反実仮想
最初から追ってくる素振りは見せなかった。彼もまた、本心ではアカネのことを想っているからだろう。しかし、僕と違って、『仕方のないこと』というものを知っている彼は、最後の足掻きを大人らしく許してみたのかもしれない。あるいはアカネへの謝意なのだろうか。
片手で拭えど前髪に滴る雨の方がやまないので、結局はオールバックじみたかきあげ方にならざるを得ない。アカネの方は、もとよりショートボブ風なのもあって、どこか汗を輝かせるスポーツ選手のような、それでいて誘拐される幼子のようなアンバランスな感じを抱かせる。
僕らのゆく道を阻む軍人は一人だって現れず、アカネ自身も快く思っていないのが握り返す手の強さで感じ取れる。歓迎されていないヒロイズムは、なおさら焦燥感と一緒に暴走してゆく。
終着へ直行する僕らを待ち構えていたのは、またしても見知らぬ少女だった。
やはり事象が変化していっている。もし僕だけが異なる動きをしているならば、ここはしばらく無人でなければならない。
僕の選択が彼女を生みだしてしまった。僕の本当に知らない過去が今、始まったということ。
「馬鹿か、お前」
見た目はこの時代でも僕より年下っぽいが、口調は乱暴。視線もどこか大人びていて、アカネのとは違い、彼女の場合はニヒリスティック。心から僕を馬鹿だと感じているからこその、軽蔑でもなく憐れみでもない、皮肉の眼。
ところでアカネの方も彼女の知り合いという訳でもないようで、注意深く観察しているらしい顔つき。すると彼女は軍人ではない、しかし訳を知る第二の存在ということとなる。
「まさか君も天人……?」
「世迷い事もそれくらいにしろ。どれだけの女を苦しめればその自己中は終わってくれるんだオイ」
階段に腰かけたその女は、服装からしてもインディーズロックバンドのボーカルといった具合だったが、その辛辣さは筋金入りらしい。
「懐古」
「えっ」
「天人ではないお前が、どうしてそんな大層な所業を幾度も繰り返し、そして今もなお神経系をだまし続けていられる。人間の持つ記憶は自伝的記憶だが、懐古はそれに99%類似させた展望的記憶であり、それは無意識下において容易く改ざんされるものだ。物事の意味ではなくエピソード記憶を過度に集中させることで、その追体験をしているかのような記憶の再生がなされる。つまり記憶喪失やボケの反対のことを、脳の活性化によって行っているということ。それは天人であるか否かを問わず、この世を懐古するというごくごくありふれた一瞬の脳神経パルスを過剰刺激することでなし得る天人もどき、いいや、自己中の業としか言いようがない」
ある種のテレパシーを介して智音と話してきた僕は、これほどまでにまくし立てられたことがなく、自分の無口さを恥ずかしく感じた。
と同時に、彼女の言をどこまで真剣に聞くべきか、そして結局のところ、彼女は何者なのかという問いしか心の中には残っていないのだった。
「お前、本当に気が付いていないのか、自分が見当識を失っているということに」
「見当識って?」
「医師は急患の症候を探るために、まず尋ねる質問が三つある。あなたは誰? ここはどこ? 今はいつ? お前、この一つでも答えられるか。見知らぬ過去に浸っている今のお前は、この世界を観測しているだけで、この世界の理からは外れた景色でしかない。見当識が失われているということは、お前が意識不明であることと一緒の状況にあるということなのだから」
電波女の指摘は悔しいが否定できない。僕はいつからか、アカネをともかくも生かさなければという思いだけしか無い、動く人形だった。
「ところで、貴女はなぜこの男の言いなりになっているんだ」
「言いなりって、さっきから勝手なこと言いやがって!」
「お前はだまってみてろ。これは過去なんだろ?」
「私はただ…………」
「そんなわけない! そうだ、アカネが死ぬべき定めなんか存在しない!」
「ホントうるさい。ハア、それで? ここへ来てどうするつもりなの?」
「列車を、破壊する」
「ふ~ん。それで?」
「それでって」
「もし相手が軍なのだとしたら、故障の対応をしていないとでも思って?」
認めたくない。アカネが生きるのを別段、望んでいないという事実だけは。
「僕は絶対にアカネを救ってみせる。そのために智音を犠牲にしたんだ」
「そうね。すべては犠牲の上に成り立っている。お前の片思いのせいで、その人と全人類の未来は消え去り、連続性の一本でのみ形づくられた将来だけが残る。その時、お前はそれを観測できるのか。その子の罪悪感を背負えるか。その子は自身を犠牲にして人類を、そしてお前を愛した。でもお前は何を犠牲にした? 智音って子が犠牲を買って出ただけだろうが」
「やめろ」
「分かるか、お前がいるこの世界は、天人を否定したお前の時空だ。『マレウス・マレフィカルム』が書かれた時空。雷雨が降り、ファタリテートが発車可能か怪しい時空。そしてヴァルプルギスの夜を迎えようとしている時空。全部、お前自身の妄想の産物にして、お前自身の妄想の被害。何一つだって、お前の恣意で壊させはしない」
「いったい…………何なんだよ」
何だよその言い分は。僕が、悪者みたいじゃないか。アカネを助けたいと思う何が間違いだって言うんだよ。
「私の名はサユリ。天人となりし者を見届ける記憶思念体オウムアムア・タイプΔ」
サユリが見せた細く白い首筋に、三角形のデルタの字が刻み込まれていた。
「私はお前を赦さない」
「………ウサギさん、私、大丈夫だよ?」
怯えた表情なんて見せないでくれ。おかしい。間違っている。どうしてアカネはそっちにいこうとするんだ。今日、僕を救ってくれた君は、またしても僕を哀れむっていうのか。
「ダメ、だ!」
もう一度アカネの手を握ろうとした。
けれど、いつの間にかサユリが僕のすぐ目の前に迫っていた。
「ここはどこ。今はいつ」
完全に僕は――――――
お前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は誰だお前は
「さぁ、おいで。運命の叩く音が聞こえてきただろ?『交響曲第5番ハ短調作品67』、これこそファタリテートの起動スイッチ。そして人類が高みへ迫ろうという序曲。アカネ、どう思う」
「私、やっぱり間違ってないんだよね?」
「存在証明は他者からの照り返しだけではない。それを何よりも示してみせたのは、そこにうずくまってしまった彼だろう。人は一人では生きていけない。他者を愛すればこそ、人は過ちを犯す。けれど、他者愛を失った人間は、精神の均衡を保つために自尊感情ばかりを強めてしまう。その病理を取り除くためには、自分にしかできない犠牲を、他者へ施すという、両者の融合だけなんだ。それをして、ようやく人間は天人へとのぼることができる。アカネ、君は美しいよ。この地球の全てを知らないまま、この地球の限界を脱するのだから。いずれ人間であることが罪となるかもしれない。地球は天人にとって流刑地なのだろうか。君がこれから体験する旅立ちは辛いことかもしれない。ましてや次世代の天人はその使命ではなく能力によって保持されるのだから、あまりにも世界が残酷に見えるかもね。けれど、私は記憶し続けるよ。人類の終末と再生を」
「よせっ!!!」
喉を振り絞って何とかアカネをとめようとした。声が出ていたのか、そして聞こえたのかはもはや知るよしもない。
サユリはアカネを地下へといざない、轟音と共に空が真っ青に煌めいた。
こんな結末なんて。そうだ、そういうことだ。
こんな場所もこんな瞬間も、そしてこんな自分も元から存在していなかったんだ。
後悔を歯車にして、僕は何度だってやり直してやる。たとえ狂った仕掛けだったとしても。
「ましかばまし」
衝撃波によってか、額から血を流したサユリが地上へと上がってきて、そんな言葉をつぶやいた。
僕は憎悪にも似た感情を抑えることが出来ずにいたが、彼女の多弁には逆らう余力がなかった。
「『もし~だったら~だろうに』ってことよ、今のお前は。天人に近いことを利用して懐古という手段に出たというのに、事実と反対のことを想定することで、お前はアカネを不安にさせた。他力本願だったからよ」
どういう訳か、サユリは僕に肩を貸し、
「お前は本来あるべき領分を超えて、ここまでやってきて。そしてわずかに世界を変えてみせた。それが良いか悪いか、私でもそれは判断できない。けれど無数にある世界線を偶発的であったとしても選択したその力は、智音、というお前の知る天人のおかげよ。百年後に合ったときは心から感謝なさい」
まぶたが重くなってきた。
「アカネの羽衣は汚れていなかった。お前が世界に干渉したことが、天人の五衰という現象を葬ったということ」
世界がどんどん静かになってくる。僕は地面に横たわり、ただ暗がりの下でサユリを見つめ返していた。
「おやすみ」
彼女の血が重力によって一滴、僕のまぶたへと覆いかぶさった時、僕はその目を完全に閉じ、いっさいが虚空へ。
「ふ~ん、綺麗な花を咲かせるわね」
サユリの手には真っ白の百合が一輪。校庭の花壇にあったものとは違い、ずっと傍にあった百合。だから花びらには彼女の血が付いていた。
True Endのその先に 綾波 宗水 @Ayanami4869
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