真実は心の中に 05
長かった話が終わり、サーシェスの部屋を出たアークレインの顔は暗かった。
エステルの瞳に映る彼のマナも深く陰っている。
無理もない。これまで敵だと思い続けてきたトルテリーゼが実はサーシェスと繋がっていて、マールヴィック公爵を追い落とすために暗躍していたなどと聞かされたのだ。嬉しいと思う以上に、疎外感や裏切られたという思いが勝っているのだろう。
サーシェスの部屋から距離を取ってからアークレインは足を止めた。
「自分の小ささが嫌になる。……どうしてこんなに腹が立つんだろう」
「……アーク様がそう思うのも仕方ないと思います。私も憤りを感じましたし、もっと他にやり方はなかったのかなと思ってしまいました」
「…………」
アークレインは廊下の窓に近付き、外に視線を向けた。
獅子宮の二階に位置するこの窓からは庭園の様子が一望できる。獅子宮の庭は二つの区画に分かれており、一つは生垣で作られた迷路に、もう片方は
「昔はこの庭は一面の薔薇園だったんだ。……異物入りの紅茶を飲まされて、こちらに近付かなくなった間に、庭の様子は一気に様変わりしていて……この宮の中も含めて『お母様』がまだ健在だった時の痕跡は一切姿を消していた」
アークレインは窓枠にかけた手をきつく握りこんだ。
「だから今でも信じられない。父上の寵愛はあの女に移ったのだとばかり思っていた」
アークレインが深く傷ついているのはわかるのに、かけるべき言葉が見つからない。
「昔のあの人は優しかったんだ。その姿が嘘じゃなかったことがわかって嬉しいはずなのに……」
そしてアークレインは途切れ途切れに昔のトルテリーゼの事を話し始めた。
アークレインがまだ幼かった頃、好奇心のままに会いに行った『新しいお母さま』は、今とは全然違って、どこか寂しげな雰囲気を持つ女性だったそうだ。
トルテリーゼは幼いアークレインとの交流の中で少しずつ明るくなっていった。それはアークレインも同じで、トルテリーゼは実母を亡くした喪失感を埋めてくれた。
だからこそ、実子が生まれた直後に異物入りのお茶を飲まされた記憶は彼の中で大きな傷となった。
「もしエステルの異能があの人の感情を暴いていなければ……」
アークレインの言葉に、エステルの心臓が嫌な音を立てた。
真実は闇に葬るつもりだったとサーシェスは言っていた。しかし、真実を知らなかった方がアークレインはここまで傷付かなかったのではないかとも思う。
ここまで事態がこじれた原因は、サーシェスがアークレインとトルテリーゼとリーディス、三人を等しく救おうとしたせいだと思うとまたやるせない気持ちになる。
「アーク様は知らなかった方がよかったと思いますか……?」
「それはない。けれど……」
ぐっとアークレインは唇を噛んだ。そして吐露する。
「……父上は為政者としては失格だ。為政者なら、国益を考慮し誰を生かし誰を諦めるのか決断すべきだったのに。私が父上だったら私を――」
「駄目です。言わないでください」
その先は聞きたくなくて、エステルはアークレインの背中に抱き着いた。
「陛下がアーク様を切り捨てるなんて絶対にないです。だって仰ってたじゃないですか。ミリアリア様が唯一だったって。陛下の中の優先順位は常にアーク様が一番だったはずです」
アークレインの胴体に回したエステルの手に一回り大きな手が重ねられた。
「今日は側にいて欲しい……」
言われなくてもそうするつもりだ。エステルはアークレインを抱きしめる手に力を込めた。
少しでもエステルの存在がこの人の心を癒せたらいい。そう願いながら。
◆ ◆ ◆
朝の日差しが顔に当たって、眩しさに目覚めたアークレインは、腕の中で眠るエステルに気付いてその髪に顔を埋めた。
昨日はサーシェスの部屋を出てから執務室に向かったものの、あまりに酷い顔をしていたようで追い出され、寝室として使っている客室に戻ったところでうたた寝をしていたエステルを見つけたのを思い出した。それから――。
腕の中の温もりが愛おしくて、エステルを抱き込む手に力を込めた。
自分の気持ちが落ち着くと、次に気にかかったのはリーディスの事だ。
自分にはエステルがいる。忠実な側近やクラウスもいる。
だけどリーディスには……。
母方の親族が捕縛されただけでなく、宝瓶宮の側近たちもまたマールヴィック公爵の息がかかっていたとして軒並み捜査の対象となって牢獄に入れられている。
一夜にして何もかもを失ったに等しいのだ。異母弟の精神状態が心配だった。
◆ ◆ ◆
エステルは今日から家庭教師による妃教育が再開される。そのため朝食を共にした後は天秤宮へと帰した。
アークレインは溜まっている書類仕事を片付ける為に執務室へと向かう。どこかでリーディスと会う時間を取りたいが、正直なところ今日中に時間を取るのは難しいかもしれない。
魔道技術の発展による資本家の台頭や、市民層の発言力が高まってきたのを受け、この国では先王エゼルベルトの時代から議会の決定を重んじる統治体制への転換を進めてきた。
とはいえ、議会・内閣・軍事・宗教の頂点に君臨するのは国王である。
何もかもが国王の承認がなければ動かない。そのため確認すべき書類が山積みになっていた。
特に今はマールヴィック公爵の失脚を受けて権力闘争が活発になっている。貴族たちの動向には注意が必要な時期だ。
現在は書類仕事を中心に執務を回しているが、本来はそこに社交・外交活動や式典への出席なども加わってくる。
外出が必要な公務を断ったり後ろ倒しにしているのは、代わりに立太子の儀式や前倒しになった結婚式の準備をする必要があるためだ。
また、マールヴィック大逆事件と名付けられた謀反の事後処理もある。正直やるべき事が多すぎて体がいくつあっても足りなかった。
この目の回るような忙しさはいつまで続くのだろう。
一応二日後からサーシェスが体調と相談しつつ公務復帰の予定だから多少は楽になるはずだが、当分は天秤宮には戻れそうにない。
一日の執務を終え、寝室として使っている客室に向かって歩いていたアークレインは、前方に小さな人影があるのに気付いて足を止めた。
「兄上……」
人影はリーディスだった。リーディスはこちらに気付くと声をかけてくる。
「待ち伏せのような真似をして申し訳ありません。兄上は僕の顔など見たくもないと思いますが……どうしても謝りたくて……」
アークレインに共通した顔は蒼白になっている。
一体どれほどの勇気を振り絞ってここに来たのだろう。
時刻は既に日付が変わる頃に差し掛かっている。子供がうろつく時間ではないが咎めることはできなかった。
アークレインは足を止めてリーディスの言葉を待つ。
「祖父が兄上にしたことは到底許されるものではありません。この謝罪もただ僕が楽になるための自己満足で……兄上にとってはただ迷惑なだけかもしれません。それでも何かせずにはいられませんでした」
吐き出すように吐露した異母弟の顔は憔悴しきっていた。
その表情にアークレインの中には込み上げてくるものがあった。
既にサーシェスからリーディスにも祖父と母の間にあった確執や、大逆事件の裏側にあった事情は伝わっているはずだ。
母が祖父を憎み、父と手を組んで追い落とした。
その結果として異母兄が玉座に就き、自身は反逆者の子として今後周囲から白い目で見られる事になる。彼はこの厳しい現実をどう受け止めているのだろう。
ミルセア・マールヴィックの口車に乗り、傍若無人に振る舞っていたリーディスに非がないとは言えない。
またトルテリーゼやリーディスの証言から明らかになったミルセアの余罪のうち、狩猟大会の日の飛竜の襲撃事件の中でもリーディスは明らかに罪を犯している。
どんな理由があったにしても、この大逆事件が起こるまでずっと口を閉ざしていたのは間違いなくリーディスの罪だ。
黙っていた事について思うところはある。しかし、リーディスの年齢や、言い出せなかった事情を聞いた今は、リーディスよりもミルセアやシルヴィオに対する怒りの感情の方が強い。
王位への執念から様々な悪事を働いたミルセア・マールヴィック。そして全てをミルセアのせいにし、ろくな証言をしないシルヴィオ。その二人と比較すると、リーディスには被害者という側面もある。ミルセアによる優しい虐待の。そして実母の裏切りの。
「謝罪はいらない。リーディスに対して怒ってはいない」
「しかし……兄上もお聞きになっていらっしゃるのではありませんか? 僕は、飛竜の襲撃に加担を……そのせいでエステル嬢は消えない傷を左手に負われました」
「首謀者はミルセアだと聞いている。お前に対して私が含むところはないし、エステルの傷痕もお前のせいとは思ってない。だけど事実を隠匿したのは良くない。いずれ父上から何らかの処罰が下るだろうからそれに従って償いなさい」
「父上からはこの件は明るみには出さないと……僕が貴重な直系王族だから、これ以上
「事を明るみに出すよりも、このまま反政府組織の仕業としておいた方がいいという判断だと思う」
狩猟大会の日、ベースキャンプにいた全員が被害者だ。その中には高位貴族のご婦人たちも多く、事を明るみにすれば大問題になり、リーディスの第二王位継承権に影響が出るのは間違いない。
リーディスはこれで誇り高い。そんな彼にとって、公に処罰されるよりも隠蔽される方が
「父上からは半年の謹慎と奉仕活動を命じられました」
「不服なのか?」
「軽すぎると思いました……」
「…………」
アークレインは思考の時間を取ってから口を開く。
「……否応なしに巻き込まれたという事情と未成年である事を考えれば私も妥当だと思う」
「しかし……」
「お前は他にも色々なものを失っている。父上はその辺りも考慮に入れられたんだろう」
トルテリーゼの行動についてリーディスはどう思っているのだろう。アークレインのように裏切られたと感じたのだろうか。それとも――。
「あの男を祖父に持って生まれてきた時点で、僕の持っていた物なんて何も無かった。それだけです」
リーディスがそう告げて浮かべたのは自嘲の笑みだった。
「僕は母は正しい事をしたのだと思っています。だからどうか僕のことはお気になさらないで下さい」
声が震えている。どうしてリーディスはこんな風に言えるのだろう。祈りの道に進むと決めたからこその達観なのだろうか。
「将来は神学を志すと聞いた」
「はい。父上からはカレッジをちゃんと出て、アルビオン大学の神学部に進むのであればという条件でお許しいただきました」
「……気が変わったら言いなさい」
「父上にも同じ事を言われましたが決意を翻すことは有り得ません。例え僕の気が変わっても世論が許さないでしょう」
そう言い切る異母弟の姿をアークレインは正視できなかった。
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