ありもしない後悔しない方法

渡貫とゐち

手軽にできる『後悔』の作り方

「後悔しない方法を教えてほしいって? はっ、ねえよそんなもん」

「おとなのせんせーにも分からないことなの?」


「ちゃんと話を聞いとけよ。『分からない』じゃねえ、『ない』と言ったんだ。後悔しない方法なんて『ない』ことを『分かっている』んだ、俺に分からないことなんてねえよ」


 嘘くせー、みたいな視線で見つめてくる八歳の姪っ子……、毎週金曜日にこいつの勉強を見てやっているが……、まあ、身内びいきがなくとも賢い方だろう。

 成績良し、知恵もある。テストの知識だけでなく、緊急の状況下でも最善の手を選べる判断力もある。八歳でこれなら将来が有望な子だろう……。


 だが、後悔をしない方法を知りたいだと? 

 なんでもできて、なんでも知っている――(大半は俺が教えたことなのだが)こいつでも、まだそこまで達観したわけではないか。


 なら教えてやろう。


 後悔をしたくないってことは、『後悔』をマイナスと捉えているみてえだしな。

 ま、間違っちゃいねえが、そう考えるのは損だぜ? って話だ。



 人生、後悔の繰り返しだ。


 生きていれば後悔する。


 後悔するために生きているって意味でもあるわけだ。



「ちがうよ。幸せになるために生きてるんでしょ?」


「なるために? じゃあ現在を生きているお前は幸せではないと? 幸せの『ため』に生きているなら、幸せになればそこが『ゴール』だろ? お前、幸せになったらその場で死ぬのかよ」


 幸せで『い続ける』ために生きるなら分かるけどな。


「……せんせーは、いま幸せ?」


「おう、幸せだぜ? この幸せを寿命で死ぬまで続けるために生きてんだ。そして幸せってのは、ある程度の『痛み』もなきゃ認識できなくなる。

 生まれて幸せしか感じていなかったやつが、いま自分の状況が幸せであるとは分からないはずだろ? 不幸を知らねえやつがどうやって『幸せ』であると自覚したんだ?」


「……苦しくない、なら……幸せだってわかるんじゃない?」


「かもな。だとしたらかなり表面的な幸せしか感じられていないってことになる」


 苦しくて、痛いから不幸で、


 苦しくなく、痛くないから幸せだと?


 体の痛みがない不幸なんて山ほどあるだろう。


「不幸が分かれば、幸せも分かる。不幸を体験するからこそ幸せが光る。……だけど適度な不幸を体験するべきだ、と分かっても、望んで体験したいものでもないだろ。不幸の規模が選べるわけじゃない……。不幸を事前に仕込んでおくのも手だが、それが『不幸』だと思えるか? って話にもなるしな。

 ……幸せを感じられるように、人間は適度な不幸を『摂取する』ようになっている――簡単に手に入れることができて、精神的にも肉体的にも小規模な不幸体験こそが……『後悔』なんじゃねえかと思っているわけだ」


 あの時、ああ言えば……、こう動いていれば――。


 誰もが体験している息苦しさじゃないだろうか。その場では気づかなくとも、夜、布団に潜ってふと思い出して「あぁ……っ」なんて足をじたばたさせるような体験――、


 苦しい、痛い、恥ずかしい、叶わぬ期待……。頭の中に残る強烈な後悔があれば、自分で思い返して『作り出せる』後悔もある……、これは手軽に生み出せるインスタントな不幸なのだ。


 だから、「最近、不幸なことがなくてちょっと怖い……」なんて不安に感じれば、直近の選択に後悔をして、傾いた天秤を元に戻すこともできる……。

 幸せ過ぎても不安、というのも、俯瞰して見れば不幸なのかもしれないが……。


 幸せ過ぎて不幸、か?


 なんて贅沢だ、と言うかもしれないが、幸せも過ぎれば転落に繋がる……、

 あるべき足踏みのためのセーフティが『根拠のない不安』なのかもしれない。


 悪過ぎるのは素直に嫌。だけど幸せ過ぎても、この先の道が途切れていて、足を踏み外すかもしれない……。歩くべき道は、幸せでいながらも不幸を摂取し続ける人生――。


 これが最も歩きやすい、人生という道だと言えるだろうな。



「分かるか? 後悔はするべきだし、後悔なんてものは『するもんだ』って覚えておけ。お前はシートベルトをしないままジェットコースターに乗るつもりか?

 安心安全をわざわざ手離すなんてこと、する必要がねえだろう?」


「でも、その後悔に長いこと苦しむことになったら……」


「もっと苦しい後悔がいずれ上書きするさ。膝の擦り傷なんか腕の骨折で忘れちまう。そして腕の骨折ほどの痛みは、お前を強くしてくれる。

 後悔ってのはインスタントなものなんだぜ? 考え方で痛みは半減するし倍にもなる。……腕の骨折以上の後悔なんてねえよ。

 もしもあれば、それはお前が勝手に思い詰めて考えちまった、ってだけだ……、そうなったら忘れろ。美味しいものでも食べて寝れば、スッキリ忘れてるもんだ」


「考えかた、しだいって……でも後悔は、後悔でしょ?」


「単純な選択肢があり……じゃあ、二択だな。片方を選んだ後に、逆の方を選んでおけばよかった、と苦しむのが後悔だろ? でもそれって、自分は『片方を選んだ』という証明になる。

 現実、どっちも選ばずに前へ進めないやつも多いもんだ。選ばなかったことで後悔するやつもいる中で、選んだことで後悔するやつの方が、前に進んでる感じがしねえか?」


 出た選択肢、二つ……『選ぶ』、『選ばない』――これも二択ではあるが。


「夕食に『カレー』と『ハンバーグ』を提示され、『カレー』を選んだ。その後で『ハンバーグ』にしておけば良かった、と後悔する……、でもこれって、『カレー』を選んだ人間にしか得られない後悔なんだよな。

 もっと細分化すれば、色々と後悔も作り出せる。白米にルーを『かける』、『かけない』――『甘口』か『辛口』か。そもそも夕食を『食べる』、『食べない』という選択肢もあったな……、さっきは悪く言ったが、二択を『選ばない選択肢』を選んだことが、悪いってことじゃねえよ。選ばない選択もたまにしたっていいだろ? 提示された二択だけを選んでいたら、出てこない選択肢に鈍感になるしな。……視野は広くした方がいい」


 毎分、毎秒、後悔はしている。その後悔が、した時点では埋没しているだけだ。それを後々に掘り起こして……、自分自身で『後悔』に苦しさを与えてしまっているだけ――。

 その苦しさは自分で調整できるし、強弱を弱に寄せれば、インスタントな不幸になる。


 これが自由に調整できるようになると、小さな幸せも感じられるようになっていくものだ。


 家から職場まで、信号が全部『青だった』、スマホで時間を確認するために取った瞬間にメッセージが『届いた』、道に迷って地図アプリを開いて現在地を確認すれば、目的地がすぐ『真後ろだった』――など。


 ちょっとしたことでも幸せを感じられるようになる。


 あんまり幸せ過ぎると、些細なことでも苛立ってしまうものなのだ……。


 そう考えると、今の日本の悪質クレームの多さはつまり、幸せ者が多いことを意味しているのかもしれないけどな――。


 余裕がないから他者を攻撃する?


 いやいや、まずお前の幸せじゃねえの?


 裸一貫で他者に突撃してどうする。


 別に、他者の衣服を剥けるわけでもないのに――。

 剥けたところでお前が得られるわけではないのだ。


 他者を自分と同じく裸にしたいだけ……?


 それで幸せを感じられるのだとしたら、幸せも不幸も一緒な気もするが……。



「…………」


「なーに考え込んでんだよ。そんなに真面目に『後悔』について考えなくてもいいぞ? 別に偉い人が言っていたわけじゃねえ、俺の『ひとりごと』みてえなもんだからな」


 心に留めておいて、しんどくなった時に思い出してくすっと笑ってくれればいい。


 そんな話が『あった』のと『なかった』のでは、心の疲弊に差が出るのだから。


「せんせー、さっきの二択なんだけど……」


「ん?」



「『カレー』と『ハンバーグ』……、

 カレーにハンバーグを乗せれば解決じゃないっ!?」



 ……いや、解決とか、気にしているわけじゃないんだが……。

 たとえばの話だし。


 まあ、提示された二択を組み合わせて、『選ばない』ことも、前進する選択かもな。


 さすが俺の姪だ――賢いやつだぜ。



「ただ気を付けろ、作ってくれるのはお母さんだからな? 言われた側からすれば、苦労が二倍になって返ってくる『不幸』かもな」



 まあ。


 娘の笑顔のためなら、そんな小さな不幸なんか気にしないだろう。


 

 ―― おわり ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ありもしない後悔しない方法 渡貫とゐち @josho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ