実相
夏木裕佑
第一話
「謝るのはナイだろ」
昼休憩の一時間の間に、ビルのエントランスまで出張しに来ていたキッチンカーの前に並ぶ
心なしか棘のある物言いには、かしこちゃんぶりやがってという彼の心情が滲み出ていた。ヒトではない存在を人間と同等に扱うという行為が増長であり自己満足なのだとでも言いたげで、事実そうなのだろう。おれはそこまで推し量ることはできても共感を得られなかった。言わせてもらえば、この男におれの心を理解してほしいとも思わなかったし、その必要はどこにもなかったから。最近はこういう、言葉を交わしているくせに人間関係を希薄とさせる距離感が流行であるらしい。
冬のよく晴れたある日、去年も一カ月前も昨日も足しげく通っているこのキッチンカーが提供するメニューはチキンオーバーライス。塩辛くエスニック風の味付けで焼かれた鶏肉の上にヨーグルトソース、お好みでデスソースを振りかけて飯の上に千切りキャベツと共に乗せられた逸品だ。このあたりのオフィスビルではかなりの人気で、少し早く仕事を切り上げて昼休みに駆け付けたとしても二、三人はすでに並んでいる。定刻通りに休憩をとってくれば、こうして十人以上の行列に巻き込まれるわけだ。とはいっても、十分と経たずに食事にありつけるのは間違いないのだが。
おれは誰にも気付かれないように顔をしかめた。知人以上友人未満、つまりおれの人間関係の中で同僚という枠組みに入るこの男性に対してはそこそこ気を許してはいるつもりだが、なぜか彼の言葉は癇に障った。苛立ちというよりも怒りに近い反駁を覚えるが、その理由を言語化できずに生返事を返すに留める。
田名部は何も考えていないのか、遅ればせながら今日のログインボーナスを受け取りながら矢継ぎ早に言葉を繰り出した。意味のある返答を期待してもいないのにいちいち気にしているあたりが、この男の考えなしな為人を表しているといっても差し支えないだろう。
「人形だぜ、相手は。人間じゃないの。そもそもぶつかってきたのは向こうじゃねぇか。アイカメラが不良品なんだよ」
「まあ、人間の形してるからさ」カーゴパンツのポケットに両手を突っ込んだまま、通りを行き交う人型機械の群れを眺める。「意図性認知が働くのよ、おれのニューロンに。あるだろ、お前、ニューロン」
「まあな、何億と天然モノがピンピンしとる。そういや、中学の部活はバスケ部だったけど、何回か先輩に殴られてさ。お前よりきっと少ないぜ」
「増やせや、根性で。生まれたときから実装されとる無起源パワーだぞ」
思考の欠片も感じられない中身のない会話が続く。やがて行列はスムーズに処理され、おれたちは一歩ずつ、牛歩の歩みで前へ前へと進んでいった。
実際のところ、人間と瓜二つの容姿をしている機械人形を機械として扱うなど、人間のように寂しがりやの生き物には無理な話だ。彼らは友であり、家族であり、隣人なのである。だからこそ、こうして街中を人間と同じようにビルの間を歩いていく人形の中には、
それこそ、スマホと同じくらいの道具として認識させられている。人間ではないと頭のど真ん中に認識させられる見た目の人形相手ならば、嵐の中でも畑を見に行かせたり、スリープも惜しんでパンを焼かせたりできるというわけだ。
日常に溶け込んだ人間と人間でない何かの存在は、我々の感情に摩擦を起こし、いつか人間性が麻痺する。真面目腐った顔でそう語る倫理委員会が差し向けた評論家がいた。今や専門家によるマスメディアでの訳知り顔での解説は季節の風物詩だ。全面的に賛成はできないが、まあ、こうして人間に向けるべき認識と感情を挿げ替えられている現状を鑑みれば、ウウムと唸ってしまう。そもそも、人間は自分自身の胸の内でさえはっきりと自覚することはできない。
おれたちは人形の中に、これまで直視することのできなかった、我々の人間性を見るべきではないのか、と考えてしまうのだ。
結局、おれが肩をぶつけた人形の「申し訳ございません」という謝罪に対して、「いや、こちらこそ」と頭を下げてしまったのは、無意識のうちに機械人形という存在に対する礼儀や尊敬などといったものではなく、心理的に最も負担が軽かったから、ということに他ならない。
「ところでよぉ、ハルシオンの新製品、知ってるか?」
「なに?」
「芸術支援の疑似人格だってさ。インスピレーションをプロモーションすんだとよ」
「AIに芸術感性が実装されたってこと?」
「理論上は、な。頭の中は誰だってわからんよ」
それは確かにそうだ。疑似人格だろうと人間だろうと、頭の中をのぞくことはできない。
ふと、思考の存在が実証できるのであれば知性の存在も裏付けが取れるのではないかと考えた。わたしはわたしです、と宣言するより、ある特定個人が持つ意識、人格といったものが
それきり、田名部とは言葉を交わすことなく、無事にチキンオーバーライスの鶏肉増量デスソースかけを手にすることができた。
ビニール袋に暖かい食事を放り込んで揺らしながら来た道を戻ると、ふと違和感に気づく。
人形たちの視線を追うと、心なしかおれを見ているように思えるのだ。
田名部の声がとても遠くに、雑踏の喧騒がとても近くに感じる。視線を避けるように俯いて歩いていると、肩をぶつける。
顔を上げれば、先ほどとは別の個体が立っている。女性型だ。彼女はおれの目を真っすぐに見て何かを待っていたが、やがて首を傾げて去っていった。
「なんだアイツ。おい、どうした?」
「見てる」
「は?」
「あいつら、見てるよ、田名部。おれたちのニューロンまで、ビシッとな」
「人間だけの無起源パワーじゃなかったのか?」
「だからだよ。人間にできることが人形にできないわけがないんだ。人形っていうのは、本来、そういうものだろ」
ふうん、と当たり障りのない返事に落胆も露わにしていると、彼は言う。
「でもおれたちは人間だろ。くそ、それこそが問題な気がしてきたぜ」
その通りだよ。その通りだ。
いつも通り社屋に戻って飯を食い、おれは日常に戻るべくひと眠りすることにした。
実相 夏木裕佑 @Alty_A_Ralph
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