真実は心の中に 04 ※閲覧注意

 アークレインとエステルとの話が終わった後、一人になったサーシェスはベッドに横になって大きく息をついた。


 慢性的な胃の病気を患っているこの体は、マナさえ使わなければ日常生活を支障なく過ごすことができるのだが、ひどく精神的に疲れていた。


 アークレインは人の気持ちを読むのに長けている。

 敵の多い社交界で揚げ足を取られないよう、子供の頃から気を張ってきた結果身についたと思われる能力だ。不憫だと思う一方で厄介でもあった。


 しかも今回は彼だけでなく、感情を見る異能を持つというアークレインの婚約者まで相手にしたのだ。


 本音を言うと少しぼんやりとして休みたかったが、まだゆっくりとする訳にはいかなかった。サーシェスの連絡を待っている人がいる。


 サーシェスはベッドサイドのテーブルに手を伸ばし、通信魔導具と一体化した懐中時計を手に取った。


 文字盤をスライドさせると数字が並んだ入力装置コンソールパネルが現れる。

 コールするのはトルテリーゼに持たせた通信魔導具の番号だ。


『……陛下ですか?』


 ほどなくして懐中時計からトルテリーゼの声が聞こえてきた。女性としては少し低めの落ち着いた声である。


「ああ、今アークとエステル嬢に話した」

『いかがでしたか?』

「《例の件》についてはうまく誤魔化せたと思う」

『……ありがとうございます』


 トルテリーゼの声は暗い。忘れたい忌まわしい過去を思い出したのだろう。


 トルテリーゼがミルセアから肉体的暴力を受けていたというのは嘘だ。

 虐待と言われるものはあったが、それは暴言を中心とした精神的なものだった。暴言の内容はアークレイン達に伝えたのと同じで、玉座を逃した事と、子の世代で兄と差がついた事への鬱屈をぶつけるものだった。


 愚かな男だ。子供の世代で異能の覚醒状況やマナの量に差がついたのは、宮殿の地下で行われる祭祀に原因があるのに。これは、『王冠』を通して継承される知識のうちの一つだ。


 国王、王太子そしてその配偶者――王統を次に繋げるべき立場の人間の肉体は、毎年の祭祀に参加する中で『礎の石碑』によって作り変えられる。


 ミルセア、サーシェス、アークレイン、リーディス――直系王族の人間が似通った容姿を持って産まれてくるのはそのためだ。

 地下の祭祀には、水道機能の制御だけでなく、ローザリア王室の中に存在する古代王国時代の支配者層の遺伝的形質を、次代に効率よく伝えるような効果があると考えられている。


 サーシェスの父、先王エゼルベルトが王位を継いだ時には既にサーシェスが生まれていたため、ミルセアが王太弟の立場になる事はなかった。ミルセアの子供たちのマナが上位貴族並みにとどまり、異能にも覚醒しなかった原因はそこにある。


 妻子を責めるのは的はずれにも関わらず、繰り返される暴言はシルヴィオを父親の言いなりになる覇気のない人間にした。

 一方、気が強く要領のいい子供だったトルテリーゼは、早々に父親の暴言を右から左に聞き流す技を身につけて父を無視した。


 冷え切った家庭環境で育った彼女は父親を嫌い抜いていたが、嫌悪が憎しみに変わったのは、語るのもおぞましい事をされたためだ。




 王家の血が色濃い者には一途な人間が多い。たった一人の異性を見つけたら、その人だけを想い続けるという傾向がある。

 サーシェスにとっての唯一はミリアリアだったから、義務とはいえトルテリーゼとの夫婦生活は苦痛を伴った。


 アークレインが間に入った事で、徐々に心の距離は近付いていったが、夫婦としての時間を持つのは最低限となった。そしてその距離感が結果的に悲劇をもたらした。

 ミルセアはサーシェスとトルテリーゼの夫婦関係が進展しない事に業を煮やし、信じ難い行動に出たのだ。


 元々トルテリーゼが子を産めばアークレインは排除するつもりだったのだろう。


『月に一度の夫婦生活で子ができるものか』

『お前が我が子を産めば私の子が王位に就くではないか』


 そのような妄言を吐きながらおぞましい行為に及んだのである。


 事が終わった後のトルテリーゼは気丈にも事態を冷静にサーシェスに報告し、自分ごとマールヴィック公爵を処断するよう求めた。

 しかしそれはできなかった。暴行を受けた直後の侍医の診察でリーディスを身ごもっていることが発覚したからだ。


 近親相姦があった事を明るみに出せばマールヴィック公爵は処罰できるが、トルテリーゼもただでは済まない。リーディスがサーシェスの子である事は明らかだが、正当性にも疑問を持たれかねない。

 何よりも傷付いたトルテリーゼをそれ以上傷付けたくないという情が働いた。――今にして思えば自分は王としては失格だ。


『あの男は本当に自殺したのですか?』


 トルテリーゼの質問に、サーシェスはわずかに震えると、心の中でため息をついた。

 聞かれなければ答えるつもりはなかった。しかし、聞かれた以上は伝えなければならない。


「自殺ではない。開発中の新薬を投与した。鎮痛剤の一種だが、わざと量を少なくし、死亡までの時間がかかるように調整した。薬の投与から事切れるまでにかかった時間は一時間五十二分、ひたすら苦しみ抜いたと聞いている」


 トルテリーゼが息を呑む気配がした。

 私刑をしたに等しい行為だ。さすがに引かれただろうか。

 憎しみの対象とはいえ、あの男はトルテリーゼにとっては実の父親だ。


 サーシェスは不安を抱きながらトルテリーゼの言葉を待った。


『……溜飲が下がりました。酷い女ですね、私』

「命じた私もそれは同じだ」


 大逆罪による極刑は、かつては『引きずり回し・死ぬまでの首吊り・死後の斬首・四つ裂きの刑』に処されたが、あまりに残虐すぎるとして廃止されて久しい。


 今、ローザリアで行われている死刑は人道的な観点から絞首台を用いた絞首刑に一本化されている。しかしそれでは生温いという思いがサーシェスの中にはあった。


『捜査をする前に《処理》したのは私の為ですか……?』

「余計な事を話されたくなかった事は否定しない」


 死人に口なし。事に関わった医師はとうに年齢のため亡くなっているし、手引きしたトルテリーゼ付きの女官は全員『処分』済だ。

 ミルセア・マールヴィックの許されざる罪は、サーシェスとトルテリーゼが黄泉の国まで持っていく。




『……リーディスはどうしていますか?』


「昨日意識を取り戻して色々なことを話してくれた。外戚がこうなった事で自分には王族としての資格がないと泣きながらに訴えてきた」


 それだけではない。リーディスは狩猟大会の日の竜の襲撃事件もミルセア・マールヴィックが糸を引いていたと告白してきたが、サーシェスはその情報を意図的にトルテリーゼには隠した。


 トルテリーゼはリーディスに対して愛憎入り交じった複雑な感情を抱いている。


 暴行によりトルテリーゼは死を望んだがリーディスの存在により生きながらえた。しかし胎内の子供ごと汚されたという思いがあったようで、生まれてきた我が子をうまく愛せずずっと思い悩んでいた。生まれてすぐにマールヴィック公爵に取り上げられたこともその思いを強くしたようだ。


 そんな彼女に更なる心労の素を増やしたくなかった。


「……リーディスだが、将来は神学の道に進みたいと言ってきた。あの子なりの責任の取り方を考えたのだろうな」

『そうですか……こんな母の元に生まれてきたせいで、あの子には大変申し訳ないことをいたしました』


 トルテリーゼの声は鼻声になっていた。もしかしたら通信魔導具の向こうでは泣いているのかもしれない。


 神学に進むという事は、メサイア教の司祭を目指すという事と同義だ。ローザリアの国教たる教派、ローザリア聖公会は旧教よりは寛容とはいえ、聖職者になれば厳しい戒律の中で祈りの日々を過ごす事になる。


『……陛下、本来あの日に表舞台から消えるべきだった私たち母子を生かして下さったことに感謝致します』


 ミルセアは王の妻に手を出した大逆罪で、トルテリーゼは近親相姦罪で処罰するのが本来の流れだった。その本来の流れに乗った場合、リーディスはこの世に産まれてくることも叶わなかっただろう。


 しかし、このように祈りの道に進ませるためにリーディスを生かした訳ではない。

 アークレインが王となり、リーディスはその補佐をする。それがサーシェスの思い描いていた夢だった。


 サーシェスは深いため息をつくと目を閉じた。

 どうするのが正しかったのか、今でも判断がつかない自分がいる。

 ただ一つ言えるのは、自分は父としても王としても愚物だという事だ。愛する者たちを等しく助けようとした結果、その全員に様々な傷を残す事になってしまったのだから。


(せめてリーディスの気が変わってくれたら……)


 いや、考えるのも詮無いことだ。

 サーシェスは深いため息をつくと目を閉じた。

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