まずスープを用意します
上山流季
まずスープを用意します
「男が妻の誕生日に花を買って帰った。しかしその日、男は妻ではなく別の女と食事に出た。何故か?」
突然の出題だった。
僕は手にしていた、隙間時間に有効な読みかけの文庫本を一度机の上に置き、居住まいを正して出題者の方を向いた。
「唐突ですね、ツヅリさん」
「ウミガメのスープと呼ばれる水平思考ゲームだ」
僕からの問いかけを半分無視するように、学生鞄をブレザーの肩にかけたままのツヅリさんは長い黒髪を耳にかけ直した。
「一見意味不明な問題文に対し、解答者は『イエス』か『ノー』で答えられる質問を繰り返すことで問題文に設定されている謎を解くという趣向だ。問題文はすでに提示した。質問をしてもいいぞ、
時刻は朝、ホームルーム前。ここは高校の教室で、僕とツヅリさんはクラスが違う。つまりホームルームが始まるまでに、時間にしておよそ五分程度以内にこの問題に解答しろということだろう。
突然始まったタイムアタック系思考ゲームに軽く苦笑して、しかしツヅリさんが僕の席の前から動きそうにないのを感じ取ると僕はしぶしぶ考えを練り始めた。
妻の誕生日に花を買うような男が、同じ日に別の女性と食事に出る。一体どういう状況なのだろうか?
「男は浮気をしていますか?」
僕からの質問に、ゲーム参戦への意志を汲み取ったツヅリさんは勝気なツリ目を細めてニヤリと笑った。
「ノー。男は浮気していない」
さっそく行き詰ってしまった。が、たしかこの手のゲームには確認しておいた方がいい前提条件が存在したはずだ。僕はまずそれらの確認から行うことにした。
「この問題に、オカルト的な要素や超常的な現象は含まれますか?」
「ノー。オカルトや超能力といった要素はこの問題には関係ない」
オカルトや超能力は存在しない。もちろん、今回の問題にそれらが関係するとはあまり思っていなかったが、それでも外堀を埋めるのは大切だ。
「妻は男が別の女と食事に出たことを知っていましたか?」
「ふむ。それについては『どちらともいえない』だ」
イエスでもノーでもない返事が返ってきた。
「男が別の女と食べたのは和食ですか?」
「それは今回の問題では『関係ない』」
そういう返事もアリらしい。
僕は、ツヅリさんの『どちらともいえない』という返事が気にかかった。イエスでもノーでもなく、関係ない質問でもない。妻と男の関係性、その温度感がよくわからない。
「男と妻の関係は冷え切っていましたか?」
「ノー」
「妻は男に興味がありませんでしたか?」
「ノー」
「男は妻に花をきちんと渡しましたか?」
「イエス」
どうやら男は妻にきちんと心を向けているようだ。そして、妻もおそらくそうだろう。しかし、妻の誕生日に男は別の女性と食事に出ている……。
「妻は、男から花を渡されて喜びましたか?」
「それは、どちらともいえない」
うん?
イエスでもノーでも関係ないでもなく、どちらともいえない?
僕はある可能性に思い至り、続けて質問した。
「妻は、故人ですか?」
「イエス」
ツヅリさんからの返事に、僕はそういうことかと腑に落ちる思いだった。
男が、誕生日に花を買ったのは『亡き妻』に向けての行いだったのだ。妻が故人である以上、別の女性と食事をしてもそれは浮気には換算されない。
ということは、解答にするとこうだ。
「男は、亡き妻の誕生日に花を供えたあと、現在付き合っている新しい恋人と食事に出ましたか?」
ツヅリさんは、フッと満足そうに笑ったあと言った。
「ノーだ。その解答では、間違っている」
間違っている?
僕はまるで信じられないような目でツヅリさんを見た。しかし、彼女はそんな僕の感情の機微をすべて察しているようで、ニヤリとした笑みを浮かべたまま「次の質問をどうぞ」と促した。
僕は腕を組んで俯きながら、頭の中を整理する。まず、男の妻が故人であること。これは揺るぎようのない事実だ。それは誤答前のやりとりで確定している。ということは『亡き妻の誕生日に花を供えた』という前半部分までは合っている。ならば、間違っているのは後半部分。『現在付き合っている新しい恋人と食事に出た』という部分だ。
「……別の女と男は初対面ですか?」
「ノー」
「別の女の存在を妻は知っていましたか?」
「イエス」
「別の女は男の新しい恋人ですか?」
「ノー」
やはり、ここだ。男と別の女との関係性が間違っている。恋人でもなく、初対面でもなく、妻とも面識がある。この女の正体を突き止めなければ問題に正解したとは言えない状況のようだ。
僕はチラと時計を確認した。時間はもうあまり残されていない。男と女の関係性を、絞り込まなければならない。
「別の女と男は同年代ですか?」
「ノー」
「別の女と男は、学校や会社など、所属が同じだった時期がありますか?」
「ノー」
「別の女と男は、食事に出るのが不自然な間柄ですか?」
「ノー」
男と別の女との接点がまったく不明なのに、二人は食事に出るのが不自然な間柄ではない……?
同年代でもなく、学校や会社での上下関係でもない。となると……。
「別の女は、男、もしくは亡き妻の血縁者ですか?」
「イエス」
ビンゴだ。別の女というのはおそらく、男か亡き妻の姉妹なのだろう。
「別の女は男の姉か妹ですか?」
「ノー」
「別の女は亡き妻の姉か妹ですか?」
「ノー」
違った。姉妹ではないのか。じゃあ……
「別の女は男の血縁者ですか?」
「イエス」
なるほど、男側の血縁者らしい。たしかに浮気でもなんでもないし、亡き妻が存在を知っていておかしくない。しかし兄弟姉妹ではない……。
僕は、ここで発想を転換させ、似たような質問をもう一度行うことにした。
「別の女は亡き妻の血縁者ですか?」
僕の考えが正しければ……
「イエス」
やっぱり、そうか。
「別の女は、男と亡き妻の娘ですか?」
僕の、おそらく決定打となる質問に、ツヅリさんはにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「イエス、正解だ」
事の顛末はこうだ。まず、男が亡き妻の誕生日に花を買って墓前に供えた。同日、娘と一緒に亡き妻を偲んで食事に出た。もちろん娘との食事なのだから浮気であることなんてありえないし、亡き妻も娘のことは知っていて当たり前だ。家族という単位での接点さえあれば学校や会社で同じ所属になったことがなくても特に違和感ではない。
「詠太くんは今回、男の年齢について質問をしなかったからね。結婚しているだけでなく、子どもがいる年齢かも、という発想が大切だったわけさ」
たしかに僕は今回、登場人物の年齢について質問をしていない。だとするなら、今回の男が相当高年齢だった可能性もあったわけだ。
「どうだった?」
「なかなか、いい頭の体操になりました」
「私もなかなか、楽しかったよ」
というところで、そろそろホームルームの時間になる。僕は、読みかけの文庫本を引き出しにしまおうとして、ツヅリさんから続けて声をかけられた。
「女は男を食事に誘うことに成功した。さて、どうやった?」
僕は手を止め、ツヅリさんを見上げた。
このタイミングで、二問目?
「え……っと」
「続きはランチタイム、食堂で会おう」
そう告げると、ツヅリさんはスカートをひるがえし颯爽と僕の教室から出ていった。
まさか延長戦に入るとは思っておらず、しばらく呆けていると担任の先生がやってきた。慌てて文庫本を引き出しにしまい、今日も一日、学生生活が始まっていく。
授業の合間、ランチタイムまでにいくつかの質問をノートの端にリストアップしておいた僕だったが、食堂に行って話を聞いて愕然とすることになる。
女は男を食事に誘うことに成功した。
答えは『ウミガメのスープを用意したから』である。
おわり
まずスープを用意します 上山流季 @kamiyama_4S
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