真実は心の中に 03
アルビオン塔から宮殿まで戻ってきたエステルとアークレインは、サーシェスが呼んでいるという連絡を受けたため、揃って獅子宮に向かうことになった。
寝室にて療養中のサーシェスの顔色は、昨日エステルが見舞った時よりも良くなっているように見える。
「よく来てくれた」
サーシェスはベッドの上で半身を起こした姿でエステルたちを出迎えると、室内にいた侍従を下がらせた。
エステルは、あらかじめベッドの側に用意されていた椅子にアークレインと並んで腰を下ろす。
「まだるっこいのは好きではないので単刀直入に聞く。エステル嬢が《覚醒者》というのは本当か?」
「……何の事を仰っているのか」
アークレインは一切の表情を変えずにそう返答した。
「おかしいな、トルテリーゼからつい先程聞いたばかりなのだが」
「……何故アルビオン塔に収監されている王妃と連絡が取れるのですか?」
「トルテリーゼには私にだけ通じる通信魔導具を持たせている」
その返答にアークレインは一瞬言葉を詰まらせてから、頭痛を覚えたのかこめかみに手をやった。
「王妃とあなたは繋がっていた、そのように取れるのですが」
「この発言からそれが読み取れないような愚鈍には玉座に座る資格はないな」
そのサーシェスのもの言いにアークレインの機嫌が下降していく。
「どういう事なのかご説明頂けるのでしょうか」
「簡単な話だ。トルテリーゼは私のパートナーであり共犯者だった」
アークレインの苛立ちが顔を見なくても伝わってきた。
「……いつからですか」
「いつからも何も始めからだ。しいて言うなら、トルテリーゼがリーディスを身ごもった頃だろうか」
そしてサーシェスはどこか遠い目で語り始めた。
◆ ◆ ◆
トルテリーゼがサーシェスの後妻として嫁いできたのは今から十七年前、アークレインの生母であるミリアリア前王妃の喪が明けるのとほぼ同時期だった。
ミリアリアの死は病死、そこに不審な点はなかったとサーシェスは言い切った。元々体が丈夫な方ではなかったらしく、アークレインの出産をきっかけに体調を崩しがちになり、風邪をこじらせて呆気なく儚くなってしまったらしい。
サーシェスとトルテリーゼの結婚は、互いに望んだものではなかった。
サーシェスにとってのトルテリーゼは、後継者が王子一人では心もとないと重臣たちから詰め寄られて仕方なく迎えた後妻だった。
そしてそれはトルテリーゼも同じで、ミリアリアの死を受けて、王位継承に絡みたいマールヴィック公爵の意向によって、十歳も年の離れた従兄に嫁ぐ事になったためだ。
「ミリアリアが忘れられない私と同じで、当時のトルテリーゼにも当時婚約が決まりかけていた想い合う相手がいた。……にも関わらず、ミルセアに引き離されて私の元へと嫁いできた。政略のため仕方がないと割り切ったようだが、私たちの間にあったのは義務感だけだった」
二十八歳の子持ちの男に嫁がされる十八歳の新婦――しかも相手は国王であり、王妃という立場がついてくるのだ。確かにいくらサーシェスが魅力的な男性だったとしてもかなりの勇気と覚悟が必要な縁組である。
「あの方には別に好きになった方がいたんですか?」
アークレインの質問にサーシェスは頷いた。
「そうだ。そしてその青年と引き離し、無理矢理私に嫁がせた父親を恨んでいた。と言っても、私が彼女の本心を知ったのは、彼女が嫁いできてかなりの時間が経ってからだ。結婚したばかりの時の私たちは腹を割って話し合うような関係ではなかった。義務だけで結びついていた我々の関係を変えたのはアーク、お前だ」
アークレインの表情は変わらないが、マナが揺らいでいるところを見ると動揺している。
聞いたことがある。アークレインとトルテリーゼの関係は、リーディスが産まれるまでは友好的だったらしい。
「トルテリーゼの宮殿の生活を変えたのは、幼かった頃のお前との交流だったそうだ。一番最初は『新しいお母様』への興味と好奇心で、お前の方からトルテリーゼの所を訪問したそうだな?」
「……覚えていません」
「無理もない。お前はまだ六歳だった」
サーシェスは苦笑いして納得したようだったが、エステルは嘘だと思った。
アークレインは優れた記憶力の持ち主だ。きっと忘れたフリをしている。
「トルテリーゼはお前が懐いてくれて随分と救われたようだ。継母という関係ではあるが、彼女がお前に注いだ愛情は本物だった」
「だったら何故洗剤を混入したお茶を私に飲ませたのですか? リーディスが生まれてから人が変わったようになったのは何故ですか?」
「……あれはお前を守るためだった。獅子宮に安易に近寄らせないように。だから致死毒ではなく、喉を焼く作用のある洗剤が用いられた。すぐに適切な処置をすれば、王族の回復力があれば後遺症も残らない。そういう物の中で比較的手に入りやすい物を選択した結果があの洗剤だ」
「……父上も承知の上だったのですか」
マナを見るまでもなくアークレインの怒りが伝わってくる。声も表情も平坦なままなだけに、怒りを制御しているのが見て取れて心が痛んだ。
「あのままお前がトルテリーゼやリーディスに会うために獅子宮に出入りしていたら危険だった。トルテリーゼ付きの側近の中にはマールヴィック公爵の息のかかった者が何人も潜んでいて隙あらばお前を害そうと企んでいた」
サーシェスは深いため息をついた。
「リーディスが生まれ、高いマナを示した事がマールヴィック公爵が動くきっかけになった。あの子を作らなければ、とは申し訳ないが言えない。私にとってはリーディスも可愛い我が子であり、政略の為に色々なことを諦めて嫁いできたトルテリーゼを蔑ろにする事もできなかった」
サーシェスの渋い表情からは、夫として、そして父としての深い苦悩が伝わってくる。
「アーク、お前だけではなくて、私はトルテリーゼとリーディスも守りたかった。下手にマールヴィック公爵を追い込むと、トルテリーゼも巻き込む恐れがあった。二人を連座させない方向でマールヴィック公爵だけを失脚させる方法を模索していた結果として、ここまで時間がかかった上にお前に皺寄せがいく事になった」
「一石二鳥どころか三鳥を狙った結果だと……?」
ゆらりとアークレインからマナが立ち昇った。怒りによって異能が暴走する予感がして、エステルは思わずアークレインの肘のあたりを掴む。
するとアークレインの体が震え、マナが落ち着きを見せた。
「結局三人全員を助ける方法を見つける前に私の体に限界が来て……最終的にはトルテリーゼを切り捨てる事になってしまった」
サーシェスの顔は苦渋に満ちていた。
「今回の筋書を考えたのはトルテリーゼだ。三人ともを救う道は諦めろと強く説得された」
「どうしてあの人がそこまで……」
アークレインと同じ疑問をエステルも感じていた。
貴族の娘として生まれた以上政略結婚は宿命だ。意に沿わない結婚をさせられたからと言ってあそこまで実の父親を憎むだろうか。
最初は嫌だったかもしれないが、継子との関係は良好でサーシェスとの間にリーディスをもうけるに至っている。
「トルテリーゼ様がマールヴィック公爵を憎んでいた理由は他にもあるのではありませんか?」
エステルは思い切って尋ねてみた。継子の為に自分を犠牲にして実の父親を追い落とすという心理は、どうしてもエステルには理解できない。
「……何故そんな事を聞く?」
「……自分の立場に置き換えた時にありえないと思ったからです。私はトルテリーゼ様との接点が少ないのであの方の人となりを存じ上げてはいる訳ではありませんが、王妃の公務に精力的に取り組んでこられた方だとお聞きしております。そんな方が、政略結婚だけが理由で実のお父様や実家を潰そうとするとは思えなくて……」
「トルテリーゼの感情を『視た』のか?」
サーシェスの指摘にエステルは身を震わせた。
「エステルはすぐ顔に出る……」
アークレインの呆れたようなつぶやきが聞こえてきた。
「……そこまで必死に異能を隠さなくてもいい。感情が大まかにわかると聞いている。既にアークが囲い込みに成功しているのだ。その異能は公表はしない方が王家にとっては有用だと理解している」
サーシェスに言われ、エステルはせっかくのアークレインの誤魔化しを台無しにした事に気付いた。
「申し訳ありません、アーク様……」
「……怒った訳じゃない。異能について知る人間が増えてエステルが傷付いていないのならいい」
「それは……大丈夫です。陛下も隠していいと仰って下さっているので」
「仲が良くて何よりだ」
どこか呆れたようなサーシェスの一言に、エステルははっと我に返った。
「陛下、トルテリーゼ様の件ですが……ひどい負の感情をマールヴィック公爵に対して抱いていらっしゃいました。あの感情の昏さは普通ではありませんでした」
そうだ。トルテリーゼの行動への違和感の源は、異能で視てしまったマナだ。深淵のようなひどく昏い闇は、どう考えても普通ではない。
「……かなり手酷い虐待を受けていたようだ。ミルセアは王位に対する執着が強く、王位に就いた双子の兄にして我が父に並々ならぬ対抗心を持っていた。特にトルテリーゼとシルヴィオのマナの量が私に比べると低く、異能に目覚めなかったことを妻の家柄のせいにして、妻子に当たり散らしていたと聞いている。そのせいでマールヴィック公爵夫人は精神を病んで早世したし、トルテリーゼ自身も相当な体罰を受けて育ったそうだ」
気まずい沈黙が室内を支配した。空気が重い。まさかトルテリーゼ王妃にそんなに重い過去があるとは知らなかった。
「トルテリーゼは臨月を迎えたときに、自分の側近たちがマールヴィック公爵からの指示でアークの暗殺計画を立てているのを知って父親との決別を決意した。……その時から彼女と私は共犯になった」
どうしよう。どんな顔をすればいいのかわからない。
ちらりと隣のアークレインを見ると、沈んだ暗い表情をしていた。
「真っ当な手段とそうではない手段、どちらも試したのだがあの男も《覚醒者》だ。《覚醒者》を暗殺するのは容易ではなく、早々に諦めざるを得なかった。かといって真っ当な方はなかなか尻尾を掴ませない」
そこまで告げると、サーシェスは深いため息をついた。
「その話を信じろと……?」
「信じる信じないはお前に任せる」
室内の空気は悪い。ピリピリとした雰囲気に胃が痛む。
しばしサーシェスと睨み合った後、アークレインが口を開いた。
「義母上はどうなるんでしょうか」
「大逆の首謀者だからな、極刑は避けられない」
サーシェスはきっぱりと言い切った。
「トルテリーゼも覚悟の上で今回の筋書を書き父と弟を嵌めている。その覚悟を無駄にする訳にはいかない」
サーシェスのマナは、毅然とした態度とは裏腹に負の感情に満ちている。そこから察するに、今回の結果はサーシェスとしても不本意なのだろう。
「この件はここだけの話に留めて欲しい。決して他言しないように」
「エステルが異能で義母上の感情を暴かなければ、この真実は闇に葬るおつもりだったのでしょうか?」
「……悪い継母として処罰されるのがトルテリーゼの望みだった」
ギリ、とアークレインが歯を食いしばる音が隣から聞こえた。
「……継子である私を優先する理由がやはりわかりません。このような大それた事をしでかした以上、リーディスは処罰を免れても謀反人の子と謗られる事になります」
「それだけトルテリーゼの中でマールヴィックの血は厭わしいものだったという事だ。生まれてすぐミルセアに取り上げられた事もあり、トルテリーゼは単なる愛憎だけでは表せない感情をリーディスに対して抱いている。……あの子も不憫な子なんだ」
サーシェスの発言にエステルはめまいを覚えた。
今回の件の最大の被害者はリーディスだ。これからエステルはどんな顔をしてリーディスに会えばいいんだろう。
隣のアークレインもまた同様の感想を抱いたのか険しい表情をしている。
「……今回の件をリーディスにはどう伝えるおつもりですか?」
アークレインの疑問に、サーシェスは険しい顔をした。
「……お前たちだけに伝えて、あの子にだけは隠すという訳にはいくまい」
王位への執念から様々な悪事を働いた祖父を、母と父が手を組んで追い落としたという真実を、リーディスはどんな想いで受け止めるのだろうか。
考えるだけでも気が重くなった。
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