終点までは想いを乗せて
だいもんじ
第1話 二人だけの
これは、僕らだけの思い出。
「……とかいねーの?」
電車の心地よい揺れにもたれてウトウトしていた僕は、
「えっ、なんだっけ?」
「
四か月前、僕らは中学二年生になった。学年が上がったからというわけでもないが、周りには男女のカップルが増えてきた。康弘は、同じテニス部の隼人に彼女ができたことで焦っているようだ。
「……僕は別に、好きな人とかはいないよ」
「今ちょっと考えただろ! 歩、お前怪しいぞ」
「いないってば。康弘こそ、誰かいるの?」
康弘は、待ってましたとばかりに鼻の穴を膨らませた。
「今度の夏祭り、
並木さんと言えば、学年でも一二を争うほど可愛いと評判の女子生徒だ。昔から目標を高く設定するきらいのある、康弘らしいチョイスだと思った。
「そうなんだ。付き合えるといいね」
「なんかお前、いつにも増して素っ気ないな。もしかして、眠い?」
今は夏休み中で、練習に丸一日精を出した後だ。当然、眠い。
「うん。それに僕、他人の恋愛に興味ないし」
康弘は僕と恋愛の話をしても盛り上がらないと悟ったようで、その後は話題を切り替えて、ニュースの話なんかをした。
「次は、
数分後、車内にアナウンスが流れた。康弘は座席から立ち上がって、抱えていたラケットバッグを背負い直した。
「じゃ、また明日な」
「うん。また明日」
康弘を見送って一人になった僕は、ラケッドバッグを足に挟んでから、沈むように目を閉じた。僕の家は学校からかなり遠い場所にある。電車は終点まで乗るし、片道一時間はかかった。順々に降車していく友達を見送って、一人になった後は終点まで寝て過ごす。それが僕の習慣だ。
電車の揺れは揺り籠に、些細な雑音は子守歌に。僕の意識は、真っ黒な安寧に落ちて行った。
「……くん。歩くん」
「ああ、
寝ぼけ眼の先には、今日も桜さんが座っていた。
彼女と初めて出会ったのは、一週間ほど前のことだ。
「きみ、一人? 子供が夜中の電車で寝てたら危ないよ」
重たい瞼を開けると、目の前に白いワンピースを来た女性が立っていた。
「子供じゃないです。中学生なので」
「あはは、子供だよ。私も高校生だけどね」
それ以降、僕と彼女は同じ電車に乗り合わせると、二人で他愛のない会話をするようになったのだ。
「また寝てたの? 田舎だからって、不用心だなあ」
「すみません、今日も部活で疲れちゃって」
「ねぼすけめ」
桜さんはいたずらっぽく微笑んだ。笑顔から覗く歯が白いワンピースとよく合っていて、なんだか眩しい。
「また今日も、私たちの貸し切りだね」
この辺りの大人たちは、専ら車での移動ばかりだ。今乗っているこの電車も、数年後には廃線になるかもしれない。
「田舎ですからね」
それでも、僕はこの静かで特別な時間が好きだった。
「そう言えば、顧問の先生が僕のことをよく褒めてくれるようになったんです。明後日に学校で練習試合をするんですけど、そこではお前をレギュラーにするかもって」
「へー、凄い! 明後日なら、私も応援に行っちゃおうかな!」
僕は思わず、桜さんに応援される自分を想像した。サービスエースを決める僕。コートの外ではしゃぐ彼女。そして、それを恨めしそうに見る康弘。
「……ふふっ」
「歩くん、なんで笑ってるの?」
「あっ。ええと」
康弘の顔を想像して、つい笑いがこぼれてしまった。どうしよう。気持ち悪い奴だと思われたかもしれない。
「あ、分かった! 私が応援に行くのが、笑っちゃうくらい嬉しいんだ!」
彼女は、僕が抱いた一抹の不安なんて消し去る太陽みたいに笑った。
ああ、僕はこの人が好きだ。たった一週間という短い時間の中で、僕は自分でもどうしようもないくらい、彼女に魅かれていた。
「次は、
「あ、もう着いちゃったか」
桜さんは名残惜しそうに座席から立ち上がると、乗車口の方に歩いていった。僕は、彼女を連れ去ってしまうこの駅が嫌いだった。
電車は機械的に駅へ停まり、乗車口がプシューと無機質な音と共に開いた。
「じゃ、またね。試合頑張って」
「はい。また」
桜さんは木造の駅に降り立った後、ホームから軽く手を振った。僕は、明日も桜さんに会いたいという願いを込め、彼女が見えなくなるまで手を振り返し続けた。
それから数日間、彼女と会うことはできなかった。応援を仄めかしていた練習試合にもその姿はなく、帰りの電車で遭遇することもなかった。
僕は、改めて自分の立場を痛感した。結局、僕たちはただの他人だ。毎回会える保証など無く、電車でたまに顔を合わせる、ただそれだけの関係。その事実が、僕の胸を強く締め付けた。
「……い、歩くん。おーい」
僕はハッと飛び起きた。
「桜さん!」
十日ぶりの再会で、彼女を呼ぶ声につい熱が入ってしまった。
「わっ。びっくりした」
彼女はそう言いつつ、実際に驚いている様子はあまりなかった。
「歩くん、久しぶり」
「ひ、久しぶりになってます!」
言葉が溢れるようで、何から言い出せばいいのか分からない。
「あはは。大丈夫? 落ち着いて?」
「はい……」
この時、僕の心臓はバクバクと音を立てていた。彼女と会えなかった期間中に、あることを決めていたからだ。
次に桜さんと会えたら、彼女に好きだと伝える。
彼女は高校生で、僕は中学生だ。僕にとって彼女は既に大人で、彼女からすれば僕はまだ幼い子供かも知れない。でも、関係ない。振られても構わない。宙ぶらりんな関係で、この気持ちが行き場を失うことの方がよっぽど嫌だ。
下を向いて決意を固めている僕の隣で、桜さんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「なんか今日、元気ない?」
「いえ、違うんです」
僕は顔を上げて、桜さんの目を真っすぐ見つめた。
「桜さん。真面目に聞いて欲しいことがあります」
「……なに?」
彼女は何かを察したのか、いつになく緊張した面持ちになった。
「桜さん。僕は、あなたのことが好」
「ちょっと待って!」
桜さんは制止するように、僕の言葉を遮った。
「大きな声を出してごめんなさい。でも、ちょっとだけ待って欲しいの」
どうにも煮え切らない桜さんの態度を見て、僕は胸が苦しくなった。
彼女は明らかに、僕の告白に気づいた様子だった。それならば、どうして素直に聞いてくれないのだろう。告白すら満足に果たすことができない自分の不甲斐なさに、僕は涙が出てきてしまった。
「わっ! ちょっと待って、違うの!」
桜さんは珍しく、本気で慌てている様子だ。僕といえば、次に紡ぐ言葉を見つけられず、ただ黙って桜さんの言葉を待つしかできなかった。
「……歩くんがそれを言う前に、私から伝えておかないといけないことがあるの」
桜さんは、しばらく自分の手元を見つめながらもじもじしていたが、最後には意を決したように口を開いた。
「実は私、幽霊なの」
「……そうですか」
僕は心底落ち込んだ。断るにしても、もっと別の答え方があったはずだ。自分はそこまで子供だと思われていたのだろうか。
「歩くん、信じてないでしょ。手、出して」
桜さんはむすっとした表情で立ち上がると、僕の前に手を突き出して大きく指を広げた。
「え?」
「歩くん。手を出しなさい」
「……はい」
僕はもう自暴自棄な気持ちで、彼女に向けて力なく手を上げた。
「ほら、見て」
彼女は僕の手に自分の手を重……ならなかった。
「……嘘だ」
「嘘じゃない。見て、透けてるでしょ?」
確かによく見ると、桜さんの手は先端から徐々に色が透けている。何度か目をこすって見ても、目の前の現実は変わらなかった。
「そんな」
桜さんは再び僕の隣に座ると、車窓の外にある暗闇を見ながら語り始めた。
「歩くん、
僕は以前、康弘と話していたニュースを思い出した。
「じゃあ、あのニュースで出た死傷者って……」
桜さんは、どこか照れくさそうにはにかんだ。
「そうそう。あれ、私」
僕は悔しさとも怒りともつかない感情で、唇をかみしめた。
「笑い事じゃないですよ」
「……そうだね。でさ、幽霊だからって、どこにでも化けて出られるわけじゃないの。
「だから、僕が電車で寝ている時だけ会うことができたんですか?」
桜さんは指で輪を作った。
「ピンポン! 歩くんってば、寝ないでこの辺りまで来ることもあるから、たまにしか会えないんだもん。本当はもっとお話ししたかったのにな」
彼女の寂しそうな表情を見て、僕はあることを思い出した。
「さっき、事故にあったのは四十八日前って言ってましたよね」
「そう。だから、この世にいられるのは今日が最後なんだ」
その時、激しい喪失感と焦燥感が、僕を襲った。
もう桜さんに会えない? そんな、急すぎる。でも、彼女はもう死んでいて、僕はまだ生きていて。……それなら、もういっそ。
「駄目だよ」
ある答えに辿り着きかけた時、桜さんがピシャリとそれを否定した。
「……でも」
僕は、ぼやけた視界で彼女の方を見た。
「あのね、歩くん。私、この世でできなかったことがあって、それがずっと未練になってたの。とっても
桜さんは、僕の膝の上に透けた手を置いた。手を置かれた部分はなんだか温かい気がして、僕も自分の手をそこに重ねた。
「でもね、歩くんが楽しそうに学校の話をしているのを聞いてたら、いつまでもこんなことしてちゃダメだなって思ったの。私も早く成仏して、次の人生に生まれ変わらなくちゃなって」
僕は両手の拳を強く握りしめた。
「成仏なんてしないでください! 僕はまだ、桜さんと話したいことが……沢山あります。こないだの練習試合だって」
「うん、見てたよ。サービスエース、カッコよかった」
「……でも、負けちゃいました」
桜さんは「ふふ、知ってる」と微笑んだ。
「急に死んじゃって絶望していた私にとって、歩くんとの時間はお日様みたいに温かかった。君のおかげて、私は死を受け入れることができたの。だから、最後に一つだけわがままを聞いてもらってもいいかな……?」
「っは……い」
言葉がうまく出ない。
「ありがとう。歩くん、もし私が生まれ変わったら、あなたの彼女にしてください」
僕は溢れる涙を拭いながら、何度も頷いた。
「やった。これで未練もなくなっちゃった」
その時、無情にも車内アナウンスが別れの時間を告げた。
「次は、鶯駅、鶯駅」
「早いなー、もう。……じゃあ私、そろそろいかなくちゃ」
座席から立った彼女の体が、少しずつ光に包まれていく。
「歩くん、さっきは遮っちゃってごめんね。私も、あなたのことが大好きです。……じゃあ、またね」
僕は嗚咽をこらえながら、声を絞り出した。
「はい、また。桜さん、大好きです」
彼女は太陽のように微笑みながら、眩い光と共に消えていった。
終点までは、まだ時間がある。車両で一人、僕は腫れた瞼をそっと閉じた。
終点までは想いを乗せて だいもんじ @daimonG_write
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