子となったアークレインの婚礼という事で、国内外から数多くの要人が招待されている。


 式が執り行われるのは、宮殿とアルビオン塔の中間地点にあるアルビオン大聖堂だ。ここは、ローザリアの国教になっているメサイア教の一派、ローザリア聖公会の総本山でもある。


 大聖堂までエステルをエスコートし、花婿に引き渡す役目を務めるのはシリウスだ。自分から父親代わりを務めると立候補したくせに、賓客の顔ぶれのせいか朝に会ったシリウスは緊張で青ざめていた。

 アークレインは一足先に大聖堂に向かい、花嫁の到着を待っている。


 大聖堂で式を挙げた後はパレード、その後は地下の『神殿』での儀式……と、今日は分刻みのスケジュールになっている。

 夜は来賓を招いた晩餐もあるので、体力が持つか少し心配だった。




 首都を震撼させたマールヴィック大逆事件から二ヶ月が経過し、様々な余罪が明らかになった。

 その中でも大きなものは、馬車の事故で亡くなった前ロージェル侯爵の死への関与と飛竜襲撃事件への関与だろう。


 責任転嫁を繰り返していたシルヴィオがここにきてようやくまともな証言を始めたそうだ。役に立たない証言ばかりを繰り返すようなら刑の執行を前倒しすると脅されたのが効いたらしい。トルテリーゼの証言と合わせ、余罪の全容が明らかになりつつある。


 特に直近の事件である飛竜襲撃事件に関わる証言は、聞いているこちらも胸が悪くなるものだった。


 飛竜の額に古代遺物アーティファクトを埋め込んだとされるウィンティア伯爵領出身の銃士は家族と共に遺体で発見された。

 それだけではなく、古代遺物アーティファクトの検証実験と称して、人体実験を含む残虐な行為も行われていたようだ。実験に関わっていた魔導具研究者は既に逃げた後だったため、秘密裏に指名手配がされている。


 余罪の数が多いため、全ての捜査と裁判が終わり、刑の執行が成されるまでは、年単位の時間がかかるだろう。


 アルビオン塔にも今日の結婚式の鐘の音は響き渡るはずだが、『特別室』に収監されているトルテリーゼは何を思ってその音を聞くのだろうか。

 エステルの中の救いは、裁判が終わったタイミングでアークレインがトルテリーゼを逃がすつもりでいることだ。

 しかし彼女がそれを受け入れるかどうかはまだわからない。

 アークレインやリーディスの為にも逃げて生きて欲しいとエステルは願わずにはいられなかった。




   ◆ ◆ ◆




 天秤宮の応接室に向かうと、漆黒の大礼服コート・ドレスに身を包んだリーディスの姿があった。

 リーディスはエステルの姿を見ると、眩しそうに目を細めた。


「お綺麗です、義姉上」

「ありがとうございます、リド」

「兄上にはもう伝えたのですが、どうかお幸せに。式典に直接参加する事ができないのが残念ですが、こっそり見に行こうと思っています」


 そう言いながらリーディスは腕にはめた認識疎外の効果を持つ古代遺物アーティファクトを見せてきた。

 彼は飛竜襲撃事件の隠蔽の罪によりサーシェスから謹慎と奉仕活動を言い渡されているため、今日の結婚式には出席できないのだ。


 なお、飛竜襲撃事件については表沙汰にしない事になったため、表向きは大逆事件の時にトルテリーゼから盛られた薬の影響で療養していることになっている。


 そんな状態のリーディスが謹慎及び奉仕活動をする場所としてサーシェスが選んだのはフローゼス伯爵領だった。


 北部の山間やまあいに位置するフローゼス伯爵領は、避暑地でもあり療養という表向きの名目にも使える土地だ。

 そしてアークレインの婚約者の実家にリーディスの身柄を任せることによって、異母兄との関係が決して悪くはないのだという事を内外に示すことにも繋がる。


 もっともこれは、シリウスが快くリーディスを受け入れたからこそ実現した。

 謹慎期間が終わるまで、彼は特徴的な髪と目の色を古代遺物アーティファクトで茶色に変え、身分を隠してフローゼス伯爵家のカントリーハウスに身を寄せている。


 フローゼス伯爵領での生活はリーディスにいい変化をもたらしたようで、大逆事件の直後と比べると見違えるように明るくなった。

 エステルがリーディスを愛称で呼ぶようになったのもそこが影響している。


 リーディスは確実に良い方向に変わりつつある。

 天秤宮に出入りするにあたって、かつて異能で傷付たメイに頭を下げて謝罪をした時は正直驚いた。

 今の彼はミルセア・マールヴィックに施された教育が偏ったものであることを自覚している。まだ十五歳なのだ。様々な価値観に触れることで、大きな精神的な成長が見込まれるはずだ。


 ふとした時に陰のある表情を見せることはまだあるものの、彼が聖職者以外の未来を見出す可能性もあるのかもしれない。


 エステルはリーディスに微笑みかけた。そして、ふとここにいるはずのシリウスの姿がないことに気付く。


「お兄様はどこにいったのかしら?」

「伯爵なら緊張をほぐしてくると言って外の空気を吸いに行きましたよ」


 シリウスはこの手の格式ばった席は苦手にしている。何かへまをしないかが心配である。


 いや、人の心配をしている場合ではない。気を付けなければいけないのはエステルも一緒だ。

 長身のアークレインとのバランスを取るためいつもよりも踵の高い靴を履かされているのだ。足元が安定しなくてかなり怖い。おまけにドレスのトレーンも介助してもらわないと歩けないくらい長いので、細心の注意を払って歩かなければ。




   ◆ ◆ ◆




 大聖堂における挙式は午前十一時に始まる予定である。

 宮殿から大聖堂に至る道は、世紀の結婚式に立ち会おうと詰めかけた多くの市民で溢れていた。


 花嫁行列を先導するのは、陸軍近衛連隊に所属する騎兵たちだ。

 整然とした隊列を組む兵士たちの後に続くのは、これまた白馬が引く六頭立ての式典用の馬車である。


 王家の馬車だけあって乗り心地は上々だったが、中のスペースの七割をエステルのドレスが占領しているため、隣のシリウスは市民の歓声に笑顔で応えながらも顔を引き攣らせていた。


「ちょっとトレーンが長すぎるんじゃないか?」

「これでも控えめにしてもらったのよ? ミリアリア陛下の時はトレーンが長すぎて、移動中にシワになってしまったとかで」

「そういう事を言われると下手に動けないな……」


 シリウスは居心地悪そうにもぞりと動いた。そしてどこか寂しそうにつぶやく。


「……まさかお前が本当に王室に嫁ぐなんてね」


 自分でもそれは驚きだ。ちょうど一年前の自分は、ライルとの婚約が破談になって涙を流していたというのに。

 ライルの治療は今のところ順調だと聞いている。願わくばこのままうまく依存から抜け出して欲しいものである。


「幸せになれよ、エステル」

「お兄様もね」


 シリウスも婚約の話が進んでいる。お相手は中部地方に領地を持つ伯爵家の女性だ。ハネムーンを兼ねた里帰りで紹介してもらう予定なので楽しみだ。




   ◆ ◆ ◆




 花嫁行列が大聖堂の前に到着すると、一際大きな歓声が怒号のように響き渡った。


「『竜伐令嬢レディ・ドラゴンスレイヤー』だ!」

「新たなる妃殿下に祝福を!」

「エステル妃殿下、おめでとうございます!」


 市民の祝福の声の中、エステルはシリウスの手を借りて馬車を降りる。すると後続の馬車からメイとリアがやってきて、馬車の中からドレスのトレーンとヴェールを丁寧に引き出してくれた。


 別の女官が白薔薇と鈴蘭で作られたブーケを手渡してくれる。

 エステルは群衆に向かって大きく手を振ると、シリウスのエスコートを受け大聖堂へと向かった。


 ブライズメイドとしてトレーンとヴェールを持ってくれるのは、一足先に大聖堂で待機していた叔母のパメラだ。


 馬車から大聖堂に向かってレッドカーペットが敷かれ、その左右を銃剣を装備した儀仗兵が固めている。




 式が行われる礼拝堂に足を踏み入れると、パイプオルガンが聖歌を奏で始めた。

 宗教画を模したステンドグラスで彩られた礼拝堂の中は神聖で厳かな気配で包まれている。


 中で花嫁の到着を待っていた国内外の貴賓たちの視線がエステルに集中する。


 異能に目覚めてから人と接するのが苦手になった。

 今だってこちらに向けられる人々の感情は好意的なものばかりではない。

 気にならないと言ったら嘘になる。だけど前ほどは怖くない。


 ウェディング・ロードの終着点、祭壇の前では、王族の正装である大礼服コート・ドレスを着用したアークレインが穏やかな笑みを浮かべて待っていた。


 体から溢れるくらいに大きなマナは、銀色にまばゆく煌めいて彼の抱く歓びを伝えてくる。


 この異能があって良かったと初めて思えた。

 感情の方向性が視える異能は、アークレインがエステルに対して抱く愛情を強く実感させてくれる。

 アークレインは時に過保護なくらいにエステルを守ってくれる。だから他人の視線はもう気にしない。


 いずれアークレインが受け継ぐ玉座は決して綺麗なだけのものではない。

 既に多くの血と欲望で汚れた玉座には重い責任と義務が付きまとう。そんな彼を隣で支えるのはやっぱりまだ少し怖い。

 だけど、この場所は誰にも譲らないし譲れない。エステルはただ真っ直ぐにアークレインの姿を見つめた。


 祭壇にようやくたどり着いた。シリウスからアークレインへ、エステルの身柄が受け渡される。

 アークレインの手を取ると、王族の証である深い青の眼差しがとろりと溶けた。




 神の前で永遠の愛を誓い、エステルはアークレインの妻となる。


 いついかなる時も、死がふたりを分かつまで――。

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