不楽本座
動き出した業は、アカネが天人として身を投じたことによって、再び連関が保たれる。還るべき場所、あるべき姿、およそ全てのイデアが元へと戻り、僕は智音との
天人五衰の最期を、アカネが引き受けた。次元断層は無くなり、僕らの文明が続いたから。水洞とは、まさしくあの廃校の地下に存在していたのだ。僕らはその守人として、ここに居る。天人となった巫女は、アカネの名をとって『
僕らはその過去を取り戻すために、懐古という手段をとった。これがオウムアムアの選択だったのだ。
人間の力の及ばない領域に超電磁によって加速された物質を衝突させ、因果律から天人という存在証明を行った第一の少女、それがアカネ。このような記憶さえも、今の僕らには意味をなさないほどに五衰へと進んでいたということだ。記憶という時間の渦がひとつの現在部分を創造するという法則にあくまでもしたがって。
だがしかし、アカネにとってこの世界は生かすに値したとしても生きるに値するものではなかったのだ。人類の業によって導き出された選択であったとしても、彼女は拒むことなく、見事に完遂してみせた。にもかかわらず、僕らは何のために生きているのか。
「いいよ」
僕らの思念は再び交換されるようになった。懐古と追体験の影響で、僕の方はあまり智音の考えを読み取れないでいる。そのことも彼女には分かるので、今は声に出して会話をしてくれている。
「えっと、何が」
「守さんは約束を果たしてくれた。私を救ってくれた」
「………うん」
「だから今度は、アカネさんを。いいえ、守さん自身を救ってあげて」
「それはできないよ」
「どうして?」
あえて言語化させようとして、ゆっくりと尋ねる智音。彼女は残酷なまでに真理の巫女であり担当教授であった。
「アカネをあの時点で救出すれば、人類は遅かれ早かれ限界に達していた。滅亡だよ」
「少女一人でどうやって人類の滅亡を阻止できるの?」
「それは…………」
誰よりも明瞭に知っているはずなのに。そもそも、人類の滅亡が阻止されたとも言い難い。水洞には僕ら二人がおよそ永久に居続けている。外界の様子など考えるに及ばない。超電磁によって原子構造の分裂を試みた人類は、大いなる資源を得るとともに、その土地を返上しなければならなくなった。それが天人への貢ぎ物であるかのように。
アカネを救えば、人類は愚かなままだ。彼女は最後の進化を推し進めたのだから。
人を超越したというのに、誰よりも純粋に人であった少女。
「きっと全てはあるようにあるよ」
智音の言葉を聞いたとき、激しい睡魔に襲われた。あたたかく背中を押してくれたというのに、どうして智音はあのような顔をしていたんだ。
その思いが一瞬の途切れを経て、再び回想されたとき、そこはもう水洞ではなかった。あの日に来てしまったとすぐに直観すると共に、智音に少し腹がだった。自殺行為だ。選ぶべきことだったけれど、選んでいいというものではない。犠牲の上に、僕らの自我は今存在している。それを覆すということは、どこまで無かったことになるかもはや想定すらできないのだ。アカネはただ、己の将来を否定し、智音へと継承する未来を選択したことで、智音に隔世遺伝した天人の五衰を破綻させることに成功すると同時に、この世の因果を今一度、僕らに思い出させてくれた。超出力のエネルギーの影響で、世界の構成要素が変化したことを、人類は脳の容量の中で書き換え、その日の出来事を、二名の犠牲者は出たが、産業の革命は達せられたものであるとして、崇め、そして記憶から隔離していった。
その歴史を、現時点をもって破棄するということは、僕自身の消去では済まない。
それでも智音はここへ繋げてくれた。
「文明記録思念体、オウムアムア」
あの廃校施設、後の水洞を造った者はだれか知れないがしかし、全てはここに由来し、そして帰結するよう仕組まれているのだ。あたかもジョンバール分岐点のように、歴史はここで幾度となく定まってきたのだろう。
2020年4月20日。一次元に存在できる現存在は一つに限られるようで、今回も、この時代の僕と、懐古した僕は組み替えられ、居ないようだ。
時刻は以前のときより小一時間ほど前。
智音なりの気遣いかもしれない。僕が苦悩するのを見越したのか、それともこの時間に意味があるのか。
答えが出る前に外へ飛び出し、周囲をくまなく探す。アカネは何故かここに現れたのだから、きっとそう遠い場所にはいないはず。
別段、矛盾ではないけれど、僕は母親を探している気になっていた。寿命があり、おそらく自分よりも先に亡くなるであろうその女性を。
それでも救う手立てはあるはずだ。これは彼女のではなく、この時空の病理に他ならないのだから。
「アカネ!!」
思ってもみなかった。彼女が木陰で泣いているだなんて。酷く怯えたようで、こちらを怪訝そうに見上げる。
「あっ」
言葉が詰まって何も言えない。僕は誰だ。どこから来たんだ。今は………。
「2020年4月20日、君はうさぎと出会った」
「うさぎ?」
「そうだよ。僕はうさぎ。それも、時間を飛び越えるうさぎだ」
「すごい、ね」
涙を拭いつつも、不思議そうな顔は変わらず。でも、疑っていたり怪しがっているようなそぶりはもう無かった。
「月からきたの?」
彼女からの問いかけを聞いて気が付いた。彼女の容姿が違っている。
虚ろな目ではなく、涙のせいか宝玉のよう。一方で見た目は更に幼くなった気がする。世界が変わりつつある一つの証拠なのだろうか。
「違うよ。僕は未来から来たんだ」
「どうしてこんなとこに来ちゃったの」
「アカネちゃんが泣いていたからだよ」
一瞬、目の色がかわる。現実を思い出したからだろう。
「大丈夫。君の運命をあの列車に託す必要は無いんだ」
「どうして」
「君は死んじゃダメだ!」
言った。言えた。言ってしまった。
「もうその辺にしないか」
どこからか声がしたと思った瞬間、アカネの瞳に反射して、あの軍人が僕の背後に居る事を知った。
「どうやって計画を知ったかは、この際状況がひっ迫しているので聞きはしない。だが、いくら君が素人作家だからといってあれは趣味が悪かった」
「あれって」
「『マレウス・マレフィカルム』、読ませていただきましたよ先生。残念ながら色紙を用意してこなかったが」
「なんです、それ」
「そうか、身バレは避けないとな。だが、天人を世界を変える魔女として否定した君の著作はなかなかに刺激的だったよ」
僕がこの頃、生きる糧としてものを書きだしたのは歴史的事実。だけども、そんな内容を書いた覚えも、また書けるはずもない。そうか、もう彼女は。
「ホントなの…………?」
「え」
またしても怯えた表情をしていたけれど、初めて見る軽蔑がそこにはあった。
「庶民の文筆を軍人がとやかく言うのは主義に反するが、好き勝手に言うことがどう影響していくか、もう一度よく考えろ」
「僕は…………そんなつもりは」
「そうだろう。いつだって言葉の力に気が付いたヤツはそう言ってきたさ」
「私、もう一人ぼっちはイヤなの。だから、未来から来てくれたんだよね。ねぇ、うさぎさん、こたえて」
どうあっても運命は変えられないとでも言うのか。アカネや智音にしかその力は無いと。舐めるな。
「アカネ、君は乗っちゃダメだ」
「無責任この上ないな」
じめっとした空気が流れる。春とは言え、永遠の別れを二度も繰り返すだなんて。
「僕は間違ってますか」
「正義なんてものを誰に教わったか知らんが、ぶたれたことの無い子どもがしゃしゃり出る幕じゃないのは確かだ」
拳を握り締めるも、アカネはその幼くなった見た目で終始、こちらを窺っている。所詮、うさぎは怠け者。己に過信していたつもりは毛頭ないが、僕の言葉なら彼女はきっと付いてきてくれると、まだ過ごしていない今時点で勝手に思い込んでいた。
「この戦いに慣れてはいけない」
違うんだ。彼女は五衰の最後、不楽本座を受け入れようとしているのだ。これから十字架にかけられると知りつつも、この世を贖罪するかのように。
華の芽は閉じ、一切の感情を作用させなくなる、天人の最期。アカネは、その前段階に飛び込むさなかにある。使命とはプロトコルでありアルゴリズム。
「絶対に諦めない」
全ての物事には別なる選択が用意されている。人間に実際のところ本能がないように、慣習の中で僕らは運命を肯定してしまっている。
「雨、ふってきたね」
アカネは決めかねるのを誤魔化すように、手のひらを空に掲げる。かつて――これから――彼女が向かっていくであろう大空は、記憶にない雨天となっていた。
「いこう!」
雨粒がまつ毛にのったのとほぼ同時に、僕は世界が変動しつつあることを認識した。
細く真っ白な彼女の手をとって、今度は僕が彼女を連れて走り出す。
行き先は水洞しか知らない。あそこには行くべきではないとは感じつつも、全てがそこに終結するのもまた、歴史の必然性なんだろう。
「今度は僕が、全てを無かったことにしてやる!」
「流石に………天人を病んだ魔女だというくらいには、アイツも厄介な男だな」
ただひとり、アカネだけが事の一切を黙考していた。
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