第3話 二つの幸運

 


 次の日、ユネは約束をした人物に会いに、フォンベルク二番街に向かっていた。

 

 二番街は一番街に取り囲まれた円形の住宅街だ。

フォンベルクの中枢機関である都市庁舎も、この二番街に位置している。

 

 一番街と二番街を繋ぐ橋を渡っていると、向こう岸に見知った燕尾服の男性と馬車が見えた。

 

 「レオさん!」

 「お久しぶりです、オルガ嬢」

 

 嬉しくなって駆け寄ると、彼の目が笑みに細まって目尻に小皺が寄る。

 

 この初老の男性は、ユネが今から会う友人の昔からの御付きで、レオ・ゼーノフという。


 彼は主人、すなわちユネの友人に「レオなしに今の自分はない」と言わしめるほどの忠義者で、今日も到着する時間を伝えていないユネのことを、橋のふもとで待っていてくれた。


 「いつもありがとうございます。でも、やしきからここまでわざわざ来るの、大変だと思うの。ユネ、一人でも行けるのに」

 「いえいえ、それでは私が坊っちゃまに叱られてしまいますよ。それに、邸につけば坊ちゃまがオルガ嬢を独占されますからな。この爺にも、オルガ嬢とお話しする時間をお分けいただきたく」


 六十も半ばを数えるだろうに、若い貴公子のような台詞を茶目っけたっぷりに言うレオが、ユネはとても好きだ。

 レオの優しさを受けたユネは、申し訳ない、と遠慮する代わりに、ありがとうございます、ともう一度だけお辞儀をして、レオが差し出した手をしっかり握って馬車に乗り込んだ。




 現時代、レスヴィネイヤ大陸にある国家のほとんどが、自治都市の集まりである都市国家の形をとっている。

 都市議会は、中央から派遣された最高議官と、各土地で権勢のある家柄から選ばれた十名の議官で構成され、自治を担っている。

 

 「何かと便利でも、都市庁舎には住みたくないよ」


 そう言って優雅な手つきでティーカップを揺らすのは、なんとも背後の庭園とテーブルの煌びやかな菓子が似合う少年だ。

 名はルヴィ。シンプルなシャツ姿すらも様になっている彼は、ミルクティーブロンドの短髪にブルーアイをした王道の美少年である。


 向かいに座るユネは、この邸からも見える高く聳える都市庁舎に目をやって、肩をすくめる。


 「そもそもあそこに住めるのは最高議官様の家族だけなんだから、他の人に言ったら絶対嫌味だと思われるよ」

 「こんな気楽なことを言えるのはユネ相手だからだよ」


 ルヴィは、正真正銘フォンベルク一のお偉い様、最高議官の長男坊だ。ユネがルヴィに取る態度は、普通の庶民が生粋の中央貴族に取る態度としてはもちろんあり得ないが、幼馴染である二人の間にいまさらそんなルールは関係なかった。


 ルヴィとはもう七年の仲になる。

 七年前、ルヴィの父親である侯爵が中央から赴任して来たとき、アーノルドはハープ奏者として晩餐会に招かれ、当時五歳のユネも侯爵邸に足を踏み入れた。

 アーノルドの美化された記憶によれば、ユネは可愛らしいワンピース姿で侯爵夫妻に大層愛でられ、ルートヴィヒ少年はユネに一目惚れだったようだ。


 侯爵家との付き合いはそこから始まり、ユネはいろいろあって当時かなり神経質だったルートヴィヒ少年の心を開いた結果(?)、希少な友人に落ち着いた。


 「なんかユネ、勝ち誇った顔してないか?僕に失礼なこと考えてない?」


 知らず知らずのうちに、回想しながら鼻高々になっていたらしい。慌ててユネは首を振る。


 「まさか。未来の侯爵様にそんなことするわけないでしょ。ユネ、仮にも侯爵様の初恋を奪った女として、貴方への礼節はいつも尽くしてるつもりだから」

 「ちょっと、あれは君の父上が勝手に盛った話だよ!僕の初恋はまだ奪われてないから!!」


 いつからかっても顔を赤くするルヴィがかわいらしく、ユネはこの同じ話を何度も蒸し返してしまう。会話がいったん落ち着いた頃、レオが後ろから現れた。


 「坊っちゃま、オルガ嬢、日が少し翳ってまいりました。御身を冷やされる前に、邸内にお戻りになられませんか?」


 ユネはほんのり水色が覆う白い空を見上げる。花が咲き始めるうららかな季節に移りつつあれど、たまに吹く風はいまだ雪の女神の息吹を孕んでいる。心ノ臓が冷え切らないようにか、レオが用意してくれたのはレモンティーだったが、それももうぬるくなってきていた。


 「そっか・・・ルヴィが風邪引いたら大変だね、お茶会はもう楽しめたし、部屋でお話しする日にする?」


 琥珀色の中身をなんとなしに揺らして聞いてくるユネを見て、ルヴィはそっと笑う。


 このルヴィ唯一の市井の友人は、貴族だからといって何かを請うてきたり、ルヴィの権力を自分のものと勘違いするようなことが一切ない。

 だから、ユネはずっと、ルヴィの大切な友人なのだ。


 「冷えたらいけないのは君も同じだよ。温室に場所を移して、ゆっくり話そう。お茶の準備はできてないけど、自分たちでやるのも楽しいだろう?」

 

 「もちろん。ルヴィの淹れるお茶が美味しくなってるか、わたしが見てあげる」

 

 ぱっと花が咲いたように笑ったユネに、ルヴィは一瞬動きを止めたが、それに気づいたのはレオだけだった。


 口に含んだレモンティーは仄かな酸味が蜂蜜の甘さを中和していて、とても美味しい。今度レオに作り方を教わろう、と思った。





 ユネが帰った後、一人窓辺を見つめてソファに腰掛けるルヴィに、控えめなノックの音が聞こえた。

 

 「坊ちゃま、爺めをお呼びでしょうか」

 「呼んでないけど呼ぼうと思っていた。さすがレオだね」

 

 素直な主人からの賛辞に、レオは、大したことではないように笑った。

 

 「坊ちゃんのお気持ちを察せるように日々精進しておりますからな。どうやら今は、晴れないお気持ちのようですが」

 うん、と素直に頷くと、自嘲めいた口調でこぼした。


 「フォンベルクを離れること、今日も言えなかった、と思って」

 「…先延ばしにするほど、言いづらくなるものです」

 「そうだな」


 先延ばしにしても、目を背けたくても、変わらない現実はある。それを、貴族に生まれたことで多くを決められてきたルヴィは、よく知っていた。


 「僕って、諦めのいい子どもだったのにな」

 「坊ちゃまの幸運のおひとつは、諦めのよいふりをなさっていた坊ちゃまを、御心に正直な少年に戻してくださる友人を得たことですな」


 レオの言葉を受けたルヴィは、微笑をこぼす。

 ルヴィの幸運のもう一つは、自分のことを自分以上によくわかっている存在が身近にいることだと思ったのだ。

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銀世界の姫 明日花 @kurarisuta

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